ゲス川谷の半同棲マンションに「未成年少女」がもう一人いた
【ほのかりんだけじゃなかった?】
10月9日、約5か月ぶりにテレビに復帰したベッキー(32)が芸能マスコミの注目を集める中、不倫相手だった「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音(27)も別の形で話題をさらった。 ベッキーとの不倫をスッパ抜かれた『週刊文春』に、今度はタレント・ほ
10月9日、約5か月ぶりにテレビに復帰したベッキー(32)が芸能マスコミの注目を集める中、不倫相手だった「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音(27)も別の形で話題をさらった。
ベッキーとの不倫をスッパ抜かれた『週刊文春』に、今度はタレント・ほのかりん(20)との半同棲生活が報じられ、しかも彼女が未成年時代に一緒に飲酒していたことまで暴かれてしまったのだ。
川谷はすでに決まっている12月のライブをもって活動自粛を発表、予定していたアルバムの発売も中止に。相手のほのかはレギュラー出演していたNHK番組や、出演予定だった舞台も降板になった。
次々と交際相手に悲劇をもたらす川谷だが、今回の騒動にはもう一人「未成年タレント」の“降板”も絡んでいたという。ほのかの知人が語る。
「川谷さんと半同棲していた自宅には、ほのかの友人でNHKの番組で共演するIという19歳のタレントも入り浸っていたんです。Iは9月頃から“ほのかと一緒に住んでる”と周囲に語っていて、ほのかの非公開インスタグラムには“(川谷の部屋に)帰宅したら、Iがご飯を作ってくれていた”というコメントとともにIの写真もあった。川谷さんと3人で過ごす時間もあったみたいですね」
Iの所属事務所は「(川谷の部屋に)住んでいた事実はない」としたうえで、
「“ほのかさんと一緒に住んでいる”というのは、よく泊まりに行く間柄という意味で、女子会の延長みたいなものです」
と説明。ところが、なぜかほのかと共演していたNHK番組の出演を見合わせている状態だという(川谷の所属事務所は「Iが出入りしていたかどうかは把握していない」と回答)。川谷の知人はこう語る。
「川谷に合わせてくれたベッキーさんとの不倫とは違い、今回は川谷が小悪魔系のほのかにゾッコンで振り回されている感じです。部屋に彼女の親友まで上がり込むのを許すのも、ほのかの希望を何でも叶えてしまうような関係だからでしょう。僕らも“また痛い目に遭うぞ”とハラハラしていますが、本人に反省の色は見えません(苦笑)」
なんてことだ~どこがいいのでしょう~
カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった
日本における「カレー」が、本場のインド由来でなく、英国を経由して日本に伝わってきたというのは知られている話だ。明治初期、文明開化に伴い英国から西洋料理の1つとして伝わったとされている。
そうすると、日本のカレー史にとって「インドから英国にカレーが渡った」ということが重要な点の1つとなる。英国は1600年に東インド会社を設立し、インドに進出。1858年から1947年まではインドを植民地としていた。当然、この強い関係から、インドから英国に食文化が紹介されて、英国におけるカレーが広まったことにはなりそうだ。
だが、誰がどのようにそれをしたのだろうか。
■ 「ヘイスティングがカリを英国へ」原典は百科事典
日本ではさまざまな媒体で、1772年頃、英国人ウォーレン・ヘイスティングズ(「ヘイスティングス」「ヘイスティング」の表記もあり)が、カレーの原料となるスパイスをインドから持ち帰ったと説明されている。ヘイスティングズ(1732-1818)は、インド初代総督で、1772年当時はベンガル知事だった。インド総督に就いたのは翌1773年から1786年までだ。
S&Bの「カレーの世界史」には、1772年頃のこととして、「ヘイスティングスは、カレーの原料となるスパイスと当時住んでいたベンガル地方の主食である米をイギリスに持ち帰りました。このカレーと米を組み合わせたライスカレーはイギリス王室で大変な評判となり上流階級の人々へ広まり、次いで産業革命で頭角をあらわしてきた資本家階級など、生活に余裕のある人々へと広がっていきました」とある(最終確認2016年10月13日)。
また、ハウス食品の「カレーの世界史18世紀」には、「ウォーレン・ヘイスティングが、インドからの帰途、インドの料理で使われる粉末の混合スパイスと米を持ち帰ったのが1772年。(略)イギリスに一時帰国することになった際に、『これを国の友達にも食べさせてあげよう、自分もイギリスにいる間食べられないのはさびしいし・・・』というわけで、粉末のスパイスをあれこれ取り揃えて、または混合スパイスである『マサラ』や中でもとくに辛い『ガラムマサラ』を、ついでに米もいっしょに持ち帰ったのでしょう」とある
これらはいずれも、調味するための食材が初めて英国に持ち込まれた趣旨の記述だ。
企業が発信するこれらの似た記述は、何を情報源にしているのか。ハウス食品に聞くと、小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫)などを元に作成しているとのことだった。また、S&Bからは、山崎峯次郎著『香辛料 その歴史とカレー』(凸版印刷)、『森枝卓士著『カレーライスと日本人』(講談社現代新書)、水野仁輔著『カレーライスの謎』(角川SSC新書)、そして小菅の同著の記述を主に参考に編集していると回答を得た。
情報源として共通する小菅桂子著『カレーライスの誕生』を見てみると、ヘイスティングズの名が出てくる。小菅はヘイスティングズについて、「『カリ』を一七七二年に持ち帰ったとある」としている。なお「カリ」は、タミル語の方言で「野菜、肉、食事」などを意味し、これが「カレー」の語源ともされている。
ただし、小菅の記述も別の情報源によるものだった。同著には「小学館『日本大百科全書』によれば」とある。そこで、原典をたどって『日本大百科全書』を見てみた。たしかに、「カレー粉」の項目にこう書かれている。
<(前略)日本に最初に紹介された西洋香辛料は、イギリスの『C&Bカレー粉』であった。これは、イギリスの初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰ったものを、クロス・エンド・ブラックウェル社がイギリス人にあうように混合しなおしたもので、のちにビクトリア女王に献上したといわれている。(後略)>
■ 1772年、ヘイスティングズは帰国していなかった
これで解決としたいところだったが、ふたたび謎にぶち当たってしまった。
英国ではヘイスティングズによるカレー伝来をどう伝えているのか知りたくなり、英語での情報検索を試みた。ところが、ヘイスティングズとカレーの関係をめぐる英国発の情報が、皆無といってよいほど見つからないのである。インターネットでは、英文で見つかったのは、S&Bが世界向けて発信する“About Curry”(カレーについて)というサイトや、日本人による高校英語のワークシートの題材での記述ぐらいだった。
そこで、チャールズ・ローソン卿という人物が1895年に著した『The Private Life of Warren Hastings(ウォーレン・ヘイスティングズの私的生活)』(ロンドン・スワン社刊)を読んでみると、本国の英国に「カリ」を持ち帰ったとされる1772年、ヘイスティングズは、「カルカッタでの新たな役職の仕事に忙殺されていた」とある。同年、彼はマドラス管区における参事会メンバーから、カルカッタ知事へと役職を移していた。そして、この年、ヘイスティングズが本国の英国に帰国をしたという記述は見当たらない。
別の資料にも当たってみる。英国の歴史家トーマス・マコーリー(1800-1859)が著した『Warren Hastings : An Essay(ウォーレン・ヘイスティングズ 随筆)』には、版によってヘイスティングズの年表がついている。それらを見ると、問題の1772年について、彼がマドラス管区参事会メンバーからカルカッタ知事への異動したことは書かれているものの、やはり本国に帰国したという記述はない
ヘイスティングズの年表から、彼がインドに行った時期と英国に戻った時期を整理すると、表のようになる。少なくとも、『日本大百科全書』にある「ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰った」という記述はありえなさそうだ。
■ 四半世紀前にはカレーのレシピが英国の料理書に
もしもヘイスティングズが「カリ」を英国に持ち帰ったのだとすれば、1764年から1769年にかけての一時帰国時か、1786年のインド総督退任後の帰国時以降となるだろう。
しかし、後者はありえなさそうだ。インド総督退任後の帰国時期には、すでにロンドンでカレー粉が売られていたとみられるからだ。英国の現代の料理著述家であるローラ・ケリー氏が、彼女のサイトの「The Origins of Curry Powder(カレー粉の原点)」という記事で、1780年代中頃のザ・モーニング・ポスト紙(その後デイリー・テレグラフに買収)に、カレー粉の新聞広告が出稿されていたと紹介している。
ちなみに、この広告には、「カレー粉と呼ばれる非常に貴重なこの食材は、かの有名なソランダーによって東インドから持ちこまれたもので」といった記述がある。「ソランダー」は、スウェーデン出身の植物学者ダニエル・ソランダー(1733-1782)と考えられる。だが、彼が参加した航海ではインドには寄っていないため、ソランダーがカレー粉を持ち込んだという広告の記述の信憑性は疑わしい。
では、1764年から1769年にかけての一時帰国時、ヘイスティングズがインドの「カリ」を英国に持ち帰った可能性はあるのだろうか。
これについては、残念ながら確証的な情報を得ることはできなかった。ただし、カレーのレシピについては、ヘイスティングズが「カリ」を持ち帰ったとされる1772年の四半世紀前にあたる1747年、すでに英国の料理本で紹介されていることは分かっている。
ジャーナリストの森枝卓士氏は前出の著書『カレーライスと日本人』で、大英博物館を訪れて見つけ出した1747年発刊の英国の料理書『The Art of Cookery Made Plain and Easy(明快簡易料理法)』に「To Make a curry the Indian way(カレーのインド式調理法)」が載っていることを述べている。ここで使われている香辛料は、ターメリック、ショウガ、そして胡椒だという。
ヘイスティングズがおそらく人生で初めてインドに渡った1750年よりも前に、英国で「インド式」としてカレーの作り方が料理書に載っていて、具体的な香辛料が書かれていた。少なくとも、ヘイスティングズが関わるより前に(関わっていればの話だが)、英国ではインド式を意識したカレー作りのための香辛料が存在していたことになろう。
分かっているのは、英国のカレーがインドから伝わったのは18世紀のいつかであるということ。しかし、誰がどのような形で、カレーを作るためのスパイスなどの材料をインドから英国に初めて持ち込んだのか。日本のカレーの“源流の源流”には謎が残されている。
今日はカレーが食べたくなりました。
デートでバレる「一生、モテない人」の3大欠点
「学歴・頭のIQ」で、「仕事能力」は判断できない。仕事ができるかどうかは、「仕事のIQ」にかかっている。
『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』と『一流の育て方』(ミセス・パンプキンとの共著)が合わせて25万部突破の大ベストセラーになった「グローバルエリート」ことムーギー・キム氏。
彼が2年半の歳月をかけて「仕事のIQの高め方」について完全に書き下ろした最新刊『最強の働き方――世界中の上司に怒られ、凄すぎる部下・同僚に学んだ77の教訓』は、アマゾンでも4日連続で総合1位を獲得するなど、早くも19万部を超える異例の大ベストセラーとなっている。本連載では、ムーギー氏が「世界中の上司に怒られ、凄すぎる部下・同僚に学んだ教訓」の数々を、『最強の働き方』を再編集しながら紹介していく。
本連載の感想や著者への相談、一流・二流の体験談・目撃談はこちら
■「人生の落とし穴」のような恋人もいる
「うわー、この人と話をしても本当につまらんわ……。食事なんかに行かなかったらよかった……」
世の中には、友達としては非常に好ましいが、「人生の落とし穴」のような二流の恋愛相手が存在する。
彼ら彼女らは、「友達フォルダー」や「他人フォルダー」に入っている人に対しては、礼儀をわきまえ、笑顔を忘れず、自己中心的にもふるまわない。
ところが、いったん「潜在的恋人フォルダー」に入ると、あらビックリ、あっという間に超絶厚かましくなったり、遠慮や思いやりは消え失せ、自分を最優先してもらって当然だと思うようになるのだ。
彼ら彼女らは、いざデートに行っても、「2人で過ごす時間をお互いにとって楽しいものにしよう」とか「お互いをもっと理解し合おう」と思うことは永遠にない。代わりに、「あなた、どれだけ私を幸せにできるの?」などと、テレビドラマを見すぎたようなバカなことを、本気で考えている。
異性に対して、「相手が自分に何をしてくれるのか」ばかりを考えたり、「自分が好きなこと」ばかりを話し、せっかく一緒に時間を過ごしても相互理解を1ミリも進められない人は、長期的にモテなくて当然であろう。
そういう「一生モテない人」は、一度デートするとその「二流たる所以」があらゆるところににじみ出るものである。
では、たった一度のデートで、「二流の人のどんな欠点」がわかるのか。早速紹介していこう。
まずデートでバレるのは、その人の「知的水準」の程度である。二流の人とは総じて、何時間話しても、相手がどんな人かという「対人理解」は深まらないし、一緒にいて何か勉強になるなど「知的刺激」を受けることもない。
■「まともな話」ができますか?
【1】「相手の理解」につながる話題があるか
一対一の食事で2時間も話すと、今後2年間、その人と付き合う中で交わされるであろう会話の8割方を、推察できるものである。
もしデートした女性が2時間、「コレおいしい」「あれ可愛い」といった表層的・感覚的な言葉しか連発しない場合は、「美人だけどアホ」フォルダーにその女性を分類してしまうものだ。
一方、女性視点でいえば、相手の男性が、何かにつけて「自慢話」ばかりをするような人は要注意だ。
二流の男性に限って、「小さな自分をより小さく見せる自慢話」ばかりするものだし、そういう男性はTPOをわきまえないバカでかい声で、本人以外永遠に笑わない「セルフ笑い話」に花を咲かせがちである。
こういう二流の人と何時間話したところで、あなたが得る情報は、どこのケーキがおいしくて「キングオブコント」で誰が面白かったかという話か、「昔、東大模試でA判定とったことがある」並みの、「小さな自分をより小さく見せる自慢話」かのいずれかであろう。
相手がものすごく美人・イケメンだったとしても、会話のセンスのなさと端的に言えばアホさ加減に、早晩飽きてしまうだろう。
逆にいうと、相手の「容貌」だけで、もしほれつづけることができるならば、あなたは交際相手に「美的刺激」だけを求めてしまっている。それこそ、「自分の要求水準こそが三流だ」と心から恥じなければならないだろう。
次にデートでバレるのは、その人の「対人依存度」の程度である。
【2】いきなり依存してくる二流の恋人を警戒せよ
以前、初めてのデートで、非常に美人の若いモデルさんから「カメラを買って」とせがまれたことがある。
明らかに「将来自分にどれくらい貢いでくれそうか」の試金石として「カメラをせがまれている」のだと思い、心底あきれたものである。
あなたが初デートでやすやすと相手に何かを買ってあげたとたん、あなたは相手にとって「引き出し自由、無利息、返済不要で24時間踏み倒しOK」の“人間ATM”と化してしまうだろう。
■「お会計タイム」でバレる二流の本性
ほかにも、「対人依存度」が露呈するのが、最初のデートの食事の際の「お会計タイム」である。
付き合っている恋人関係ならまだしも、最初のデートからお会計タイムで、カバンの中の財布を探すふりをして、「あっ、ここは僕が払うよ」という一言を心待ちにするのは、二流の所業であろう。
たかだかランチ1回やドリンク1杯の支払いタイムにも、その人の「対人依存度」がにじみ出るものだ。結果として「ご馳走になること」はあるだろうが、「最初から全部おごってもらって当然」という“たかり根性”がもしあなたの中にあるならば、その態度は二流の証だということである。
ちなみに、欧米の人ないし欧米で長らく過ごした女性に、安易に自分がおごろうとすると、「セクシスト(性差別者)扱い」される危険があることも知っておいてほしい。
以前私が中国系アメリカ人の女性と食事に行って当然のように自分で全部出そうとしたら、「私も同じように教育を受け、同じように稼いでいるのよ!」とかたくなに固辞され、むしろ怒られたものである。
日本での対異性感覚を海外にそのまま持ち込んでは、その善意がとてつもなく二流の性的差別意識と解釈されうることを、忘れてはならない。
ちなみに、これは余談だが、海外の標準から考えると恐ろしいくらい、日本では「女性を軽視したセクシスト(性差別者)発言」がまかり通っていることに警鐘を鳴らしたい。
先日、日本のテレビ番組を見ていて驚いたのは、某有名お笑いタレントが、「あの女」「女の扱い方」という言葉を連発していたことだ。
この「あの女」という表現自体、一発アウトな表現である。女性を「扱う」というモノ扱いする、少なくとも劣位にとらえた「女の扱い方」などという表現が、公共の電波でゴールデンタイムに流れるのは、「性差別への配慮」という意味で完全に二流のテレビ番組だといえるだろう。
「お笑い芸人の冗談」というコンテクストにおいても、そういう「性差別発言」は今後決して受け入れられない社会になっていくはずだ。
■初対面でバレる「神経質さ」の度合い
本題に戻り、もうひとつデートでバレるのは、その人の「神経質さ」の度合いである。
【3】「こだわりのポイント」がズレていると結局、破局する
「計画性や時間の正確さ」へのこだわりは、大人になっていまさら変えられるようなものではない。ここのフィットの度合いが、その後の2人の関係の快適さを相当程度、決定づけるといっても過言ではない。
たとえば、「几帳面」、悪くいえば「神経質な人」は、数日前までにどこに行くのか、何時に会うのか、何をするのかスケジュールが決まっていないとイライラするものだ。あるいは、自分が無視されていると思い、過敏に反応する。
これに対し、いい意味で「いい加減な人」は、すべての決断がラストミニッツだ。最後の瞬間までその時の気分にしたがって決めたいし、「予定など立てなくても、なんとかなる」と確信している。むしろ、「スケジュールを決めてそれどおりに動かなければならない」という拘束感に、精神的に窒息死してしまうのだ。
私は、計画的で神経質な人がダメだと言っているわけではない。これは善悪の判断ではなく、相性の問題である。
「時間感覚に対する、根本的な性格の一致・不一致」は、最初のデートの約束段階で今後の展開が9割方わかるものだ。
言い換えれば、この基本的な性格が正反対だと、まずもって長期的に交際相手を幸せにすることもできなければ、自分も幸せになることができないだろう。
それでは、世の中の一流の人は、いったいデートでどのように立ち振る舞っているのか。今回論じた「知的水準」「金銭依存度」「神経質さ」の3点に加えて、必要なポイントを2つ紹介しよう。
■相手を「よりよい人間」に成長させていますか?
【1】相手を理解した上で愛しているか
まず、当たり前のことではあるが、一流の人は「相手の気持ちを理解する大切さ」をきちんと認識している。
恋愛関係で大切なのは、精神的な距離感の近さだ。「自分が最も理解している他人」そして「自分を最も理解してくれる他人」が恋人ではなかろうか。「相手の嫌なところを全部知ったうえで、それでも愛する気持ちが本当の愛だ」とはよくいったものだ。
相手を「いいレンズ」で見て美化することなく、だからといって「悪いレンズ」で見て過小評価することもない。その美点と欠点をすべて把握したうえで、相手を理解し、欠点を許す気持ちが「一流の恋人」の第一条件であり「一流のデート」のファーストステップであろう。
あなたは、恋人のことを誰よりも深く理解しているだろうか? 相手の欠点を受け入れたうえで、それでも愛しているといえるだろうか?
そうでない場合、あなたは単に名目上、形式的な恋人として、肉体関係を結んでいるだけの、それはそれはけしからん「二流のフィジカルメート」にすぎないのだ。
【2】相手を「よりよい人間」に成長させる
もうひとつ、一流の恋人は相手を「よりよい人間」に成長させるものだ。
以前付き合っていた彼女と別れるとき、最後に「それでも、あなたと付き合って私はよりいい人に成長したし、あなたも付き合い始めたときよりいい人になったわ。それが一番重要じゃない?」と言われたことがある。
いい恋人関係を築いていれば、たとえ短期間で終わったとしても、お互いがその交際を通じて「よりよい人間に成長できた」と実感できるようになるものだ。
このためには、お互いが「相手に刺激を与えられるような日常」を送ってなければならない。また価値観や考え方から強い影響を与え合うような「深いコミュニケーション」が行われている恋愛関係であることが前提となろう。
恋人とうまく付き合うためには、自分自身を最高のコンディションに持っていく、ほかならぬ「自分自身と上手く付き合う術」を知っていなければならないのだ。
「恋愛にうんちくの多いやつほど、一生モテない」という古今東西の真理を思い返して自分のコラムに赤面しつつ、「二流の一生モテにない人」に転落する人が、ひとりでも減ることを願うばかりである。
なるほど~面白かったです