7/19船橋駅南口を出て周囲を散策し昭和の香りを撮影。成田街道、千葉街道(国道14号)を通り、船橋市消防局の隣にあるこの日の目的地「玉川旅館」に着きました。5/20の朝日新聞千葉版に、100年も続く玉川旅館が6月から取り壊されるという記事を見て、撤去される前に行こうと思い、機会を待っていたのです。しかし新型コロナの影響で、この日になってしまいました。
千葉街道を渡りNTT船橋横の細い道を入ると割烹旅館・玉川の大きな看板が見えてきます。
この旅館は大正10年(1921年)に創業。楼閣風の木造建築で、2階建ての本館は昭和16年(1941年)の建築です。他に第一別館(1953年建築)
と第二別館(1958年建築)があり、3つとも国登録有形文化財に指定されていました。入り口を入ると玉川という文字が見え、まだ解体前なのかと思ったのですが、さにあらず重機が置かれ建物がありません。下の写真は昨年9月に同じ角度で撮影したものですが、景観が一変しています。
太宰治は昭和10年(1935年)頃、この旅館の「桔梗の間」と言う部屋に20日程宿泊し小説を書いたといわれています。しかし宿代が無く、その形(かた)としてとして本や万年筆を置いていったそうです。その品も昭和51年の火事で焼失してい舞ったとの由。下も上の写真とほぼ同じ場所を撮ったもので、昨年9/15に撮影。
以前カーブミラーに映った玉川旅館を撮影しましたが7/19も同じ場所で撮影しました。以前の物には旅館の建物が写っていますが、7/19の物にはシートが掛けられ建物は在りません。また昭和が無くなっていきます。寂しいかぎりです。