8/4(日)ツレと木更津市矢那の道しるべが彫られている馬頭観音を撮影に行きました。TVが連日異常な暑さと騒いでいるのもわかるのですが、車の中は自宅より快適。ガソリンを使うのも遠慮するべきと言われそうな今日この頃。車で古の道を巡り高倉観音に行くことにしました。
この馬頭観音は高蔵寺通称高倉観音に向かう巡礼者たちの道しるべとして、江戸時代の寛政6年(1794年)今から230年前に立てられた物です。側に置かれた説明板によると左側面に「南高蔵六丁(約654m)」右側面には「東此方ちば寺道」と刻まれています。上と下の写真が「南高蔵六丁」と彫られた左面です。200年以上も経っている割には読むことが出来て、昔の職人の技術の高さには感心させられます。
千葉寺は板東29番札所。上の写真が「此方ちば寺」と刻まれた馬頭観音像の右面です。またこの馬頭観音は元来はこの場所ではなく、後方に向かって立っていたそうで、矢那川ダム建設に伴い移動したようです。
この標識から高倉観音に向かう道は現在は舗装された県道23号線をアカデミア方面に進み、県道33号線との交差点を久留里方面に曲がります。約150m進むと高倉観音への看板が見えてくるので、そこを左折します。200m位上り坂を行くと高蔵寺・高倉観音に到着。車の距離計ですと馬頭観音から1280m位という数字がでてきます。
高蔵寺通称高倉観音は木更津市矢那にある真言宗豊山派の寺院。山号は平野山(へいやさん)、板東33番観音霊場30番札所です。山門に向かう階段を上ると左手に立て札がおかれています。何年か前までたっていたご神木の事が書いてあります。
高倉観音は藤原鎌足公の伝説の地でもあります。鎌足公はこの観音を深く崇拝し、七間四面の本堂や阿弥陀堂、三重塔、鐘楼等を建立したそうです。そして境内には大化の改新後の650年7月に鎌足公が腰を下ろして休憩したという腰掛石もあります。
またこの地方には、鎌足という名が付いた桜や地名が色々残っており、全部ではないですが、鎌足公ゆかりの人たちが住み、伝説を残していったのではないかと言われています。