8月15日(終戦記念日)が近づくにつれ、先の悲惨な戦争の事が思い起こされます。木更津は昭和11年(1936年)に飛行場が建設され、陸上攻撃機が配備。同年4月1日に木更津海軍航空隊が開設されました。それから85年木更津は良くも悪くも基地の町として歩み、現在上空をオスプレイが飛行しています。
そんな中、コロナ禍で旅行が出来ず市内を散策する事が増えてくると、そのレトロな戦争遺跡を目にすることが多くなってきました。今回は自宅近くの道幅が異常に広い、通称・海軍道路と呼ばれる道をツレと撮影して来ました。
巌根駅を出て100m程進み信号を右に曲がると、突き当りにレトロな建物が立つ木更津倉庫。海軍航空隊のあった時代、この建物は防音運転場だったと言われています。隣は航空自衛隊木更津基地、フェンスの側に退役したジェット練習機T-1と戦闘機F104-Jが展示されています。(トップと2枚目の写真)そしてここから4車線の海軍道路が、県道87号線沿いの海上自衛隊航空補給処まで緩やかにカーブして続いています。
道路沿いには廃屋や閉店した飲食店があり、大きなパチンコ屋の駐車場が目立ちます。パチンコ店横の信号の側には芙蓉の花とお地蔵さんが置かれていました。
暫く海上自衛隊方面に進むと、右側にコンテナの上にのったジープのような車が2台見えてきました。何でしょう?英語の看板が架かっており、中にも大型のトレーラーが置かれていました。車にはU.P.B.と書かれています。
そして海上自衛隊の入り口で海軍道路が終わっています。調べてみるとこの道路は、現在の航空自衛隊の場所に在った航空廠で修理した飛行機を、海軍航空隊に運ぶ輸送道路だったとの由。木更津航空隊では、大型の軍用機を扱っていたので道幅を広くとったようです。現在は交通量も少なく広い道路も無用の長物の感があります。