自分の山
結果を残しているSOHO、フリーランサー、身の丈社長などを束ねて「時代の新しいお手本」とすれば、励まされる人はたくさんいるに違いない。
個人でできることは、なるほど小さい。
けれどその小さいことを行い、一隅を照らすことを国の宝としたのは平安時代の仏教僧、最澄である。
最澄と空海はほぼ同じ時代の僧で、それぞれ
・比叡山に延暦寺を建て
・高野山に金剛峯寺を開いた
その最澄は言う。
径寸十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり
径寸(けいすん)とは金銀財宝などのことで、これらを手にしたところで国の宝とは言えない。
一隅を照らす人、これこそ国の宝である。
さて、では普通の人と手本(国の宝)となる人々を分けるものは何だろうか。
収入だとか資産だとかは確かに生きていくのに必要だから、ここでもそれへの道を書いてきた。
しかし成功者とは金や資産にまつわるものだけではない。
つまるところ、いかに世の中の役に立ったか否かである。
そして成功者には意外なほどの共通点を見出すことができる。
3つほど挙げてみよう。
1.己を活かす山を見つけ自分の意志で登っていくが、意外か本懐かは問わずそれが他者と社会を活かすことにつながっていること。
2.いつのころか人生の壁に直面し戸惑いつつも、自らの手足を使ってその壁を乗り越えた経験があること。
3.挑戦するがゆえに何度も負けるが、その日にも勝つことを信じて行動する。どれほど強い信念かはわからない。ただ諦めない。
世の中は健康で豊かな人ばかりではない。
病気やけがで思うように働けない人、不運が続いてやる気をそがれた人。
失敗、悲しみ、迷い、苦しみ。
金銭で救える部分はある。
それは税金を使って実行すればよい。
健康な人もお金ができれば嬉しいが、それが自分と社会の未来を拓くかどうかはわからない
それよりも良い事例が有効である。
何をどのようにしたら今の苦しい現状を抜け出せるか、の参考、お手本である。
人は希望があれば頑張れる。
そうでないと意外に早く挫折する。
しかし希望を見出すために登るべき山を教えてくれ、と叫んでも誰も教えてくれない。
さあ、それだったらなんでもいいから、近くの山に登ってみたらどうか。
自分の山を探すには、まず動くことだ。
そこに佇んで自分を固定しまうから心が縮まってしまう。
結果、自分の山は以外にも身近なところにあることを発見する。
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