社会は30年くらいで変わる。
私は20代のサラリーマン時代、日米合弁の印刷会社に勤めていた。
所謂、ジョイントベンチャーである。
印刷のような受注産業は、その受注金額さえ安定すれば利益は安定する。
売上を想定し計画生産をする企業に比べ、在庫を持つ金額が少ないから。
当時(30-40年前)は右肩上がりの日本経済だったので、利益は年々増えた。
でも私はその伸びには限界が来ると考えた。
私は工学部出身の社員だったから、経済学、経営学、社会状況に対する理解と認識は
一般社員から言っても下だったと思う。
まあ何もわからない。
それでも「危機」を感じたのは、マーケットの飽和情報だった。
これは海外の書籍からつたない英語力で得たものだったが、それによると工業向け
レーベル業界は世界的にみて飽和状態だ、というのである。
何か新しいものをつくろう、と思っていた矢先にこの英語雑誌の記事を読んでしまった。
「うっ」と思った。
それに加え書籍乱読の中、国内の昭和5年組~竹村健一、渡辺昇一、日下公人氏らの本を
読んでの主張、
・工業化時代の終わり
・産業は川上から川下へ
というトレンドが大学で学んだこととは真逆だったので、たいそうショックを受けていた。
そうすると、全産業から受注をしている「印刷業」はGNP成長率以上には伸びない。
30年後も私はこの会社の中でしか生きていない。
それは悲劇だ、と考えた。
そしてこの単純な考察が私を起業・独立へ導いた。
だが悪いことに会社を飛び出したときは、1991年のバブル崩壊から4年前だったために
「珍品」と見られたのだ。
それから30年間。
厳しい世間の中で鍛えられた。
あれらの本を読んでから、40年ほどか。
起業を勧める「時代」が来るとは思わなかった。
感想を言えば、
「変化が激しいといわれる世の中も、実は主たる変化は30年単位だ」
「それは一世代が交代する年と重なる」
「実は10年ごとに変わっているが、明かになるのは30年後」
では今から考えて30年後のことなんて誰にもわからない。
だが前に向かって何かを積み重ねばならない。
であれば、わからないまま
・自分はどう考え
・何をやるか、どうするか
仮説を立てて行動に移さねば、どうにもこうにもならない。
結局、所詮は
鳥は飛ばねばならない。
人間は生きねばならない、となる。
ならばそれに賭けてみたらどうか。
私は20代のサラリーマン時代、日米合弁の印刷会社に勤めていた。
所謂、ジョイントベンチャーである。
印刷のような受注産業は、その受注金額さえ安定すれば利益は安定する。
売上を想定し計画生産をする企業に比べ、在庫を持つ金額が少ないから。
当時(30-40年前)は右肩上がりの日本経済だったので、利益は年々増えた。
でも私はその伸びには限界が来ると考えた。
私は工学部出身の社員だったから、経済学、経営学、社会状況に対する理解と認識は
一般社員から言っても下だったと思う。
まあ何もわからない。
それでも「危機」を感じたのは、マーケットの飽和情報だった。
これは海外の書籍からつたない英語力で得たものだったが、それによると工業向け
レーベル業界は世界的にみて飽和状態だ、というのである。
何か新しいものをつくろう、と思っていた矢先にこの英語雑誌の記事を読んでしまった。
「うっ」と思った。
それに加え書籍乱読の中、国内の昭和5年組~竹村健一、渡辺昇一、日下公人氏らの本を
読んでの主張、
・工業化時代の終わり
・産業は川上から川下へ
というトレンドが大学で学んだこととは真逆だったので、たいそうショックを受けていた。
そうすると、全産業から受注をしている「印刷業」はGNP成長率以上には伸びない。
30年後も私はこの会社の中でしか生きていない。
それは悲劇だ、と考えた。
そしてこの単純な考察が私を起業・独立へ導いた。
だが悪いことに会社を飛び出したときは、1991年のバブル崩壊から4年前だったために
「珍品」と見られたのだ。
それから30年間。
厳しい世間の中で鍛えられた。
あれらの本を読んでから、40年ほどか。
起業を勧める「時代」が来るとは思わなかった。
感想を言えば、
「変化が激しいといわれる世の中も、実は主たる変化は30年単位だ」
「それは一世代が交代する年と重なる」
「実は10年ごとに変わっているが、明かになるのは30年後」
では今から考えて30年後のことなんて誰にもわからない。
だが前に向かって何かを積み重ねばならない。
であれば、わからないまま
・自分はどう考え
・何をやるか、どうするか
仮説を立てて行動に移さねば、どうにもこうにもならない。
結局、所詮は
鳥は飛ばねばならない。
人間は生きねばならない、となる。
ならばそれに賭けてみたらどうか。