池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

川崎市民ミュージアム常設展

2019-08-31 17:04:10 | 見学・観賞

今日は、7、8月と続いたPayPayランチ(10%キャッシュバック)の最終日でした。

これまで12時台は、ご飯時でむしろスーパーは空いていたので(11時台は、昼ごはんの買い物なのか混んでいた)、

まあ大丈夫かな?と、12時ぐらいにOKに行ってみましたが、、、

考えることは皆同じなのか、とんでもない混み方。。。

昼時のキャンペーンは9月も続くのですが、10%→5%になるので、今日、買い込みに行っているのですね(私もですが)

殺気すら感じる、めちゃ混みの雰囲気に瞬殺され、何も買わずに帰ってきました(泣)

 

さて、一昨日、妖怪とヒトの境界線展に先立って見学した、川崎市民ミュージアム常設展についてです。

 

その前に、広場に聳えるこれは?

トーマス転炉という日本鋼管が昭和12年に導入したドイツの製鋼炉で、日本の製鉄業界の発展に寄与したと。

 

中に入ると、いろいろなオブジェも。

ただ、私という人間は、この種の芸術は、さっぱりなんですよね(苦)

 

さて、常設展に行きましょうか。

観賞後の印象としては、品川歴史館大田区郷土博物館を合わせて川崎版にしたようの感じです。

と言うのは、

多摩川沿いですから、

  • 遺跡や発掘物が豊富。旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の土器やら何やらの展示が充実
  • 稲作中心の農村が広がっていたので、行事や祭礼、暮らし向きなど民俗に関する展示も多彩
  • 治水、灌漑などの資料も多い

と言うところが、大田区郷土博物館に似ています。

そして、川崎は、東海道の品川の次の宿場町ですから、その宿場町に関する展示は、品川歴史館に似ています。

 

中は繋がっていますが、入口は時代毎のセクションで分かれています。 

一番左の「民俗」から入って、「原始」「古代」「中世・近世1」「近世2」「近代・現代」と時代に沿って、各時代の入口展示も確認しながらの見学です。

 

まず「民俗」です。

セイノカミ、いわゆる左義長、小正月に松飾りや注連縄を焼く行事で、こちらはそのお籠り小屋。

中はこんな感じで、村人が集まってあぐらをかいて酒を飲んでいるイメージが湧きました。

翌朝、これごと焼いて(豪快)、その火で団子を焼いて食べると無病息災。

 

的祭(まとまつり)、弓矢で的を射て神の意志(作物の出来)を占ったり、厄払いをする行事。

流鏑馬も的祭の一種ですが、馬に乗るのは鎌倉時代からで、馬に乗らない歩射(ぶしゃ)の方が歴史が古いと。

解説シートの写真では、座って的を射ています。

 

こちらは、三匹獅子舞。

悪魔払い、地鎮祭、雨乞いのために演じられたと。

大田区の、雨乞いで降り続いてしまった雨を止ませるために舞ったと言う水止舞(すいしまい)とは逆ですね。

 

他には、

村中総出で、屋根の葺き替えをしている模型とか、

これも雨乞いで使われた、藁で編んだ龍(右手のはカエルとオタマジャクシ)。

村中練り歩いて、川に流したそうです。

大正時代までやっていたんですって。

 

さて、次から歴史を順に追います。

「原始」は、市域で発掘された旧石器時代から弥生時代までの出土品です。

左は貝塚の地層です。人が貝殻を捨てた場所なので、貝殻がたくさん詰まっています。

右は海底の地層で、自然堆積した貝の化石が散見されます。

川崎駅前のショッピングセンターあたりの地層で、氷河期が終わって海面が上昇した頃、川崎市街地あたりが海であったことがわかります。

縄文時代の竪穴式住居の模型。

品川歴史館、大田区郷土博物館の展示にもありましたが、川崎も多くの遺跡(支柱を立てた穴の跡)があるようです。

ちなみに、縄文時代の主食は”どんぐり”だったんですって。

稲作の伝わった弥生時代以前は、狩猟だったと教わったので、獣と魚ばかりの印象がありますが、言われてみれば、穀物の栽培はしないまでも、木ノ実、果実、草花は食べたはずですよね。

すりつぶして粉にしていたのと、ちゃんとアク抜きもしていたというから驚きです。

食文化って、この時代に既に発生しているんですよね。

発掘された縄文土器です。

同様の、弥生土器。

入口の展示は、縄文時代の自然環境の再現(動物は剥製かな?)

鹿、猪、うさぎ(左上)、右下はイタチかな。

でも、川崎と言えば、たぬきでは?

いました、右上からこっそり覗き見ています。かわいい♪

続いて、「古代」は古墳時代から平安時代の発掘物です。

埴輪って何故か好きです。

はに丸のイメージが強く残っているのかな(笑)

(でも、はに丸って、ちょっとシュールで、大人を皮肉るシニカルさがありましたよね)

なお、入口の展示は(ちょっとわかりにくいですが)古墳の石室の模型。

モデルの宮前区の馬絹古墳の石室入口は、保存のため埋め戻されていると。

「中世・近世1」は、川崎にあった荘園の書類などの展示で、村、河川の様子などが見て取れます。

入口は、円筒分水。多摩川の水が、田畑の面積に応じた水量で、4つの堀に分けて流されていたようです。

私の好きなジオラマもありますが、森が精巧に作られているのに、官衙(政庁)の建物が、紙を張っただけと言うのはいただけませんが、建物のフォルムはよくわかっていないのかな?

「近世2」は宿場としての川崎です。

入口の展示は、ちょっと不気味な、等身大の宿場の人たち(前衛的な劇団の舞台の雰囲気)

そして、品川歴史館に精巧な品川宿のジオラマがありましたが、こちらもなかなかのもの(感)。

川(海じゃなくて)に面したところは六郷の渡しの昔。

品川歴史館のように、人も配置したら臨場感が出るのになぁ。

でも、そうするには、こちらはちょっとスケールが小さくて残念。

ひと際大きな本陣(こっちも毛利だったらどうしよう、と思ったけど宿泊大名はいない模様(苦))

ハリス絶賛の万年屋の奈良茶飯というのが名物だったそうです。

最後の「近代・現代」です。

川崎大師へ行く時に乗る(私は歩きますが)大師線のところを走っていた、大師電気鉄道の模型。

明治32年の開通といいますから、相当早いですよね(驚)(日本最初の電車は明治28年の平安電気鉄道)

ところで、大師線と言えば、味の素(笑)

去年の冬だったか、工場見学の枠がちょうど空いていて、奥さんと参加したことがありました。

味の素の看板が展示されています。(日本語が右からで、英語が左から、って面白いですね)

味の素のある駅は、鈴木町駅ですが、創業者の鈴木三郎助氏に因んでいるんですよね。

味の素(調味料)って、日本でこそ、化学調味料として印象があまりよくありませんが、東南アジアでは、栄養を簡単に添加できる貴重な調味料です。

とりわけBOP(Base of Pramid)ビジネスの先駆けで、栄養不足の貧しい人たちも小分けで買えるようにしたり、この企業の歴史には学ぶべきところが多いと思います。

ただ、タイ、インドネシア、ベトナムなどで、大さじ山盛りの味の素を料理に入れるのは、誤った使い方ですけどね。

私の場合、卵かけご飯、野菜炒めに必須なくらいかな。

 

話が脱線しましたが、以上が川崎市民ミュージアムの常設展の模様です。

結構、現物ベースの展示なので、見応えがあります。

他方、あまり細かく見るつもりがなければ、それはそれで、各時代のあらましを効率的に見ることができると思います。

大田区からは、多摩川の対岸の話ですから、よく似た雰囲気も感じられました。

 

ところで、今回、市民ミュージアム、等々力緑地に向かって歩いている時、

小杉陣屋町のあたりに、旧家跡の表示があったり、突き当りの西明寺の隣に、徳川秀忠の御殿跡など、興味を惹かれる情報を見ました。

あと、漫画寺というのも有名みたいなので、

一昨日は、市民ミュージアム、等々力緑地でいっぱいいっぱいだったので立ち寄りませんでしたが、

来週あたり、日を改めて、もう一度、(事前にちゃんと調べて)小杉陣屋町のあたりに行ってみたいと思います。

ではでは


妖怪とヒトの境界線展

2019-08-29 18:07:03 | 見学・観賞

最近ペースがちょっと鈍っていた、ジャガイモの消費。

今晩は、最後の”インカのめざめ”で酸辣土豆(ハノイの河内老成都の美味しかったなぁ)

ピーマンも一個残しがあったので、ベランダから熟した鷹の爪を摘んで、

黄色、緑、赤で彩り華やかに、鷹の爪の辛さも自分が育てた故に愛おしくもあり(笑)、金麦も進みます♪

 

さて、最近、夏休みの自由研究と称して、近隣の博物館を観てまわっていますが、

行くと、入口などに、他の博物館、美術館や、イベントのパンフなどが沢山置いてあって、次はここ行ってみようというモチベーションを得ます。

そんなパンフの一枚が「妖怪 ヒト ファンタジーからリアルへ」でした。(郷土博物館だったかな、もらってきたのは)

 

幽霊は実際に見えてしまう故に、あまり好きではないのですが(怨念とかぶつけられると、ほんと洒落にならないし)、

妖怪というか、妖怪モノはかなり好きです。

小説の”しゃばけ”シリーズはずっと読んでいますし、

漫画の”ぬらりひょんの孫”は、ベトナムにいる時、日本食屋に置いてある数巻を読んで、面白くなったので、東京出張で全巻大人買いして、ベトナムに持って行きましたし(もちろん、アニメも今は亡きanitubeで観ました)、

欧米のモンスターとは違って、人ではないけど人っぽい、ちょっと見た目は不気味だけど愛嬌もある、でも人の業だけをそのままに具現化した切なさも纏っている、そして人と生活圏を共有する身近な存在とでもいいましょうか。

 

で、場所はというと川崎市民ミュージアム

まあ、歩いていけないことはない。多摩川台公園の川向かいくらい。

ゴジラに壊された丸子橋を川崎側に渡って、スタジアム目指して歩けばいいので、片道1時間半はかからない。

(これを徒歩圏と呼ぶかどうかは、異論あろうかとは思います)

 

問題は時刻。

公園に行くだけなら、暑くなる前、早朝に行けばいいのですが、ここが開くのは9:30。

ここしばらくは、朝から暑かったし、観た後、南中時刻に、1時間半かかって帰ってくるのもキツイ。

8/11(日)は、14:00から木原浩勝氏のトークショーがあるので、それに合わせて行こうかとも思ったのですが、あの日歩いて行ったら熱中症で死んだかもしれなかった。

結局、引き伸ばして、ついに今日行きました。

しかし、昨日より、8℃も高かったという今日行ったことが懸命だったか、というと”違う”と断言できますけどね(汗)

 

さて、この企画展、どのようなテーマかと言うと、

「近世から近代にかけて人々が抱いた恐怖や畏怖の対象が、妖怪から人間――ファンタジー<異界>からリアル<現実>になっていく様子を、「妖怪」と「ヒト」の境界線に注目し、市民ミュージアムの多様な収蔵品約100点から辿ります。」

写真撮影禁止でしたので、ざっくり展示の流れを説明をしますと、

最初のセクションでは、身近な存在であった妖怪の代表、河童について(清水崑の漫画(子供の頃に見た黄桜のCMの河童)などの展示)、そして鳥山石燕竹原春泉などによって妖怪の名前とイメージが一般に浸透していったことが紹介され、

次のセクションでは、妖怪とヒトの境界線として、人の業というか、恐ろしさを妖怪に映して風刺画化されたり、江戸時代から明治時代にかけては錦絵として妖怪(または幽霊)のイメージが拡まっていく様子、

最後のセクションでは、近代化(モノだけでなく、ヒトの精神も)によって、妖怪は消えていき、妖怪によって幻想的、間接的に表現されていた、ヒトの業、恐ろしさが日清・日露戦争で現実化、表面化していったことを紹介しています。

 

感想としては、

百鬼夜行絵巻相馬の古内裏のような有名な妖怪画などの展示を期待していくと、ちょっと肩透かしを受けます。

江戸時代の妖怪図鑑のようなものの流行で、妖怪の名前とイメージが、一般的に広まっていく様を、展示された絵本からみるのはいいのですが、

(駄菓子屋の玩具の絵のようなイメージから広まっていったんだなぁ、と)

最初の河童の漫画と、日清・日露戦争の錦絵の展示は、ちょっと強引な感じを受けましたね(苦)

展示を盛るための、テーマ後付けのような。。。

まあ、一番怖いのは人間、という台詞はお馴染みですが、

そもそも、妖怪とは古くから怖いものだったのか?

人の恐ろしさを具現化したものだったのか?

精神の近代化で、妖怪というバーチャル表現ではなく、戦争で人の恐ろしさがリアル表現されたのか?

というのは、なんか違和感があります。

 

まあ、内容はパンフとHPで確認してから行ったので文句は筋違いだし、200円の企画展ですしね。

でも、妖の出てくる時代物の小説にも度々登場する鳥山石燕の絵ってどんなだろうと思っていたところ、その絵本を見られたし、

パンフレットに印刷されている、月岡芳年の”葛の葉”もいいですね。縋っている稚児は安倍晴明ですかな。

(”ゆらりひょんの孫”のファンなので、私は蘆屋道満派ですが)

歌川国芳の作品の展示はちょっと、、、でしたが、却って、ちゃんと観に行こうという気になりました(苦)。

河童のセクションを強引と言っておいてなんですが、

豊後で捕まったという河童の絵から、河童のイメージがスタートしたような感じも、興味深かったです。

 

それと、件(くだん)の剥製が展示されていました。

牛から産まれて、必ず当たる予言をして死んでしまう生き物。

さて、本物か?気味の悪い迫力はありましたけどね。

 

ところで、こちらの川崎市民ミュージアムは、等々力緑地内にありまして、

まずは、緑地内を散策して、9:30の開館に合わせたので、

次は、等々力緑地を紹介したいと思います。

 

また、川崎市民ミュージアムの常設展(無料)も、なかなかのものでしたので、そちらも追って紹介しようと思います。

ではでは


そして、大森海苔のふるさと館

2019-08-22 18:52:02 | 見学・観賞

さて、昨日の大森ふるさとの浜辺公園に続きまして、

大人の夏休みの自由研究第五弾「大森海苔のふるさと館」の紹介です。

 

大森ふるさとの浜辺公園内、砂浜の方から歩いて来た時の全景です。

建物としては結構大きいのですが、中に入ると、展示は右側半分に寄っていて、割とこじんまりとしています。

三階部分も、休憩室ですし。

でも、内容的には充実していると思いました。

左側は、体験学習室(一階)、講座室(二階)で、海苔付け体験なので催し物が、毎月2、3回(8月は5回)行われています。

 

入口から入ります(当たり前か)

1Fの半分を占めるのは、海苔船(伊藤丸)。大田区に残る唯一、本当に使用された海苔船です。

まず、この博物館の凄いところは、

展示物が、”本物”ということです。

レプリカじゃないんですよね。

2Fに展示されている、様々な道具も「大森および周辺地域の海苔生産用具」の名称で国の重要有形民俗文化財に指定されています。

本物には、レプリカにはない、歴史のもの雰囲気が刻まれていて、迫力がありますね。

(レプリカや模型は、それはそれで想像を膨らますのに重要ですが)

 

ジオラマと呼ぶには大きい、実物大の”付け場”、母屋から張り出し作られた作業場。

中では、生産者ご夫婦が、海苔付け(抄き)をしています。

近づくと、この夫婦の会話が始まります。

冬場、深夜から早朝まで、電灯を灯して作業していたそうです。

海苔を刻んで、葦(よし)で編んだ、海苔簀(のりす)に海苔を貼っていったんですね。

 

これは縮小模型ですが、乾燥小屋です。ストーブの熱で海苔を乾かしていたそうな。

鈴木雅之のポスターがあったのですが、

大森海苔親善大使!

なんかイメージとしては、正直に言って、合わない。

祖父が、大森で海苔漁師だったと。

その祖父の船の上で、歌を歌うのがボーカリストの原点だった・・・って。

まあ、異論はありませんけど(苦)

 

1F奥の体験学習室に入ってみます。

ここで海苔付けが体験できるようです。

葦を使った、海苔簀作りも。

入口に飾ってあった海苔船の模型です。

沿岸に近いところで養殖している分には、小型のベガという船で良かったのですが、養殖場が東京湾の沖に方に広がり、房総とも行き来する必要ができてきたので、昭和になって、海苔専用船が造船され、海苔船あるいは親船と呼ばれたそうです。

 

2Fの企画展コーナーに進みます。

入口には、別の船の模型が。だるま船と言うようですが、これも海苔を輸送?

ではなく、沖の貨物船から、石炭を詰め替えて、着岸していたものです。

ふるさと浜辺の公園の内川河口にあった、なんとか丸が停泊していたところが、その港だったようですね。

 

続いて2Fの展示です。

大森の海苔の歴史・文化が常設展で、奥の方に企画展の展示があります。

現在の企画展は、大森ふるさとの浜辺の生き物たち 命を育む東京湾の浅瀬でした。

海苔って、イマイチ生態がわかっていませんでしたが、同株内で生殖を繰り返して、葉状体を広げていくんですね。

海苔は、冬に生産されるものと知りました(汗)。

乾燥した冬に、天日で乾燥させたら美味しくなるでしょうね。

でも、大量に買い付けた問屋は、梅雨を越さねばならないので、

こう言う焙炉(ほいろ)で火入れをして(一番下の段が火鉢みたいになっている)、湿気を除き、品質を維持する苦労があったのですね。

右手の海苔箱は、懐かし〜。茶箱もそうですが、こんなの実家の蔵にあったなぁ(懐)

 

こちらは海苔を乾かす道具、

1Fに展示されていた”付け場”で、海苔簀に海苔を抄いて、天日で乾かしたそうです。

海苔の付いた面から乾かすと、海苔が縮むので、簀の裏側から乾かしたそうです。

魚の切り身は、皮目から焼く、みたいなノウハウですかね(笑)

で、天気の悪い日は、1Fに模型があった乾燥場で、ストーブで乾かしていたと。

写真右手は、海苔切りの道具です。

海苔づくりの最初の作業は、1Fの”付け場”で、奥さんがやっていた海苔切りで、

昔は包丁で刻んでいたのが、挽肉を切る機械のようなものができて、だいぶ楽になったようですが、

天日で乾かすのが基本なので、朝日が出るまでに、海苔抄き、海苔干しを終えねばならず、

日中は日中で、海苔の摘み取り、ヒビ(海苔がかかっている竹や木)のメンテ、畑仕事もあったでしょうから、

一体、いつ寝ていたのでしょうか。。。

 

続いて、海苔を摘み取る道具です。

ベガという小さい船に乗って、ザルを持って、素手で摘み取っていたそうです。(海苔が滑るので。しかも、収穫時期は冬)

こんな感じで摘み取っていたのですね。

(ただ、これはヒビではなく、海苔網を使うようになったからの風景)

郷土資料館の海苔コーナーに似た模型がありましたが、

”ふっきり拾い”という、ヒビ(海苔を付着させるもの)から落ちた海苔を拾っているところ。

こちらは高下駄を履いて、ヒビを立てているところの模型。

右端の黒っぽい枝が、木ヒビ。

中央の逆さにした竹箒のようなのが、竹ヒビ。

その前にあるのが、低めの高下駄。

左は、150cmもある高下駄。

奥のV字は、杖みたいなもの。

使い方は、模型のイメージを参照。

ヒビは高さが一定なので、満潮干潮の影響を受けるので(干潮時でないと採集できない)

戦後、海苔網が使われるようになって(満潮時も、海面に引き上げて採集できる)、ヒビが並ぶ風景はなくなったようです。

 

これはうっかり確認しませんでしたが、やはり海苔船の模型かな。

 

以上、大森乗りのふるさと館の展示でしたが、

大人の私としても、当時の海苔養殖がどのように行われていたのか、よく理解できました。

概ね、昭和初期のことなので、機械化されてはおらず、手作り感が強い、ひと昔前の産業という印象を強く受けました。

展示物は本物(文化財)なので、ノスタルジックかつ迫力のあるものでした。

ただ、当時の海苔漁の苦労は、道具や写真から伝わるものがあり、高度経済成長、東京湾の改修、水質悪化から、

昭和38年に、海苔漁を廃業せざるを得なかった、別の言い方をすると、伝統を捨てざるを得なかった苦悩は、想像しきれないものであったことかと。

 

他方、子供向けのコンテンツは、そこまで重く考えず、遊びながら勉強できるような工夫もありましたし、

内容そのものは、子供騙しではなく、大人が読んでも興味深い内容でしたので、親子で勉強するにいいかと。

2Fビデオ放送、そして1Fにはパソコンで、大森の海苔情報を深掘りもできます。

 

そして何より、体験できる催しですね。

大人だけで参加しちゃだめかな。。。

群馬にいる姪たち、遊びに来ないかな。上野の恐竜博にも連れて行くのに。

自分が行きたいだけだけど(邪)

 

最後に、3Fの休憩室からテラスに出て、3Fの上の展望デッキに登れるので、そこからのふるさと浜辺の公園の景色です。

 

当初は、大森海苔のふるさと館大森ふるさと浜辺の公園の後、

大森海苔問屋街を巡ろうと思っていたのですが、

アメ横や合羽橋のように、一本の通りにズラーっと並んでういるのではないのですね。

エリア的には、平和島、大森町、梅屋敷、そして京急蒲田にまでかかる広域に点在しているので、行くなら対象を絞って行く必要があります。

(流れを汲んだ海苔問屋ということであれば、近所(池上)にもいくつかありますしね)

 

さて、大森ふるさと浜辺の公園への往復は、まあ歩ける距離でしたが、

海と埋立地のみち」全域を加えると、流石に無理でしょうね。

海と埋立地のみち」はポイントが6つ指定されているので、それぞれ行こうかな。

  • ポイント1 せせらぎ公園(大井埠頭中央海浜公園、大田スタジアム)
  • ポイント2 東京港野鳥公園(東京都中央卸売市場大田市場)
  • ポイント3 平和の森公園
  • ポイント4 大森ふるさとの浜辺公園(大森海苔のふるさと館)
  • ポイント5 京浜島緑道公園
  • ポイント6 森ケ崎海岸公園

 

ポイント1 せせらぎ公園とポイント3 平和の森公園はセットでいいかな。今回と同じように歩いて来て、公園入り口で左、平和の森公園に入れば。

ポイント2 東京港野鳥公園はちょっと先ですが、大田区民大学でも見学に行くことを推奨された東京都中央卸売市場大田市場が近いので、早朝に行くのがいいかな。ただ、一番遠いので、この時ばかりはバイクシェア使ってみようか。ポートはあるようだし。

ポイント6 森ケ崎海岸公園は、何度も行っているので、呑川沿いに河口まで行き、その先の橋を渡ってポイント5 京浜島緑道公園に行くイメージはできますね。

じゃあ、こんな感じで。いつ行くかは未定ですけど(汗)

ではでは 


アクアパーク品川

2019-08-17 17:49:33 | 見学・観賞

昨日の話ですが、和歌山に行けず、奥さんも家にいるので、

何となく”自分主体”の行動が取りにくく、Webで秋植えの野菜とか、レシピとか調べていたら、

奥さんが「○○さんが、品川のイルカのショーが面白いって言ってた。イルカの赤ちゃんも生まれたって、蒲田でポスターを見たよ。」と。

直感的に、何かごっちゃになっているように思いました。

品川水族館には何度か行っているので、今更、誰かがショーを面白いと言った、などと言う必要はないし、

マクセルのは、行ったことがないので、ショーはそっちだとしても、赤ちゃんが生まれたことをネタにするなら、むしろ品水。

Webで調べると、案の定、イルカの赤ちゃんが生まれたので品水で、去年もありましたが、イルカが子育て中なので、ショーはお休み。

奥さんにも確認したところ、ショーはマクセルの事を言っていたらしい。

で、「マクセルの行ってみたい!」と言い出したので、

ちょっと不安に思えたものの行ってみることに。

 

と言うのも、私は精神神経科に通院していて、とにかく人混みがダメ。

未だに、抗不安剤が手放せない。

しかし、今はお盆の時期、電車も空いているようだし、

TDLならともかく、マクセルアクアパーク品川なら、ひょっとして空いているのでは?

普通の土日に付き合うよりは、リスクが低いかも。。。

 

で、どうだったか、と言うと、

超満員。。。。

イルカショーの時間に合わせて行きましたが、

2Fのスタジアムに上がるまで、入口(券売機のところから)から1Fの展示も、人だらけ、歩けな−い、進まなーい。

そして、スタジアムに着いたら、立ち見も二重三重に。

ステージの裏あたりに、ようやく肩越しに覗けるスペースを見つけて、奥さんと収まりました(汗)

 

前説中。

 

しかし、ショー(パフォーマンス)が始まると、見とれてしまいました(驚)

天井からの水のカーテンやら、

噴水やら、

プロジェクションマッピング、ポップな音楽もシンクロさせて、

飼育員(パフォーマー?)も、

イルカたちも飛ぶは、跳ねるは、目一杯水を観客席に撒いて、

感動的ですらありました。

15分程度のパフォーマンスですが、2,300円の一般入場料払う価値はあるかと。

(なお、年間パスポートが4,400円なので、2回来るなら年間パスポートがお得)

そこで、もう一回、1時間半後のパフォーマンスを正面から観ようと反対側に移動し、座席を確保。

外で、ペンギンのミニショーが始まる時間でしたが、奥さんは「外は暑いから」と席確保しておくと言うので、アイスを買い与えて、私は外へ。

 

ペンギンのミニショーです。

前説が面白く、ケープペンギンはのできる芸は歩く、止まるだけ、ネタあかしをすると、くす玉を引かせるが、すぐ引けばショーは1分で終わる、引かなければ、引くまで20分待つかも、イルカだけでなくペンギンもインスタにあげて、でも品川水族館と間違わないで、とか。

そして、前説通り、ケープペンギンがよちよち歩いて、飼育員の動きに合わせて、くす玉引いて、くるくる回って、2、3分でおしまいでした。

これも前説で言っていた”オープンカーに乗って”ペンギンが登場。

飼育員さんは、ペンギンを動かすのに四苦八苦。

ペンギンの運動会というより、飼育員さんの運動会。

さあ、くす玉の下で停まったが、、、

なんとか引かせようと頑張る飼育員さん。

感動の拍手(は、飼育員さんへ)

最後は、飼育員さんに合わせてぐるぐる回る、撮影タイム。

「この後、練習するので、良かったら見ていってください。」と。

暑い中立ってショーの時間を待たなかくても良かったのでは。。。

 

さて、確保したスタジアムの席に戻ってしばらく待っていると、ようやくパフォーマンスの開始。

今度は、撮影抜きで、正面からパフォーマンスに集中しました♪

 

続いて、スタジアムから流れる大量の人に不安を感じつつ(薬で抑えつつ)、

一応、2,300円も払っているので、一通りの展示は観ることに。

 

アザラシが浮いています。

先ほどのケープペンギン(小さい)が佇んでいます。

ジャングルのエリアです。こんな人混み具合。。。

お馴染みのピラルクとか、

ピラニアとか。

トカゲなどの爬虫類も色々。

ただ、そんなにはいない。のと、解説とかはない。

なぜか、カピパラも。

トカゲらしいトカゲ。

こちらは顔、指の感じが、ラプトルっぽくてカッコイイ。

 

海中トンネルもちょっとだけありますが、にしても、人が多い。。。

サメちっちゃ。

側面からは、比較的きれいに撮ることができるのですが(ナポレオンフィッシュ+ウミガメ+ウツボ)、

トンネルの上を通るマンタには、撮っている自分(ブログ初登場)も映り込んでしまいます。

あと、近くに明るい照明があると、どうしても入っちゃいますね。

シュモクザメの構図は良かったのですが、映り込みが残念。。。

その邪魔な映り込んだ明かり、お土産ショップですが、

奥さんは嬉々として突入していきましたが(2度も)、私は入っていけず、気を静めて外で待つしかありません。

やっと出てきた奥さんと、手の甲に、再入場のスタンプを押して(海遊館もそんなだったっけ)

2Fから一旦外に出て(施設内を逆行できないようなので)、

 

1Fから入り直し、これは入って直ぐにある「ボート・オブ・パイレーツ」

バイキングって言いましたっけね、こう言うの(我々の世代では)。

人は少なくなりつつありましたが、奥さんが「絶対イヤ」と言うので、乗らずにスルー。

USJでも、一切、ジェットコースター系に乗らなかったし、(山の)リフトにも乗れないどころか、エスカレータに乗るのを躊躇する人だから(謎)

 

メリーゴーランドなんかもありました。

来た時は混んでいましたが、数時間経ってからは、そんなには。

ただ、我々の歳で、お金を払ってまで、とは(苦)

 

イルカのパフォーマンスでも使われていましたが、

1Fの展示は、基本的にはプロジェクションマッピングで幻想的にアレンジされています。

壁面に映像が当てられ、個々の水槽というより、部屋自体の雰囲気を楽しむ感じです。

こう言っては何ですが、水槽の中は、特に何もなくて(苦)。

このコーナーは、花火とか金魚をイメージした映像。

でも、実物の魚は?

珊瑚と小魚の水槽ですが、

この蛍光色は、珊瑚が光っているのかな?そういう明かりを当てているのかな?

この手の趣向は、クラゲが一番合いますかね。

部屋自体の雰囲気も変わります。

 

というところで、奥さんは大満足、

私は、イルカのパフォーマンスは良かったと思うのですが、人の多さには辟易。。。

プロジェクションマッピングで幻想的な空間を作っているのが、ここの特徴なのでしょうけど、

こちらは、個々に水棲生物を鑑賞するようなところではないです。

まして生態を知るようなものでもないから、水族館ではないね。

水棲生物を使った、パフォーマンス、エンタメって感じかな。

個人の好みですが、私は、生物の生態にフォーカスした水族館の方が落ち着いていいかな。。。

 

こっちは、夜の部でデートにいいでしょうね。

 

イルカのパフォーマンスもこれはこれとして(まさに、映像音楽効果もあるパフォーマンスですね)

水族館従来のショーも、生物を近くに感じられて、微笑ましくていいかな、と思いました。

品水にも行きたくなりましたが、その微笑ましいショーが中止されているからなあ。。。

ではでは


多摩川台公園の古墳と展示室

2019-08-14 17:44:35 | 見学・観賞

昨日の朝、呑川沿いを歩いていて突然の雨に降られて、ずぶ濡れになりました。

台風10号は全く関係なく、直後、いつもの夏空になりました。

今朝もまた、多摩川台公園に行き、古墳を眺めている時と、展示室の見学を終えて、呑川沿いを歩いて帰ってくる時の2度、突然の土砂降りにやられました。

ただ、今日も(その2度とも)、10分程度で止んだ直後、カンカンに暑くなりました。

夕立ちは降らないで、朝立ち?それとも、これもゲリラ豪雨?

 

その多摩川台公園ですが、

古墳、遺跡のたくさんある大田区で最古(4世紀)の古墳を囲うように作られ、資料展示室もあるようなので、

夏休み自由研究の第四弾として行ってきました(で、雨にやられました)

 

散歩であれば、多摩川を上ってきて丸子橋に到達したら、中原街道を通って、雪が谷大塚から呑川に向かい、呑川沿いを歩いて帰るのですが、

今朝は、多摩川の土手歩きは要らなかったので、呑川から雪が谷大塚、中原街道から丸子橋と、逆に歩いて行きました。(帰りはいつもの散歩と一緒)

(すでに降りそうな天気ではありましたね)

丸子橋の大田区側の袂から、多摩川浅間神社(多摩川浅間神社からの富士山(2019.1.26))の方に曲がって、東急多摩川駅の左脇に進むと、

多摩川台公園の下流側の入口があります。

現在、地図上、左下のあたり。公園内を上流の方へ進んで、一周します。

まず、あじさい園があるのですが、生憎、咲いていたのはサルスベリ。

いかにも「後円」な感じのところへ登ると、

広場になっていまして(以前は、多摩川から汲み上げた水を浄水する、浄水場があったと)

欧風な花壇が整備されていました。

野草園というようです。

晴れたら(暑いけど)もっと綺麗に見えたでしょうね。

その奥は、水生植物園ですが、季節柄かな、なんとなく寂しい感じ。

突き当たりが、亀甲山古墳(4世紀後半)です。

看板のある辺りが、”くびれ”部分ですね。左が”前方”、右(水生植物園とか野草園)が”後円”。

後ろを振り向くと、多摩川が綺麗に見えます。案内によると”絶景ポイント”らしい。

今朝は、生憎、富士山は見えず。雨ぱらついてきたし。

川沿いの道からも公園に登ってこれます。

緑道としての雰囲気はいいのですが、自然の林道で、急勾配なので、注意して歩くようにと注意書きがありました。

園内はちゃんと舗装されています。ランナーも少なからずいるので、ちょっと怖い。

橋の向こうに、宝來山古墳があります。

ざっくり言うと、公園の下流の方が亀甲山古墳で、上流の方が宝來山古墳(4世紀、亀甲山古墳より前)で、向き合うように作られていますが、

そのつなぎ目にもたくさん古墳があって、多摩川台古墳群(78世紀)と総称されています。

広場があります。

遊具も色々。

その奥が、宝來山古墳です。”前方”を横から。

一番の上流側の公園入口のところが、”後円”です。

ここから、公園の中程にある管理事務所の古墳展示室に向かいます。

 

武蔵野の路の看板がありました。呑川の河口にもありましたし、たまに見かけるんですよね。

歩きたい気持ちはあるのですが、いまいち全容がはっきりしないんですよね。

歩き始めたら、全部歩いてみたいし。

 

公園の外側にも広場と遊具がありました。

なんとなく、前方後円墳っぽいですが、どうかな。

亀甲山古墳の”前方”は、撥型であると説明板にあったので、それっぽくはあります。

管理事務所の建物です。

展示室の大半を占める古墳のレプリカ。

私の好物、模型です。

この展示室も模した、古墳の断面と、

墓前祭の人々。「マツリ」と呼ぶ葬儀と権力者交代の儀式。

マツリの参加者の模型です。

埴輪を基に、こう言う格好だったのだろうと想像して作ったようですが、基になった埴輪は、ここの古墳のものではないようです。

 

古墳レプリカの中が、資料の展示室になっています。

古い方(4世紀)から、宝來山古墳、亀甲山古墳がありますね。

大刀ってことは、争い事が多かったのでしょうか。まあ、戦闘だけでなく、祭事、祈祷にも使ったはずですが。

こう言うのも既に日本で作られていたんですね。

東日本でも作っていたのかな?朝廷の方から赴任者が持ってきたのかな?

 

ここは、お膝元、田園調布界隈の古墳から出土したものの展示ですが、

この辺りは、水資源が豊富な、平地だったので、早い時代から盛えたんでしょうね。

多摩川浅間神社のところも古墳でしたか。

まあ、神社、寺、城が古墳だったりするのはよくあることです。

表の説明パネルにもありましたが、古墳を設計するとき、エジプトやマヤのピラミッド同様に、陽の当たり方も計算したようなので、後年、神社を建てる時、知らずに古墳が、場所として選ばれることは否めませんね。

それと、知ってか知らずかパワースポットのような感じも受けたかも。

 

馬の埴輪です。装身具が付いているけど、権力者の乗り物、加えて、戦用だったのかね。

日本書紀によると、国造の地位を巡って、豪族同士の権力争いがあったようで、朝廷の介入で収拾したと。

 

これらの古墳からは、

馬具も随分出土したようで、

馬も家畜化されて、結構な数いたのかな。

 

ここはあまりジオラマがないのですが、「埴輪製作所」がありました。埴輪を作っているようには見えないのですが(苦)

 

多摩川台古墳群は、多摩川台公園の、宝來山古墳と亀甲山古墳の間に、こんな風に並んでいたのですね。

 

古墳レプリカから出ると、首長が木棺に入れられ、埋葬されていました。

郷土博物館の展示でもみましたが、副葬品が結構多いですよね。

権力があったんだな〜と。

ただ、なんか帽子に違和感を感じるのですが(他の博物館でも、同様のものを見ていて)、

韓流ドラマで役人がこんなの被っていたりしますが、当時の日本の権力者(朝廷の役人とか)は、やはり渡来人だったのかな。

それとも、大陸の影響を受けて、こういう衣装にしていたのかな。

 

田園調布周辺の古墳分布図ですが、まあ、たくさんあります。

正式な呼び名は「荏原(台)古墳群」で、「田園調布古墳群」と「野毛古墳群」に分けて考えられることもあると。

年代毎の、外国の遺跡との大きさ比較がありました。面白い観点です。

高さ抜きで、面積だけで比較すると、

「仁徳天皇陵(大山)古墳」>新始皇帝驪山陵アヴェベリー・ストーンサークル>登呂遺跡>クフ王ピラミッド

になります。

列石で囲ったストーンサークル、水田跡も含む登呂遺跡は、大きさを誇るにはちょっとズルいですけどね。

 

さて、改めて思いましたが、大田区って、遺跡、古墳が多いな〜

それだけ古代から、多摩川から河口にかけて人が住んでいたと言うことですし、古墳や出土品を見ると文化的にも経済的にも発展していたのではないかと思わされます。

ところで、住居とか、土器とかは再現できていますが、大きな風景って再現できませんかね。

自然のままの当時の多摩川が流れて、田園が広がって、人が暮らしていて、古墳を建設していたり、「マツリ」を催していたり、、、そんな風景を再現するような科学の発達ないかな。

う〜ん、想像するには、自分にまだ知識が足りないなあ。

 

さて、明日、歴史・時代小説+ビールで、めっちゃ気が合った義父の新盆で、奥さんの実家の和歌山に行くのですが、台風10号、どうか、すれ違ってください。

行きがけの駄賃で、なんばグランド花月のチケット買ってあるんです。。。

JR東海よ、頑張ってくれ。。。ではでは


品川歴史館の大森貝塚に関する展示は?

2019-08-09 19:36:28 | 見学・観賞

先の金麦キャンペーン「あいあい皿」の2回目の応募(3口)から2ヶ月経って、なかなか来ないな〜と思っていたら、

1口分(1組)だけ届きました。

それと、遅延のお詫びハガキが2通届きました。

残りの2口分(3+1組、ランチョンマットと小皿)は9月後半になりますと。

なかなかお披露目できませんね。

「夏皿」も夏のうちに来ないと、なんか料理の季節感と合わなくなってしまうなぁ。

まあ、応募ハガキはちゃんとサントリーに届いていたことが確認できたのでヨシとしよう。

 

さて、先日、郷土博物館に行って、大田区内の遺跡や発掘土器に関する展示は充実しているものの、大森貝塚に関する展示少ないな〜、と思ってWebで”大森貝塚”を検索したら、品川区の「大森貝塚遺跡庭園」がヒットし、”大森”なのに実は品川区か!?

となれば、行くしかありませんね。

夏休みの自由研究第三弾!

大森貝塚遺跡庭園と、その紹介が品川歴史館のHPであったので、そちらも。

さて、大森貝塚に関するあれこれは、こっちに充実しているのでしょうか?

 

既に30℃を超えている中、品川歴史館の9:00開館に合わせて、池上通りを歩いていきます。

大森駅を過ぎて、NTTデータのビルの脇にある貝塚碑のレプリカを過ぎて(帰りに寄ろうと)、

門の閉まった大森貝塚遺跡庭園(9:00開園)も通り過ぎると、

品川歴史館があります。

まず、品川宿の石垣石が出迎えますが、その脇に麦茶(無料)が置いてあり、超ありがたい♪

QRコードを読み込ませると、スマホで展示の解説文を読むことができます(音声ではない)。

スマホがなくても、解説シートは紙でたくさん置いてありましたけどね。

じっくり読もうと、軒並み貰ってきましたが、HPにPDFで貼ってありました(苦)。

入館料は100円。

まずは、常設展示の品川の歴史です(歴史館ですからね)

まず、目を惹いたのが、中央にある、品川宿の模型。

私って、ジオラマに弱い(好きな)んですよね。

イメージしやすいというか、ジオラマや模型から、想像が膨らむのです。

スーパーカーから始まって、ミリタリーものや、ガンプラも作って、ジオラマに仕立てていたプラモマニアのバックグラウンドと言うのもあります。

ともかく、この品川歴史館は、ジオラマが充実していました。

小ぶりなものもあれば、

大物も色々。

これは現在の戸越公園のあたり、細川家の戸越屋敷と御鷹場(将軍が鷹狩りをするところ)です。

こちらは、現在の聖蹟公園にあった品川宿の本陣。

家紋から、滞在しているのは長州(ちょっと、イラッ(苦))

これも良くできていますね。左下が東海寺、右上が三代将軍家光の別荘として建てた品川御殿。

品川は江戸湾に面していますので、漁業も盛んだったこともあり、底引き網漁をする桁船の模型もあります。

それと、展示室が旅籠をイメージして作られていて、泊まり客と女中さんに見下ろされています。

2Fに行くと、彼らを後ろから覗けます。

 

ちょっと模型とジオラマに心を奪われていましたが、

掛け軸や絵巻でも、当時の様子を知ることができます。

妙国寺(現在の天妙国寺)の五重の塔。現在は、礎石だけ残っているようです。

先にジオラマの写真を載せましたが、花見の様子は絵巻物(浮世絵)でもよく伝わってきます。

 

と、根っからの歴史好きなので、うっかりスルーしていましたが、

大森貝塚の貝層です。

って、これだけ?

これは、、、常滑焼の大甕で、御殿山にあったものなので、、、発掘されたものではないと。

なんだか、大森貝塚の香りがあまりしないのですが、、、

隣の展示室に行くと、近代、現在の品川についてで、

なんかレトロなモノが展示されていました。

それと、講堂(と呼ぶには小さい会議室かな)では、企画展「暮らしの中の灯り」がやっていて、灯りに関する道具(行灯とか龕灯とか)が展示されていました。

ん〜っ、大森貝塚のコーナーもあるとHPには書かれてあったが、、、2Fに行きます。

中央のパネルが、大森貝塚に関するもので、ちょっとだけ発掘された土器などが展示されていました。

再びジオラマですが、大森貝塚の発掘を行ったエリアです。広域ですね。

ジオラマ好きにはグッとくる大作ですが、都立大崎高校の生徒が作った江戸時代の大崎・五反田の模型だそうです。

土蔵相模の模型。御殿山英国公使館焼き討ちのために高杉晋作ら攘夷志士が集まったという、のは知りませんでした。

品川駅の模型です。

先の大崎高校は、全国高校鉄道模型コンテストで最優秀賞をとったということなので、こっちを作ってもらえばよかったのに。

 

ということで、生憎、大森貝塚とか古代の感じは薄いです。

こんなものは置いてあるのですが(苦)

 

あとは、庭園をまわってみます。

元々は安田財閥の邸宅、茶室、庭園のあった場所のようです。(もちろん”俺の空”の安田財閥ではない)

中央の立派に剪定された木は桜ですね。花見の季節に来たいところです。

松滴庵(しょうてきあん)という茶室。

書院造りの邸宅。歴史館にくっついているけど、現在何かに使われているのだろうか?

水琴窟がありました。ちゃんと鳴ります。ちょっと暑さが和らぎました。

竪穴式住居跡。

歴史館の建設時、大井鹿島遺跡という、古墳時代後期から奈良・平安時代の遺跡が見つかったというので、遺構を残しているのかと思ったら、復元でした。

 

以上が品川歴史館でした。

品川の歴史という点においては、特に江戸時代に栄えた品川宿に関しては興味深いものがありました。

こんな姿で旅をしたのかな。

 

ただ、こちらも大森貝塚についての展示はあまりありませんでした。

しかし、貝塚についての説明文が「貝塚とは大昔のゴミ捨て場で、貝以外にも動物の骨・土器・石器など様々なものが見つかっています。」とあるように、この規模で見つかったことは価値があるとしても、ゴミ捨て場なので、展示するとしても、貝の層と、土器の破片とかになってしまうのかもしれません。

これはきっと私の思い違いでしたね。

 

大森貝塚遺跡庭園に寄って帰ることにしますが、その模様は、明日にします。

ではでは


龍子記念館

2019-08-08 17:04:22 | 見学・観賞

ベランダ菜園ですが、パセリとベビーリーフに注意がいっているうちに、いろいろ熟していました。。。

大きくなるかと思った唯一のゴーヤの実は、小さいサイズのままオレンジ色に。。。

やはり、小さいネットで”盆栽風”では、実は大きくならないか(苦)

 

獅子唐は、黒くなるのは栄養不足とWebで読んだので、黒くなりかけたら収穫していましたが、

黒くなった先に、赤くなるのですね。。。栄養不足じゃなかったんか。

 

鷹の爪もどんどん赤くなっています。

新しい緑の実もどんどんつくので、結構な収穫が期待できそうです。

何れにせよ、獅子唐は週末には収穫して食べないと。焼き鳥にでもしようかな。

 

さて、会社を辞めて、永遠の夏休みとか言ったこともありましたが、

子供の頃以来の、本当の夏休みらしい、夏休み感覚を味わっています♪

先日は、夏休みの自由研究のような気分で、郷土博物館へ行ってきましたが、

今日は、夏休みの自由研究第二弾、龍子記念館です。

 

池上本門寺の龍の天井画を描かれた日本画家で、同じ和歌山出身の奥さんが、本門寺に行く度に、自慢気に語ります。

私は絵を見るのは好きですが、評するほどの知識はなく、記念館という名の美術館があることは知っていても(大森に行く時、前を通るので)、ちょっと敷居が高かく感じていたのですが、

現在の展示企画が「カッパと水辺の物語〜龍子のトリックスターたち〜」と、街角掲示板のポスターで知り、ちょっと敷居が下がった感があって、行ってみることにしました。

建物の外観です。

階段を上がって、受付でチケット(200円)を買って入ります。

館内は写真を撮ることができないので、今回、画像はないのですが、感想はちょっと紹介してみたいと思います。

繰り返しますが、絵画を評するほどの知識も鑑識眼もないので、私が見た範囲での、あくまで個人の感想とご理解ください。

 

絵の特徴としては、

墨絵、水墨画のような輪郭の取り方をしています。

墨書の筆使いのような力強く流れるような筆致が特徴的です。水の泡立つ感じとか、龍の輪郭とかが特に。

水彩画、水墨画のようなあっさりした彩色もあれば、油絵のような濃いの彩色もあります。(使われていたのは、天然岩絵具)

水が流れるような、動き(流れ)を感じるモチーフが多いように思えます。

 

これまで私が見たのは迫力のある本門寺の龍の天井画だけで、TVで紹介される昔の日本画家に対するステレオタイプから、厳格・頑固な人かと思っていたのですが、

今回、カッパの絵を見ると、この方は随分くだけた、柔軟な人だったのではないかと思い直しました。

自分を龍の子(故に、画号が龍子)として、龍へのこだわりを見せていたようですが、

人としての自分の気持ち、思い出、世相などを、龍ではなく、カッパに置き換えて、おどけて表現しているように思えました。

 

一時間弱、現在展示されている31点と、パネルや絵道具をゆっくり観て、次は道路を挟んで対面にある龍子公園(アトリエと旧宅がある)の定時ツアーに参加します。

この時、見学者は私だけだったので、学芸員の方と2人きり。なんと贅沢なことか。

旧宅の方へ行く前に、記念館の建物についてお話を聞きます。

57年前の1963年に、川端龍子本人によって、建てられた美術館(名前は記念館)。平成3年から、大田区に移管。

こういう美術館は故人になってから作られるものだが、龍子の場合は、生前、自ら作ったものなので、本人の希望が直接反映されている。

展示室は、片面だけに作品が飾られ、大きな窓から自然光が差し込んでいた。

これは、龍子が、自分の作品は自然光で見るのが一番と考えていたから。

当然、日差しで痛むことが懸念されたが、本人が自分で修復すると言っていた。作者が存命であった故の話。

亡くなられた後、流石に直射日光を当てている訳には行かず、カーテンで日光を遮蔽するようになったと。

 

続いて、龍子公園に入ります。

兎角、龍へのこだわりが強く、竹垣も龍の鱗のようだったから、とのこと。

公園(アトリエ、旧宅)の方は、特に写真撮影が不可ではなかったと思うのですが、

マンツーマンで丁寧にお話いただいたので、写真を撮る(心の)余裕がありませんでした(笑)

 

庭の通路が臥龍をイメージしていたり、

桟のところが、竹の網代編みになっていて、これも龍の鱗をイメージしていたり、

畳の組み方が、角を合わせず、卍の形にしているのも、鱗をイメージだったかな。

ただ、龍の絵はそんなに多くないと。

天井画のような大作は龍がモチーフだが、4点のみ。本門寺のは遺作で未完。

(鯉はよく書かれているように思えましたが、龍を意識してかな?鯉が滝を登って、龍に変ずるので)

 

それと、自然光こだわりがあるので、60畳のアトリエも、ガラスで囲まれたテラスのようでしたし、

旧宅には電灯のない仏間があり、明り取りから間接照明として、明かりを取り込んでいたりしていました。

 

一通り丁寧に説明していただき、雑談して終わりましたが、

私一人にすみません、と言ったら、まあ、今の時期は特に少ないとのこと。

夏休みを利用して子供に来て欲しいので、カッパの企画にしたと。

(それに、いい大人がひっかりました(笑))

近所に住んでいながら、なんとなく敷居が高くて、今回、カッパで敷居が下がったので来ました、と言ったら、

苦笑しながら、記念館と称していたり、階段を上がったところが入口だったり、なんとなく立ち寄り難さは気にしている。

区内より区外の人が多いそうで、もっと区内の人に気軽に来て欲しいと言っていました。

 

所蔵している作品は140点あり、四半期ごとの会期で、20〜30点ずつ展示しているので、一周するのに2年くらいかかるそうです。

今回、カッパの導きで、川端龍子の敷居が下がり、家から歩いていける距離だし、200円だし、3ヶ月に1回来るのもいいですね。

ではでは


大田区立郷土博物館

2019-08-06 17:24:02 | 見学・観賞

今朝も多摩川から富士山のシルエットが見えて、一安心(笑)

雲が夏っぽくなかったのですが、日中は見事に猛暑日、雲も立体的に変形していましたね。

 

さて、以前より興味があった大田区立郷土博物館に行ってみました。

子供の頃、夏休みって、日記や自由研究のネタがなくて、お金のかからない公共の博物館とか行きませんでしたか?

”大田区を中心とした人文科学系の博物館で、考古、歴史、民俗資料などの文化遺産を保管、展示しています。”と言うことなので、

夏休みの子供気分で行ってみました(笑)


1Fの特集展示は、三島弥彦について。

この人物は存じ上げなかったのですが、

大河ドラマの「いだてん」の主人公、金栗四三はストックホルムオリンピックのマラソンの代表でしたが、三島弥彦は、短距離の代表であったとのことです。

大田区出身なのかな?と思ったら、そうでもない三島弥彦の展示がある背景は、現在では滑走路の下になっている、羽田運動場で選考会が開かれたから。

 

2Fに上がって、右手のホールは、大田区の考古学、地中の歴史コーナーです。

歴史の教科書でしたっけ、大森貝塚を習ったのは。

大森貝塚から出土した土器です。

大田区って、多摩川の河口に位置しているので、古代にたくさん人が住んでしたんでしょうね。

それで遺跡、古墳が多く、しかも、旧石器時代の遺跡もあるんですね。

 

縄文時代の展示です。こんな感じで貝塚が発掘されたのでしょう。

イメージ(オオツノジカの角を彷彿させる)通りの縄文土器ですが、必ずしも名前の由来の縄目の文様があるわけではないのですね。

最近まで考えたことがなかったのですが、たまたま見たTV番組で、縄文土器の底が尖っているのは、土に挿して安定するようにしていたのと、

かまどを作らず、焚き火にかける時も、土器の周りで火を焚いたからと言うのを知り、なるほど〜っと思いました。

昔の学校教育って、これを縄文土器というのは教えても、なぜ、こういう形なのかは教えませんでしたね。

土器の作り方の解説ですが、白い手先が何だか不気味。。。

馬込貝塚から出土した、埋葬された犬の骨です。

オオカミをペット化したのが犬と、どこかで習いましたが、日本で家犬化が始まったのは縄文時代とのことです。

 

弥生時代に入ります。首の細い壺みたいな弥生土器。

なお、その時代の様子、遺跡の説明パネルもわかりやすくて、説明を読みながら展示品を鑑賞する事で、より興味を持って、理解を深めることができます。

「土師器の出現 古墳時代のはじまり」とあるのは、素焼きの土器が作られたのが古墳時代からで、埴輪も素焼きですね。

ぱっと見紛らわしいのですが、中世に、土師器(はじき)にとって代わったのが、土器(かわらけ)で、かわらけを作る職人が土器師(かわらけし)。漢字三文字の並びが違います(笑)

色々な埴輪も出土しているようです。

発掘作業のジオラマです。一度、こういうのに参加してみたいですね。できれば、恐竜の化石で。

考古学は、遺跡から当時の生活や文化だけでなく、自然環境や人類がどう適応してきたかもわかってくるので、必ずしも昔を知るだけではなく、現在、未来に適用する学問でもあります。

古墳時代ですので、豪族の墳墓からは、豪華な埋葬品も見つかっています。

大田区には、横穴墓が数百基見つかっているそうな。大田区ではありませんが、等々力渓谷にもありましたね。

人骨も出土していて、どんな顔だったのが復元模型の展示もありました。

横穴には、これらの模型のような形で埋葬されていたようです。

弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡では、甕棺の中に蹲っているようでしたが、古墳時代になると真っ直ぐ寝かすようになるのかな?それとも地域差?

 

長野県立博物館から拝借して展示している赤い土器もありました。

一個だけ?

 

続いて、2F左手のホールですが「水をめぐるふるさとの暮らし」コーナーとして、多摩川、六郷用水に絡めた、農業や伝統芸能の展示があります。

天井から吊るされた大きいのは「六郷とんび凧」です。

江戸時代に、漁師が、獲れた魚を干しているのをカラスに荒らされて困っていたところ、この凧を飛ばしたら、カラスが逃げたので、たくさん作られるようになったとか。

こちらは獅子舞(ししまい)ですが、「水止舞(すいしまい)」というようです。

室町時代に、日照りを解消するために、大森願証寺の法密上人が、藁の竜頭を海に放ったら雨が降り出したものの、今度は止まなくなったので、3体の獅子頭を作って舞わせたたら、晴れたので、「水止めの舞」「水止舞」と呼ばれるようになったとか。

 

ホールから出たところのショーウィンドーには、「友の会」のコーナーとして、会員の蒐集した(のかな?)、張子や土鈴の魚、舟の模型の展示がありました。

「玩具水族館」と言う命名がぴったりです。

こう言うのも、いかにも「郷土博物館」っぽくていいですね。

唐津くんちのでっかい金魚(じゃなくて鯛)を思い出しました。

 

3Fに行きまして、右手のホールは「馬込文士村」のコーナーです。

一帯の模型で、ボタンを押すと、その文士(作家、画家など)の家が光ります。

あまり詳しくないので、知っているのは数人かな。。。

まあ、ビックネームは、へぇ〜って感じですが、自筆原稿とかみてもイマイチ(苦)

絵だと、画家の名前知らなくても、ほぉ〜って思います(苦)

ちょっと笑いましたが、北原白秋の家の窓枠。文化的な価値があるのかな。。。

 

一転、左手のホールに続くところから、大田区の生活感のある展示になります。

昔、藍染が盛んだったようですね。池上にお店が残っていますし、地域のお祭りとかで、展示されたりしています。

こちらは、鎌や鍬。農具や、海苔の養殖、貝を剥く鉄製品も多く作られていたようですが、地域産業が機械工業に変わるにつれ無くなっていったようです。

よく見聞きする「大森海苔」の養殖です。

そのうち「大森 海苔のふるさと館」も行かねば、と思っているのですが、アクセスがね。。。

ところで、養殖海苔って大森が発祥だったような。

それに、海苔問屋街もありますが、大森の海苔というのはもうないんですね。

展示パネルを読んで気づきました。

確かに、大森や平和島あたりの、現在の東京湾では海苔の養殖はできませんね。

波が静かで、遠浅の東京湾は海苔作りに適していたことから、江戸時代の享保年間に海苔養殖が始まったようですが、昭和30年頃から海苔漁場の汚れが目立ちだし、昭和37年には、東京湾の改修工事に伴い、漁業補償の成立と共に、海苔漁業が終わったと。

漁業権は放棄したものの、仕入れ先を他県に替えて、問屋と小売は続けていると。

まあ、仕方ないかな。

この模型は、篊(ひび)から流れ落ちた海苔を拾う、昭和初期の様子らしいのですが、なんか遠い目をしていますね。。。

 

さて、大田区が農漁村から市街地に変わったのは大正時代で、機械・金属・電気関連の工場を誘致していったようです。

昭和に入って、戦時体制に入ると、兵器工場の様相を示し、故に、戦争末期は、空爆の対象となり、壊滅的な被害を受けることになったのですが、朝鮮戦争の特需がきっかけで、「モノづくりのまち」が再生したようです。

 

羽田空港がありますから、戦後、航空産業が発展し(写真は大森生まれ羽田育ちの航研機の模型)、

大きくは、下町の町工場ですね。1950年代の工場の模型です。

 

それと、これは知らなかったのですが、江戸時代「麦わら細工」が有名だったのですね。

色とりどりに染めた麦わらを動物の姿に編む「編み細工」と、木箱に縞や絵模様を張る麦わらを張る「張り細工」があり、「海苔」と共に、東海道を行き交う人々の旅の土産として親しまれていたと。

繊細な細工に驚きました。

「モノづくりのまち」の素地はこの頃作られたのかもしれませんね。

最後に、ちょっと戦争と、戦時中の学童疎開の話を見て、郷土博物館の見学は終了です。

 

展示物も豊富ですし、説明パネルはわかりやすいです。

大田区の特徴にフォーカスした展示で、大田区民歴が2年弱の私には、地域を知るための良い機会でした。

文士のところは、ちょっとスルー気味でしたが、とりわけ土器のところはじっくり鑑賞したので、一時間半くらいいました。

館内で、遺跡巡りの地図(5コース)が無料配布されていたので、遠慮なくもらってきました。

まずは、大森貝塚に行ってみることにしますが、暑さが緩んだら、それぞれ歩いてみたいですね。

 

それはそうと、土器のコーナーで、大森貝塚にフォーカスした展示が少ないように思えたのですが、、、

大森貝塚は、品川区(品川歴史館)だったのですね(苦)

ではでは


ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2019-06-13 18:33:42 | 見学・観賞

梅雨の晴れ間と言うのでしょうか。いい天気です。

呑川を上って、洗足池を周って、また呑川を下るのではなく、中原街道から荏原病院通りに入って本門寺の方向に歩くと、

昴児童公園という小さな公園があります。

ただ、他の公園を大分違うところがあります。

足の踏み場もないくらい、草花が咲いています。

奥の方から、右手の住宅のフェンスに沿って花壇があるのですが、

そこから種子が拡散するだけ拡散して、咲いているのでしょうか。

花壇と遊び場の境目は、もはやありません。花壇の方は、花ごとに名札が付いていて、丁寧に整備されているようですが

自然の力を思い知る光景です。

手前の段のところまでが花壇のようで、走り回るには子供でも躊躇しそうです。

 

その先にある雪谷保育園ですが、花壇が綺麗に整備されています。

大田区主催の講座で、環境対策課長が毎回紹介してる「18色の緑づくり」で、

雪谷地区の花、ペチュニアが綺麗ですね。(キッチンガーデン講座で配られていた、紙プレートもちゃんと使用されています)

うちにある池上地区のひまわりと日々草の種は、どうしようかな。

 

さて、枕噺が長くなりましたが、本題のゴジラです。

TOHOシネマズの鑑賞ポイントが貯まっていたのですが、ここ暫くは、Tジョイプリンス品川にばかり映画を観に行っていたので(観たい映画が、TOHOシネマズでやっておらず)、鑑賞ポイントが切れそうになっていたこともあり、

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を観てきました。

奥さんは全く興味を示さないので、一人、散歩も兼ねて、TOHOシネマズ川崎へ。

 

観た感想をお話しすると(ちょっとネタバレあり)、

 

まず、面白かった。良くできている。ハリウッド版では、これまでより、最も日本のゴジラっぽい感じだからかもしれないけど。見てくれも、ストーリーも。

見てくれに関しては、ハリウッド版の最初のTレックスぽさはなく、日本の直立した感じです。が、筋肉質な体型は、ガメラに近いと思いました。さらに言うと、首から肩の感じは、むしろ、マイク・タイソン(笑)

今回のゴジラ。人類の味方です。ボス猫みたいな感じで。

在りし日のマイク・タイソン。

なお、ガンダムファンの私には、顔がゲルググに見えて仕方ありませんでした(笑笑)

シャア専用ゲルググ、似てるよね。

それに、その他の怪獣がキングギドララドンモスラという、その対決構造は、昔の東宝まんが祭っぽい親近感もあるからかも。

また、バックグラウンドの共有やオマージュも感じられますね。

キングギドラが宇宙怪獣であること。倒したのにまた登場する布石があったり(日本のゴジラ映画でも、倒しても倒しても、現れるし)

日本では阿蘇山から現れたラドンが火口で死ぬんだけど、場所はメキシコと違えど、火山から現れるところとか、

オキシジンデストロイヤーが米軍の兵器として登場するとか、

(「特撮のDNA(2019.1.20)で、日本工学院に展示されていたオキシジンデストロイヤー)

そのオキシジンデストロイヤーで日本の初代ゴジラを殺した芹沢博士が、今度はゴジラを生かすための犠牲になったりして。

ただ、ちょっとどうかと思うのは、映画のバックグラウンドがジュラシックワールドっぽいこと。エコって、ハリウッドのコンプラなのかな?

キングコングのエンディングで、キングギドラとゴジラの戦いが壁画に描かれているシーンがありましたが(ロケ地がハロン湾だったので、赴任中、ベトナムでやたらスタッフが騒いでいました。現地では観ませんでしたが)、このエンディングでも、ゴジラとコングの戦いの壁画が出てきて、次回作のゴジラvsキングコングの前振りも抜かりないこと(やたら髑髏島の名前が出てきたし)

怪獣を、英語でタイタンって呼んでしたこと。

まあ、そのあたりは仕方ないかなあ。あと、見どころとしては、

モスラの共生を超えた、ゴジラに対する、むしろ友情が泣ける。

そして、ショートカットのチャンツイーが超可愛い。

つまり、観て損はないと思いました。

ではでは


お父さん、チビがいなくなりました。

2019-05-22 19:12:52 | 見学・観賞

昨日の風雨が一転、快晴でしたね。

激しい雨の後は、空気が浄化されるような気がしますし、気温も朝早くは高くなかったので、気持ちのいい朝活散歩でした。

空気がきれいな時は、視界の開けた多摩川の土手に行きがちで、

多摩川大橋の下流側、土手ではなく、土手の下の方を歩いていたのですが、土手の斜面が微妙に黄色がかった感じがしたので、寄っていくと、

(写真では花が黄緑に近く見えますが)

黄色い小さな花がたくさん、混じって咲いているので、土手がやや黄緑に見えたようです。

当然、花の名前は知りませんので、後から、Googleで画像検索してみますと、

Eranthis (winter aconite)だそうです。

和名はキバナセツブンソウ

似ていますが、咲く時期(名前の通り節分のある2月から3月)、茎の長さが違うので、たぶん違いますね。

画像ではなく、「黄色い小さな花」「5月」で検索すると、それはそれは色々出てきますが、

ウマノアシガタ(キンポウゲ)ではないですかね。。。確信を持ちようはないのですが。。。

花に興味を持ち始めたものの、全然、知識が追いつかないというか、増えていきませんね。

 

さて、先週末は「ハーブ講習会(2019.5.20)」に行きましたが、映画「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」を観にも出かけました。

熟年離婚しそうな夫婦を倍賞千恵子と藤竜也が演じているのですが、ネタバレしない程度に感想を述べると、

 

先の展開が観客には容易に読めてしまうし、伏線はあってもシンプルで、

えっ?となることもなく、結果を見ると、そうそうそれそれ、と思ってしまうのですが、

当然ながら劇中の登場人物は分かっていないのが、何とももどかしく感じさせられます。

出会った頃の話の裏などは、特にそう。

でも、不快に思うこともなく、観客は、共感できるし、最後は、疑いや不信感が氷解して、いい熟年夫婦に昇華するという、ドキドキハラハラもなく、期待と予想通りの結末に、ほっと安堵する映画でした。

 

観終わって外に出たところで、他の観客のおばさん三人組の一人が「あんな老後を期待したのに、この間、68歳で死んじゃって」と、あっさり言ってのけ、残り二人は(友人ではないのか?)それを知らなかったようで、沈黙していました。まあ、そんな風な感傷を抱かせる映画であったということです。

 

ただ、一点、気に入らないことがありまして、

原作のタイトルは「お父さん、チビがいなくなりました」なのに、映画タイトルが「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」と”初恋”を足していることです。

映画を見れば、この”初恋”の意味はわかるのですが、タイトルにつける必要はないのではないか、と。

最近は少なくなったものの、洋画のタイトルに、配給会社が余計な言葉を足すことがありますが、それに似ているような気がしました(フォレスト・ガンプに、”一期一会”と足したような)。。。

まあ、タイトルの”初恋”を意識した上で、観に来た観客がどれだけいたかですけどね。

 

それと、ふと思ったのが、最近、よく邦画を観に行くな、と。

ベトナム赴任中は、現地で洋画の大作は見られるものの、邦画は公開されないので、東京出張の飛行機内で優先的に観ていましたっけ。

とは言え、洋画も劇場に観に行くことはほとんどありませんでしたが。

国内線同様に、周りが五月蝿過ぎて。

ただ、洋画は、欧米と日本で公開時期がずれることが多く(日本では、GWとか夏休みに当てる為に遅らせたりするので)

日本で公開する頃には、DVDが出回り、(帰任する頃)5万ドンだったから、250円くらいで買えたので、それをパソコンで観ていました。

このDVD、当然海賊版ですが、

昔、バンコクやジャカルタで売られていた、劇場で撮影したビデオをコピーしたものではなく、ちゃんとしたDVDをコピーして売っていたので、メニューからチャプターや字幕が選べました。

ただ、字幕が何十種類もの言語に対応していたり、スペースやカンマの位置がおかしかったり、純粋にコピーされたものでもなかった感はありましたね。

現在の駐在員に聞くと、今はもう海賊版のお店はないそうですが、正規品を売る店はできたのかな?

ベトナムは共産党が文化統制している国なので、売っている店を見たことはなかったなあ。

仕事でも、日本から送られたDVDの受け取りは、通信情報省に中身を説明して、いちいち許可を得なければならず、面倒でしたしね。

その辺の話は、「ベトナム生活あらかると」(旧ブログタイトル)で書いたかな。。。

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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