目標と役割分担を決めて官民一緒に汗を流し協力してまちの課題を解決する。
これを「協働」と言い、自治体では流行語となっている。
私はこの「協働」にも、大人のそれと子供のとがある、と観る。
仲良く和気藹々にやるのは子供の協働で、楽しいが中身はマアマア。
仲良くやるが、「本気に裏付けられた凄み」や懐柔作戦には乗らない「したたかさ」や「明確な利害関係」を持つもの、つまりきっちり成果を出すものを大人の協働としたい。
だから「協働」は自治体有利の手法ではなく、実は「協働はしんどい」と言い出すのは自治体の職員の方で、こういう声がじわじわと増えるだろう。
あるいは増える地域は市民がしっかりしている。
理由は明確で、市民のほうが絶対数が多いからである。
だから優秀な人間の絶対数を数えれば市民に分がある。
しかも広い世間で鍛えられた人が多く社会の諸事情に明るい。
(意外とダメなのは大企業の管理職(特に社内事情に明るい人)ではないか)
つまり長い目で見れば、まちはもっと良くなる。
賢い市民が「徳」や「良識」に裏づけされた声を出す社会が観えてくる。
もっと進めば声さえ出さずにやってのける、というのもある。
これを「協働」と言い、自治体では流行語となっている。
私はこの「協働」にも、大人のそれと子供のとがある、と観る。
仲良く和気藹々にやるのは子供の協働で、楽しいが中身はマアマア。
仲良くやるが、「本気に裏付けられた凄み」や懐柔作戦には乗らない「したたかさ」や「明確な利害関係」を持つもの、つまりきっちり成果を出すものを大人の協働としたい。
だから「協働」は自治体有利の手法ではなく、実は「協働はしんどい」と言い出すのは自治体の職員の方で、こういう声がじわじわと増えるだろう。
あるいは増える地域は市民がしっかりしている。
理由は明確で、市民のほうが絶対数が多いからである。
だから優秀な人間の絶対数を数えれば市民に分がある。
しかも広い世間で鍛えられた人が多く社会の諸事情に明るい。
(意外とダメなのは大企業の管理職(特に社内事情に明るい人)ではないか)
つまり長い目で見れば、まちはもっと良くなる。
賢い市民が「徳」や「良識」に裏づけされた声を出す社会が観えてくる。
もっと進めば声さえ出さずにやってのける、というのもある。