~秩父駅舎~ 埼玉・秩父市大字大宮
秩父鉄道の前身上武鉄道は明治34年熊谷を基点に創業、大正3年大宮町(現秩父市)まで延長、秩父駅が開設され地域の交通の要となりました。その駅舎が現在地に移築復原されました。国登録有形文化財
駅舎は、吹き抜け部を構造の中心とした四辺の下り棟勾配をアクセントに屋根の量感とが簡潔な調和を見せ、ハイカラな外観を見せています。山間の秩父における象徴的な洋風建築として70年の歴史が刻まれています。
敷地内には「招木の渡し舟」なども展示されていましたが、最初はなんで~と思いましたが帰宅後調べてみました。秩父と荒川のつながりがありました。甲武信岳を源流とする荒川は、秩父山地を経て埼玉を貫流、東京湾に注ぐ住民の生活に密着していました。豊かな半面、地域を分断し交通も遮断されていたのです。渡し船は秩父の人々にとっては大切な交通手段だったのです。
当時の秩父駅は、「御花畑駅」として名前が変わり地域の大切な交通を担っています。
秩父鉄道の前身上武鉄道は明治34年熊谷を基点に創業、大正3年大宮町(現秩父市)まで延長、秩父駅が開設され地域の交通の要となりました。その駅舎が現在地に移築復原されました。国登録有形文化財
駅舎は、吹き抜け部を構造の中心とした四辺の下り棟勾配をアクセントに屋根の量感とが簡潔な調和を見せ、ハイカラな外観を見せています。山間の秩父における象徴的な洋風建築として70年の歴史が刻まれています。
敷地内には「招木の渡し舟」なども展示されていましたが、最初はなんで~と思いましたが帰宅後調べてみました。秩父と荒川のつながりがありました。甲武信岳を源流とする荒川は、秩父山地を経て埼玉を貫流、東京湾に注ぐ住民の生活に密着していました。豊かな半面、地域を分断し交通も遮断されていたのです。渡し船は秩父の人々にとっては大切な交通手段だったのです。
当時の秩父駅は、「御花畑駅」として名前が変わり地域の大切な交通を担っています。