津波を予見できたか、あす判決 84人犠牲・大川小訴訟
東日本大震災の津波で74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明になった宮城県の石巻市立大川小学校をめぐる訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。児童23人の遺族が、市と県に総額23億円の損害賠償を請求。学校の管理下で起きた惨事の責任が問われている。
【写真】大川小津波訴訟の主な争点
5年前の3月11日。「帰りの会」の最中などに大きな揺れがあってから50分近くたった後、児童らは北上川にかかる橋のたもとの「三角地帯」と呼ばれるわずかな高台に向かい、校庭から歩いて移動を開始。その直後に津波に襲われた。主な争点は「津波が大川小まで到達することを予想できたか」と「津波から逃げる義務に違反したか」だ。
遺族側は、大津波警報を伝える学校敷地内の防災無線や、迎えに来た保護者が「津波が来るから山へ」と教員に話していたことなどから、学校側の過失を主張。市と県は、大川小が津波の浸水想定区域には入っておらず、津波の際の避難所として指定されていたことなどを根拠に「予想できなかった」と反論する。
仮に津波の到達を予想できたとして、逃げられる状況だったのか。大川小のすぐ裏には山があった。遺族側は、この裏山には児童がシイタケ栽培などで登っていたことから、「避難できた」と主張。スクールバスや教職員の車で分乗して逃げることもできたと訴える。市や県は、傾斜が急で崩れる可能性がある裏山は危険で、「避難先に選べなかった」と反論している。
津波で被災した宮城、岩手両県の犠牲者の遺族らが自治体や企業に賠償を求めた訴訟は、少なくとも15件ある。このうち、請求額が最も多いのが大川小の訴訟だ。私立日和幼稚園(石巻市)と常磐(じょうばん)山元自動車学校(宮城県山元町)をめぐる訴訟のように、一審で遺族側が勝訴し、二審で和解した例もある。企業の防災のあり方が問われた七十七銀行女川支店(同県女川町)の訴訟は、遺族側の敗訴が確定している。(船崎桜)
■大川小に津波が到達するまでの51分間
午後2時46分 地震発生。約3分間の揺れの後に校庭へ避難
52分 校庭の防災無線から大津波警報発令を知らせる放送
3時25~30分ごろ 石巻市河北総合支所の公用車が学校付近を走りながら避難を呼びかける
33~34分ごろ 学校近くの「三角地帯」へ児童らが歩き始める
37分ごろ 津波が学校に到達。児童74人と教職員10人が犠牲に