(つづき)
福島原発が次々と爆発し、いよいよ観念かと思ったのが、2011年3月15日だった。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5f9954d2b1cd8dc023a3e9ea0d1d8612
2度目の真剣な祈りは、この時だ。
ぼくは、15日未明から気が気ではなかった。胸が早鐘のように鳴った。どうしてこれほど不安なのか、理由ははっきり分からなかったが、兎に角福島原発の状況にただならぬものを感じていた。
正確な情報がないまま、政府も無策、東電も手の打ちようがない、そんな雰囲気だった。1号機に続いて3号機が爆発し、2号機も危機的状況ということだけが報じられていた。そして、4号機にも火の手が上がっている、というような報道が出ていた。
このまま行けば、日本は本当に人の住めない場所になってしまうのではないか、日本は大変なことになってしまうのではないか、そういう危機感が襲ってきた。頼るべき人が、どこにもいない。誰もいないのだ。
どうすればよいか、的確に答え、正しい対処方法を示せる人間が、政府の偉い人たちの中にも、専門家たちの中にも、どこにもいないんだということを知った時、圧倒的無力を痛感した。どうにもできない、抵抗すらできない、ただただ無力。事態が悪化してゆくのを、黙って見ているのみ。
事故現場で作業を続ける人々がいるということが、奇跡といってもよかった。しかし、次々と砦を失って退却を続ける戦場のような感じだった。残されたのは、ほんのわずかの砦一つで、ここを失えば総崩れとなってしまう、そんな状況だったはずだ。
ぼくには、なんにもできない。何の手助けもできない。
ただ祈るのみだった。
だから、神様にお助け下さい、と祈った。
どうか現場にいる彼らを守って下さい、日本をお守り下さい、と祈った。
こんな真剣な祈りは、あの小学1年生以来だった。
偶然にも、その後に4号機の鎮火が伝えられた。そして、消防庁はじめ放水部隊が水をかけに行くことができて、事態はどうにかギリギリで小康状態に押しとどめられたわけである。現場の、死をも覚悟した人々がいなかったら、本当に日本は終わっていた。
ぼくには、あの長靴の時と同じように、神様に祈りが届いたのではないか、と思えたのだった。
忘れていた、小学1年の時の、あの真剣な祈りの記憶は、福島原発事故の時に呼び覚まされた。勿論、長靴を拾ってきたのはぼくの母だったし、水をかけて冷やしたのは現場の作業員たちや消防や自衛隊の人々だったろう。
けれど、もうダメだ、と思った後に「偶然長靴が流木に引っ掛かって流されずに済んだ」とか、「偶然4号機の鎮火が起こり更なる惨事に至らずに済んだ」というのは、不思議としか言いようがない。
ぼくには、約束があったんだ。
それは、祈った時に誓った、「鎮まって後に糺す」ということだ。これは神様に誓うと心から思ったことだ。だから、ぼくにはその盟約を守らねばならない義務がある。
たとえ神様がいないと言われようとも、ぼくの心の中の盟約に背くことはできない。ぼくは無知な傍観者であった、そのことが日本の原発政策を誤らせてきたのだ、と反省せねばならないのだ。
以前と同じように再稼働させよう、などという愚かな選択を二度と彼らにさせてはならないのだ。ぼくの中にある、固い盟約なのだから。神様との約束だから。
福島原発が次々と爆発し、いよいよ観念かと思ったのが、2011年3月15日だった。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5f9954d2b1cd8dc023a3e9ea0d1d8612
2度目の真剣な祈りは、この時だ。
ぼくは、15日未明から気が気ではなかった。胸が早鐘のように鳴った。どうしてこれほど不安なのか、理由ははっきり分からなかったが、兎に角福島原発の状況にただならぬものを感じていた。
正確な情報がないまま、政府も無策、東電も手の打ちようがない、そんな雰囲気だった。1号機に続いて3号機が爆発し、2号機も危機的状況ということだけが報じられていた。そして、4号機にも火の手が上がっている、というような報道が出ていた。
このまま行けば、日本は本当に人の住めない場所になってしまうのではないか、日本は大変なことになってしまうのではないか、そういう危機感が襲ってきた。頼るべき人が、どこにもいない。誰もいないのだ。
どうすればよいか、的確に答え、正しい対処方法を示せる人間が、政府の偉い人たちの中にも、専門家たちの中にも、どこにもいないんだということを知った時、圧倒的無力を痛感した。どうにもできない、抵抗すらできない、ただただ無力。事態が悪化してゆくのを、黙って見ているのみ。
事故現場で作業を続ける人々がいるということが、奇跡といってもよかった。しかし、次々と砦を失って退却を続ける戦場のような感じだった。残されたのは、ほんのわずかの砦一つで、ここを失えば総崩れとなってしまう、そんな状況だったはずだ。
ぼくには、なんにもできない。何の手助けもできない。
ただ祈るのみだった。
だから、神様にお助け下さい、と祈った。
どうか現場にいる彼らを守って下さい、日本をお守り下さい、と祈った。
こんな真剣な祈りは、あの小学1年生以来だった。
偶然にも、その後に4号機の鎮火が伝えられた。そして、消防庁はじめ放水部隊が水をかけに行くことができて、事態はどうにかギリギリで小康状態に押しとどめられたわけである。現場の、死をも覚悟した人々がいなかったら、本当に日本は終わっていた。
ぼくには、あの長靴の時と同じように、神様に祈りが届いたのではないか、と思えたのだった。
忘れていた、小学1年の時の、あの真剣な祈りの記憶は、福島原発事故の時に呼び覚まされた。勿論、長靴を拾ってきたのはぼくの母だったし、水をかけて冷やしたのは現場の作業員たちや消防や自衛隊の人々だったろう。
けれど、もうダメだ、と思った後に「偶然長靴が流木に引っ掛かって流されずに済んだ」とか、「偶然4号機の鎮火が起こり更なる惨事に至らずに済んだ」というのは、不思議としか言いようがない。
ぼくには、約束があったんだ。
それは、祈った時に誓った、「鎮まって後に糺す」ということだ。これは神様に誓うと心から思ったことだ。だから、ぼくにはその盟約を守らねばならない義務がある。
たとえ神様がいないと言われようとも、ぼくの心の中の盟約に背くことはできない。ぼくは無知な傍観者であった、そのことが日本の原発政策を誤らせてきたのだ、と反省せねばならないのだ。
以前と同じように再稼働させよう、などという愚かな選択を二度と彼らにさせてはならないのだ。ぼくの中にある、固い盟約なのだから。神様との約束だから。