池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

偶然、堤方権現台古墳と万両塚

2019-09-10 17:53:06 | 地域情報

今日も猛暑日でした。

台風後のこのシナリオ、おかしいよね。。。

昨日、蒔いたベビーリーフの種が渇かぬよう、鉢を日陰に移動し、霧吹きを何度もかけましたが、大丈夫かな。。。

 

それでも、朝は、呑川を下流へ蒲田まで散歩に出かけ、そして本門寺にも立ち寄りました。

と言うのは、昨日、呑川から洗足池に向かうと、街路樹が抜けたり、公園樹が折れたり、台風の被害が酷かったので、

呑川の下流、本門寺は大丈夫だったのかとチト心配に思ったので。

 

呑川の下流は、そもそも強風に煽られるような樹木が少なく、特に変わった様子はありませんでした(堵)。

むしろ、心配するなら桜並木の旧呑川緑地でしたかね。

ただ、呑川沿いに蒲田に行って帰ってくるだけででも、ちょっとしたお土産がありました。

JRの線路の下を通って、東側に出て直ぐのところに「鈴木旗染店」と言うお店がありました。

(何度も前を通っていたのですけどね(汗))

旗、暖簾、幟を手染めで染めている創業50年の老舗の染物屋さんでした。

ちょっと中を伺いましたが、染料の入れ物とか、道具が見えて、、、

取材とまで言いませんので、ちょっと見学はできないものでしょうかね(興)。

家に帰ってから調べたら、HPインスタがありました。

それと、数年前ですが、ぶらり途中下車の旅にも出演していたようです。

いいなぁ〜、こんな職人気質の下町のお店。

今の所、注文するネタはないけど、死にそうになったら、うちの家紋(梅鉢紋)で陣幕でも染めてもらおうかな。

 

続いて、本門寺ですが、

境内をふらふら歩いて、大きな木が倒れてはいませんでしたが、大小の枝が折れて、散乱していました。

昨日の今日で、片付けに手が回っていないのでしょうかね。

そんな中、こちらもお土産がありました(笑)

こちらは随分と大きなお土産で、

本門寺の五重の塔の裏の方に行くと、佐伯矩氏の碑、本門寺公園の入口があり、妙見堂池上七福神の樹老人)の裏手に出るのですが、

その裏手から、妙見堂に行ったことも、妙見堂に登って(かなり急な石段)、裏手に抜けたことがなかったので、

いきなり、こんなのに行き当たって驚きました。。。

 

説明板には、永寿院と言うお寺の「万両塚」と書かれてあります。

まず、目の前のオブジェですが、初代紀伊藩主、徳川頼宣公の娘(徳川家康の孫)、芳心院の墓所です。

裏から入ったので、正面に回ります。

なお、「万両塚」とは、建設費が一万両に及んだとの俗説から生じた芳心院墓所の俗称だそうです。

外堀は、水を蓄えられていた形跡がなく、当初から空堀であったので、蛇よけに水が張られたというのは”伝説”です。と、わざわざ説明書きがありましたが、”伝説”とは何でしょう?

これは芳心院が、生前蛇嫌いであったため、没後も蛇を遠ざける目的で外堀を作ったという伝承があるようです。

そもそも蛇は泳げるので、眉唾ですが、この伝承から、芳心院を「ヘビヒメ」と呼称している地元の方も多いとか。


そして、この墓所を囲むように、弥生時代、古墳時代の遺跡があります。

これは弥生時代の住居跡だそうです。

半円になっているのは、住居跡の上に墓所が建てられたからだそうです。

江戸時代に考古学はなかったでしょうからね。

こういうのを”歴史の重層”と言うようです。

(実際、弥生時代の住居跡の上に、古墳が作られ、その上に、江戸時代の墓所が建てられ、その上に現代のお墓が造られていますからね)

なお、この復元方法は、本物の住居跡は埋め戻して、石膏で型をとって樹脂モルタルで作ったレプリカを真上に設置する「原位置再生」と言うようです。

 

その先には、復元地層のトレンチが作られています。

これも同じで、この壁面を剥がすと、チバニアンのような、そのままの地層が見られるのでしょうかね。

何れにしても、このような地層がここに存在し、各時代の遺物が発掘されたようです。

一番深いところは、先の弥生時代の住居跡の端に当たります。

さらに先には、さらに弥生時代の住居跡が顔を出しています。

そして、こちらは時代が古墳時代に移って、堤方権現台古墳です。

馬具、木製の鞘に収められた鉄製直刀、鉄鏃のついた矢などの副葬品、

それと埋葬者の下半身の骨格が見つかったそうです。

なぜ、下半身だけか?

昭和7年、住居建設のための整地で、古墳の主体部と一緒に、ごっそり削られたのではないかと。。。

 

もののけ姫のこだま?ではなく、私の好きな埴輪が覗いています。

弥生時代の住居跡に並行して建てられているのは、古墳遺跡内合祀墓。

発掘された骨とか収められているのかと思いましたが、1500年前の先人と一緒に眠るための、現代の人の納骨堂とのことでした。

(古墳の被葬者の遺骨(の混じった土)は、復元古墳に埋葬されているようです)

 

遺跡の発掘の模様、墓所の由緒など、歴史的な情報は、永寿院のHP(歴史の扉)に詳しく載せられていて、とても参考になりました。

ただ、「万両塚」だけ観て、お寺には寄らずに帰ってきましたが、、、実は、出土品が本堂に展示されているようです。

これは、改めて行かんとね。

 

その後、妙見堂の方から降りて、池上会館の前にでたところ、「大田地域遺産写真展(大田ユネスコ協会、大田区主催)」の看板を見かけ、そちらにも立ち寄ってきました(お土産のおまけ)。

見慣れた風景、まだ見ぬ風景の写真を鑑賞し、今日、偶然、行き当たった「万両塚」もそうですが、まだ見ぬ色々な史跡があるんだろうな、、、と思いました。

うちの近所でこれですから、まだまだですね。

ではでは 



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