いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

医薬品のネット販売に関する最高裁判決~各論編2

2013年01月12日 18時45分58秒 | 法関係
前のつづきです。


4)薬事法上の省令への権限委任(同29条の二)

提訴企業は元々厚生省令であるところの「薬事法施行規則」(改正薬事法においては厚生労働省令)の内容が、薬事法に規定されていない販売方法の禁止事項が「根拠法の委任限度を越えている」ということであったと思われる。
薬事法29条の二における厚生労働大臣権限の及ぶ範囲として、販売方法の規制は違法性があるかどうか、ということが争点となっていた。条文は次の通り。

『厚生労働大臣は、厚生労働省令で、店舗における医薬品の管理の方法その他店舗の業務に関し店舗販売業者が遵守すべき事項を定めることができる。』
(2項省略)

「店舗の業務」に関し「店舗販売業者が遵守すべき事項」というのが、果たして販売方法(本件でのネット販売規制)までをも含むのかどうか、という点である。
この点に関しては、過去の経験からすると行政側有利の判断が圧倒的多数だったのではないか。「店舗の業務」だと官僚が言えば、誰も覆しようがなかった、ということである。本件では、意外や意外、霞が関官僚の言い分を退けているので、これまでの判決と大きく異なるのはどうしてなのか、という疑惑が生じるのも無理はない(笑)。まさか、当方のようなザコが最高裁批判をしたからといって、急に良心に目覚めて体制寄りの判決とはしなかった、というようなことでもあるのだろうか。そんなワケはないだろう。あるとすれば、もっと上位のご意向を汲んで、ということくらいか、という邪推の生じたわけがご理解いただけただろうか。大きく逸れた。


薬事法規定の範囲内において、これを補助する為の法律として厚生労働省令が位置づけられているはずであろう。そうすると、条文中の「店舗において販売」乃至「店舗による販売」が、具体的にどういった内容となっているか、ということを立法的に明示的に区分しよう、ということであるなら、省令での規定が必ずしも不合理というべきものとも言えないのではないか。カタログ通販やネット販売等、過去の薬事法時代には存在してこなかったような販売方法の登場によって、「店舗において販売」を更に明示的に区分するということである。行政法の関連でいえば、昔だと条文の疑義解釈のみで対応してきたような内容について、省令で規定するということの方がむしろ公正明大であるように思われる(昔が暗黒すぎた、ということかもしれないが)。

この疑義解釈という意味は、通常は所謂「通知・通達行政」というもので、法文には書いていないことを、後出しで附加的に解釈をするというようなことである。法律変更という正規手続きではなく、行政側が有利な解釈変更等で対応するというものだ。本件でも出されていたのは、昭和63年通知であった。

>http://www.wam.go.jp/wamappl/bb13gs40.nsf/0/49256fe9001ac4c749256f08001be27c/$FILE/siryou.pdf


厳しく見るならば、29条の二の規定が、「こんな都合のいい条文ならば、どんなことだって入るじゃないか」という反論は正当なものだ、ということになる。「その他店舗の業務」とは、全部じゃないか、と。確かに一理ある。これがあらゆる法律に通用してしまうというレベルなら、今後一切「その他」や「等」で境界不明瞭として誤魔化す条文(笑)は一切作れない、ということになる。(将来時点の)未知の領域さえも「法制定時に判っておけ」ということになりかねない、かも。


インターネット販売という販売方法は「その他店舗の業務」には該当しない、という解釈ならば、省令で規制するのは違法となる。それとも、インターネット販売という販売方法は無害なのだから規制する利益が存在しない、故に省令の規定は合理的とはいえない、ということなら、行政の規制権限の超越が過ぎる、ということかもしれない。

行政側としては、猶予期間を設けて対応してきたということもあるし、制定に際しては有識者会議もパブコメもやったじゃないか、ということもあるから、たとえそれが形式的にではあるとしても、必ずしも手続的問題を指摘できるかどうかであろう。



以上、あれこれと書いたが、まとめると次のようなことだ。

前記の通り、薬剤師業務と調剤の定義からすると、店舗販売業者に薬剤師が存在していても「調剤行為」はできない、従って薬剤の性質からみて、一般用医薬品の第一類医薬品販売は薬剤師固有の業務となっている為(薬事法36条の五)、当然に販売が規制される。
薬事法施行規則(省令)上でも第三類は販売が認められているのであるから、薬剤師による販売が義務付けられていない第二類販売が、ネット販売不可となるかどうか争点となるだろう。ネット販売全般が全て最高裁判決で解禁された、というような解釈はあり得ないのではないか(最高裁判決文をまだ読んでないので、実際どうなのかは判りませんが)。
登録販売員による販売が認められている第二類医薬品の販売について、郵便等販売が妥当か否かという点に絞られるだろう、ということだ。第二類医薬品に含まれる成分が、量的に多くなった場合の人体や環境に与える影響等で「危険性があり得る」という判断に当たるものについては、若干の規制(具体的には、購入者の住所氏名の特定等)があってしかるべき、ということにはなるだろう。商品発送先情報が判明しているのであれば、基本的には追跡可能状態と判断して、販売は認められてもいいのかもしれない。

例えばビタミン剤は有害作用が殆どないから、というような理由を挙げる人がいるかもしれないが、妊婦のビタミンA過量摂取や、ビタミンD過量摂取などによる有害作用は存在するので、安全だと言えるものではないわけである。ドリンク剤であっても、過量摂取後に急死したりしている事例は海外で報道されていたので、危険性がないとまでは言えないわけだ。
基本的には、最初に書いた通りに、化学薬品類なのだから安全だというものはほぼないわけである。使用方法を誤るとか、殺人目的等の目的外使用などの危険性はあるわけで、販売規制はいらないとまでは言えないのではないか、ということだ。


これとは別に、東京高裁や最高裁が「行政の省令制定範囲」や「通知通達行政」について、全部ひっくり返して、権限範囲を超越しているからダメ、という厳しい意見なのであれば、行政法やその解釈の在り方について根本から変えろ、ということで、そういう裁判所の判断なのだな、と受け止めるわけである。
つまりは、薬事法29条の二のような、曖昧な都合のいい条文は今後二度と作らせない、という最高裁の断固たる決意の表れということだな(笑)。細かい部分まで、全部国会審議で上位法の中で決めろ、という法体系にすればいいだけだから。



裁判官の人のツイートチラッと見かけたが、行政が裁判所を舐めている、とかいう問題ではないのではないか。
むしろ、裁判所の検討レベルが低いんじゃないのかな、という気がするわけだ。法学関係の人たちが、最高裁判決が省令制定に注文をつけた、というような見方をしている向きもあるようだが、何度も言うが「店舗における販売」がどんな態様でもいいとするかのような解釈拡大は、過去から存在してきたものとは思われないわけである。

薬局やドラッグストア系の実態を知るわけではないが、特に大手チェーン店などで薬剤師確保が困難(費用がかさむ、需要が多く集めるのが難しい等)だからといって、「薬剤師不在」状態で薬剤師業務を無資格一般人が行ってきた、というような脱法行為が繰り返し行われてきていたのが問題とされていたのではないのだろうか。潜脱を繰り返してきたのが営利企業の側であって、違法な業務運営してきたというのを「過去の実績」と称して、これを「これまで今の方法でやってきたので、今更規制するのはおかしい」と言い張っているように見えなくもない。
日常的にスピード超過をしていても取締で捕まったことがないから、という理由で交通違反で切符を切られる時「これまでずっとこの速度で走っていて一度も警察に捕まったことがないのに、その同じ速度で走っていた今日に限って捕まえるのはおかしい」と主張する人みたいなものか。


事故発生確率が極めて低い、だから規制はいらない、などという意見が当然だとすれば、例えば日本ではテロ活動による死者・被害者は過去30年間で何人存在したか、飛行機爆破テロはなかったなら、どうして国内線でさえ搭乗時検査や手荷物検査などがあんなに無駄に厳重に行われるのか、説明できるのだろうか(笑)。安全性担保というのは、そうした面があるだろう、ということだ。少ない確率かもしれないが、防ぐ努力をすることで軽減できるならば、国民の合意や理解を得る範囲で規制するのはあり得るだろう。



医薬品のネット販売に関する最高裁判決~各論編

2013年01月12日 16時00分25秒 | 法関係
高裁判決文を全文読んだのであるが、ネット通販会社の主張内容がいまいち正確に把握できていないかもしれない。昨日の最高裁判決文についても、まだ読んでいないので最高裁がどういう解釈を出したのかは承知していない。とりあえず、ここまで調べた範囲内で書いてみた。


まず、薬剤師の存在しない店舗において、一般用医薬品のうち取扱(販売可能)品目で不可とされるものがあることについては、止むを得ないとして受け止めているものであろうと思われる。
他方、薬剤師が24時間常駐している店舗において、一般用医薬品を販売するに当たって、販売不可となる品目があるということがおかしい、不満である、ということなのであろうというのが当方の受け止め方である。


そこで、問題とされていると思われる「薬剤師が24時間常駐している店舗」がネットを通じて医薬品を販売することに制限をされることについて、違法だというのが企業側主張であるという前提で、以下の話を進めていきたい。


厚労省の説明でも出てきていたものと思うが、元来薬事法の想定している販売・授与(以下、面倒なので販売とだけ書く)が店舗に出向いてきた人に対するものである、ということだ。これは、立法された時代がそうだったから、ということであり、ネット社会に対応しているものではなかったのだから、今回改正の意味があるものとも言えるだろう。


1)薬事に関する基本事項


①医薬品販売業の排他性(薬事法24条)

医薬品販売は業として排他性が認められている。どうしてかと言えば、端的に言えば「危険だから」ということである。「職業選択の自由」を乗り越えるだけの制限の利益があるから、ということであろう。危険でないなら、誰でも行えるべきものであるはずだから、ということ。誰でも医薬品販売を行えば、公共の福祉が害されることになってしまうからだ。


②店舗販売業とは

一般人への医薬品販売ができるのは、薬局と許可を受けた販売業者である。そのうち、店舗販売業という区分が存在し(同25条)、条文上では次のように定義される。
『一般用医薬品(医薬品のうち、その効能及び効果において人体に対する作用が著しくないものであつて、薬剤師その他の医薬関係者から提供された情報に基づく需要者の選択により使用されることが目的とされているものをいう。以下同じ。)を、店舗において販売し、又は授与する業務』

今回提訴しているのは、この「店舗販売業」者がネット販売ができないのはおかしい、ということであろう。


③店舗販売業の許可権者は都道府県知事(同26条)

過去にカタログ通販などを取り締まってこなかった(公的に認めていた)のだから、今後もいいじゃないか、という論点に通じる。本来、取締を行うべきは許可権者たる知事であり、都道府県単位で行えということになるだろう。厚労(厚生)省が野放しにしてきたのだから、認めていたものと同じ、というのはやや問題がある。厚労省には、知事への命令権限があるわけではないのであって、元来違法と解釈されても不思議ではなかった通販を行っていた販売業者に対して、許可取り消し等の対応をすべきであったのは知事である。厚労省がこれを命じることはできないはずである。


④店舗販売業の品目制限(同27条)

店舗販売業者は、一般用医薬品以外の医薬品販売は不可能である。条文上では、以下の通り。
『店舗販売業の許可を受けた者(以下「店舗販売業者」という。)は、一般用医薬品以外の医薬品を販売し、授与し、又は販売若しくは授与の目的で貯蔵し、若しくは陳列してはならない。ただし、専ら動物のために使用されることが目的とされている医薬品については、この限りでない。』

従って、ネット通販などを行う「店舗販売業」者は一般用医薬品しか扱えない、ということになる。


⑤販売方法の制限(同37条)

条文上では次の通り。
『薬局開設者又は店舗販売業者は店舗による販売又は授与以外の方法により、配置販売業者は配置以外の方法により、それぞれ医薬品を販売し、授与し、又はその販売若しくは授与の目的で医薬品を貯蔵し、若しくは陳列してはならない。』
(2項省略)

ここで言う「店舗による販売」が、ネット販売を規制するかどうか、ということになる。基本的には、ここの解釈の相違が、高裁判決と厚労省見解の違い、ということになるだろうか。
過去においても、一律に強力な規制をしてしまえば、それこそ離島や僻地等の薬局などの存在しない地域の人たちにとっては、不利益が大きいというようなことがあるだろうし、比較的危険性の低いものについては一般用医薬品全般と同じレベルで規制するのが望ましいとも言えない面があったことは確かなので、ある程度柔軟に対応してきた=全部を違法として摘発したり許可取消等の強力な規制権限を発動してこなかった、ということではないか。


2)販売方法を規制することの根拠

何故規制しなければならないか、という言い分について、簡単に言うと「危険だから」ということで、高裁判決文からするとそれ以上のことが判り難いような印象を受ける。一応、当方の個人的理解の範囲で書いてみる。


①一般化学薬品は危険なもの

大まかな原則として、化学薬品類は危険性がある、だから、各種規制法が制定されているものである。例えば、毒物及び劇物取締法、農薬取締法などがある。化学物質には様々な危険性が存在し、これを人体に用いることの多い医薬品類となれば、規制水準に厳密さを要求されても当然と言えよう。薬事法による規制については、医薬品の危険性をどのように制御すべきか、ということが根底にある。


②販売者側の規制

これは、医薬品に限ったものではない。毒物や劇物でも、農薬でも同じである。販売者には、販売方法や貯蔵・管理状態などの基準が課せられる。制限が存在することそのものに違憲性や違法性があるとは考えていない。同様の法規制は、多種多様に存在するからである。


③需要(購入・使用)者側の規制

論点として重要なのは、ここである。厚労省の主張では、あまり見られていなかったように思われる。裁判所見解でも、述べられてはいなかったように思う。
具体的にどういうことかと言えば、簡単に言えば「薬剤、化学薬品等を購入する人間がどういう人か」ということであり、極端な例を挙げるならテロ目的で購入したらどうするんだ、といったような話である。
毒物及び劇物取締法でも、農薬取締法でも、購入した人間を特定できるようにしておく必要がある、ということだ。医薬品においても似ているわけだが、普通は薬局で処方箋で購入する人は、その時点で個人が特定されている。一般化学薬品の購入においても、実験用として買った人間が誰かというのは特定されるわけである。どうしてかと言えば、先に述べたように危険なものを別な目的で使用されてしまうと大変なことになってしまうから、である。テロ目的や殺人目的で購入されないとも限らない、ということだ。だから、購入者の特定という点が考慮されているわけである。

また、販売側は薬品類の貯蔵・管理体制について法規制が及ぶわけだが、購入した人の方には基本的には規制が及ばない。一般的には、危険な貯蔵となるほど大量に買い込んだりすることはないはずだが、管理不備が酷ければ水質汚染や土壌汚染に繋がらないとも限らない。用量依存性に危険性の高まる薬物が殆どであるはずで、保管・所持している量が問題となるはずである。また、紛失や盗難といったこともあるかもしれない。

これらを広くまとめて言ってしまうと、販売側規制だけではなく、購入する人間の方に対する危険度をどう考えるのか、という点が問題になるのである。ガソリンや灯油だって、一か所に大量に保管していると、大変危険なので危険物として制限を受けるわけである。
なので、購入者の特定できない仕組みであるとすれば、自ずと品目や販売に制限が課せられるのは止むを得ないと考える。基本的に医薬品は危険なものだから、である。購入者の特定ができるなら制限の範囲は緩和されてもよいかと思うが、なりすまし等の対策がどうなのかという点は留意する必要がある。対面販売の場合であると、そのこと自体が犯罪等に抑止的に働くだろうと思われる(面が割れる、不審に思われる、等)。


3)薬剤師業の観点から

ネット販売企業の主張からすると、ネット上で店舗側に画像前に薬剤師が24時間存在しうる状態にあり、いつでも情報提供ができるのだから、薬剤師が存在する時に販売できる医薬品は全部売れるようにしろ、ということであろうか。
反論をいくつか述べるが、薬剤師がそこにいるからといって、何でも販売できるわけではないことは明らかだ。


①店舗販売業は一般用医薬品のみ

これが基本である。もしも薬剤師が存在するので、もっと範囲を広げたいということなら、そもそも店舗販売業の許可ではなく、薬局の許可申請をすべきであろう。


②薬剤師の業務としての『調剤』

店舗販売業における薬剤師の業務としては、「医薬品の販売」が行われるわけであるが、販売はあくまで販売であり、『調剤』とは異なる業務である。
薬剤師法上の業務としては、薬剤師は「調剤」行為が法的に許容されているが、店舗販売業の許可しかない店舗においては「調剤」該当行為は許容されない。法文上で「販売」と「調剤」が業務内容として明確に区分されていることは明らかである。例えば、薬事法第5条では、2号規定として次の条文がある。
『二  その薬局において医薬品の調剤及び販売又は授与の業務を行う体制が厚生労働省令で定める基準に適合しないとき。』

調剤、販売、授与が法文上で異なる、というのは明らかだ。
では、『調剤』とはいかなる行為なのか。薬事法上の定義は存在しないが、これは医師法や歯科医師法で医業や歯科医業の法的定義が書かれていないのと同じ意味合いであろうと思われる。すなわち、時代によって、医学等進歩が反映され一律に定義するのが困難であるから、だ。
ただし、法的な見解は判例が存在している。

◎大正6年3月19日 大審院判決
『一定ノ処方ニ従ヒテ一種以上ノ薬品ヲ配合シ若クハ一種ノ薬品ヲ使用シテ特定ノ分量ニ従ヒ特定ノ用途ニ適合スル如ク特定人ノ特定ノ疾病ニ対スル薬剤ヲ調製スルコト』

一種かそれ以上の薬品を、特定用途に適合するように、特定人の特定疾病に対して薬剤を調製する、ということだ。普通に考えられるのは、処方箋に応じて調製するということであるが、狭義ではそう解釈できるわけだが、医薬品全般を見れば、1種類の医薬品であっても、例えば「鎮痛剤を一瓶」販売する場合であっても調剤行為と看做せるわけである。
薬局と薬剤師は、医療法が及ぶ対象であるので、基本的には医療の提供の一部をなしているわけである。よって、胃薬を売る、という場面においてであっても、調剤行為になるわけであるから、当然に調剤行為に伴う薬剤師の義務は発生する。具体的には薬物アレルギーの確認などを怠って、重篤なアレルギー発作が起こってしまえば注意義務違反を問われる可能性が生ずる、ということである。

よって、薬剤師が常駐しているとしても、その行為が「調剤行為」に該当すると判断されれば、店舗販売業の規定に反する。

また、医薬品をネット販売することで、薬剤師が調剤行為を行うことになってしまうならば(具体的には「H2ブロッカーを販売する」など)、調剤行為の実施にあたり使用者に面会することなく可能なのかどうか、ということになるわけである。購入者の人品特定や評価を行わずに、大陪審判例のいう「特定人の特定疾病」に対して適切に調剤できるのか、ということである。医師が患者を診察せずとも診断できる、というのと似ており、通常の医療では考えられないような話である。

すなわち、テレビ電話等でネット接続されているとしても、購入者が薬剤師の顔をいくら見ても何の意味もないわけである。薬剤師から購入者が見えなければ基本的には役に立たない。しかも、それが騙し絵のようなものではない、ということが確認できなければならない。


因みに、提訴したネット販売企業の採用試験が、全てネット上のペーパーテストとチェックシートの結果のみで判定しているのだろうか。もしも面接が必要だということで、直に面接をしているなら、大笑いではある。質問のやり取りの様子などを観察しているのであれば、「チェックシートで事足りる」とする主張と食い違うようにも思われるが、いかがだろうか。
特定人(需要者)に対する調剤行為で一般に面接が必要と判断されるのは、何ら特別なことではないだろう。特定人が薬物使用後ある一定の期間経過していて、薬剤効果と病状等が安定しているというような場合においては、改めて面接が重要ということにはならない(=郵便等販売でも対応可能という場合もある)、ということだ。


要するに、
・店舗販売業の場合には薬剤師が常駐しているとしても『調剤』該当行為は不可
・『調剤』を行う場合には当人との面談等がなく薬剤師業を実施することは困難
であって、
いずれの場合でもインターネット映像を介する常駐薬剤師の存在が問題を解決できることにはなっていない、ということである。使用者からの質問に回答できる、とか、薬物の情報提供が行える、といったことは、調剤行為の正当化にはならない。


医薬品の種類によっては、調剤行為に当たらないか、面談等を必ずしも必要としない薬剤師業務範囲内に留まる医薬品販売ならば可能、ということが言えるだけである。店舗販売業で薬剤師が行える医薬品販売とは、そうした範囲内にある業務に限定されて当然だ、ということである。



長くなったので、つづく








医薬品のネット販売に関する最高裁判決

2013年01月12日 08時50分41秒 | 法関係
高裁判決が確定した、という報道があった。

これについて、雑感を述べておきたい。
(現在調査中にて、法文の詳細などについては、別に記事で書くつもりです)


思うのは、ネット販売という「販売方法」が改正薬事法の条文上では禁止されているものとは読めない、ということなのだろうな、と。これを根拠法とする下位に位置する省令(施行規則)によって、つまりは「親となる法律」=薬事法で禁止されていないものを子であるところの省令によって禁止するのは、省令制定側の「行き過ぎである」ということであろう。


一理ある意見だと思うが、旧薬事法の枠組みにおいてであっても、本来的には「店舗において」販売・授与すべし、という条文は、郵便等販売を合法と解釈するのはやや無理がある、ということである。
厚生省時代から通販を認めてきたとする見解は、端的に言えば「こじつけ」的である。これは「違法な貸金業者」(=無登録業者、違法金利業者など)が横行しているようなので、地方財務局の指導徹底をすべし、という局長通知が存在しているからといって、財務(大蔵)省は「違法貸金業者」の存在を肯定(公的に認可)している、などといった見解は生じないとしか思えないのと同じだ、ということである。

全部を完全に取り締まってこなかったのだから、財務省は元々利息制限法の上限を超える金利を条文上解釈において公的に認めてきた、と主張するのは、整合性があるとは到底思われない。


こうした論点は、小泉政権下での「規制改革会議」でも出されていた論点であり、当時(平成15年当時)から一歩も出ていない、ということだ。規制緩和の推進は、何故求められたか、ということの背景としては、当然に米国サイドの意思反映ということがあるはずだろう。


それは、米国を中心とする製薬業界(全米製薬業団体のようなヤツね)のロビー活動の賜物だろう、ということである。このことは、TPP問題ともつながるものであり、規制庁の規制権限を弱体化させるという点においても、同じような意味を持つわけである。

薬品販売を推進したい製薬企業の意向を反映させ、なおかつ日本人に薬を簡便に売りつけたい人々にとっては、ネット販売というのは非常に儲かるシステムであるはずだ、ということである。

東京高裁判決も、最高裁判決も、基本的にはこうした政治的な思惑を達成させる為の一助となっていることは確かであり、意図しているのか或いは意図せざるものなのかは不明であるが、「規制緩和は善」とする風潮を助長することになるであろう。これは業界団体という既得権集団の影響力排除を狙ったものであるはずで、TPPと親和的政策推進を意味するということである。


ネット販売が全て悪とは言わないまでも、ネット販売拡大が必ずしもよい結果となるかどうかは不明である。いつでもどこでも借りられる、という「090サラ金」みたいなもので、便利がよいからといって略奪的融資を拡大させたことがどのような結果を招いたのかということをよく考えてみるべきであろう。



北朝鮮とグーグルとディズニー

2013年01月12日 02時07分36秒 | 外交問題
世の中、不思議なことは多々ある。
最近見かけたものは、なんとグーグル会長が北朝鮮に訪れたというものだった。


拘束米国人救出だか何だかの一環らしいが、州知事さんと同伴だったそうで。

これを見て思ったことは何か?


ああ、グーグルさんと云えども、ワシントンの権力階層と同じ釜の飯、ということなのだな、ということだ。やはり、経済界で成功を収めようと思えば、それなりの役回りを求められる、ということなのだろう。これは、ザッカーバーグとて例外ではないだろう、ということだ。大学の秘密クラブよろしく、そこのメンバーとして列の末席に加われるかどうか、というのが重要なのである。

アメリカンドリームは偶然でき上がるものではない。生み出されるものだ。
体現者として選ばれるだけなのであり、選ぶ人間は別に存在している、ということである。まあいい。


で、北朝鮮の金正恩がやったことと、日本の状況がよく似ていると思ったことがある。
北朝鮮のは、これだ。

>http://jp.reuters.com/video/2012/07/13/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%81%A9%E6%B0%8F%E3%81%8C%E7%B1%B3%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%91%91%E8%B3%9E-%E3%80%80%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%82%E7%99%BB%E5%A0%B4%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB13%E6%97%A5?videoId=236486648


金正恩が早々に実施したものが、これだった。ここまでアメリカナイズが進めば、誰がどう見たって分かるものであろう。米朝関係は、そういう方向に進みたい、ということだ。


これと日本の紅白は、何ら違いがない、ということを多くの日本人はお気づきであろう。NHKの紅白で行われた演出は、北朝鮮のそれと同じであった、ということだ。この意味について、よく考えてみるべきだろう。

で、今度は、グーグル会長が訪朝だそうだ。
因みに、グーグル会長がシリアやリビアやエジプトを訪問していた、というニュースを見た記憶はない。いや、別に中東に訪問せよ、ということではありませんので。普通は、民間企業の要人―しかも世界的に超有名は企業のトップ―は、あまりそういった危険地帯に出向く利益というものは、殆ど想定できない。


けれど、紅白の腐れ演出が北朝鮮レベルと同一であることに気付けば、グーグル会長の訪朝が偶然ではないことを教えてくれる、というわけである。恐らく、会長はロッキーのテーマを晩餐会で披露されたことだろう(笑)。惜しむらくかな、ランボーが「怒りのアフガン」みたいに脱出してくる、という筋書きに重ねるなら、ロッキーよりランボーのテーマ曲の方が良い選択であったろうが。


北朝鮮の脅威という筋は、もう効き目が消えた、ということなのさ。
あとは、韓国同様に労働力供給地域となってくれ、ということだ。戦争相手には、不向きだということになってゆくだろう。そのダメ押しとなったのが、昨年のロケット発射騒動だった、というわけだ。”事実上の”ミサイル、というヤツね。


グーグル会長が訪朝した、ということは、金正恩の反米撤回路線が今後も続くであろう、ということである。その一つのピースがグーグル会長ということであり、広告塔としての
役割を担うということだ。今も悲惨だが、奴隷化も同じく悲惨という選択肢しか北朝鮮にはない、ということだ。今の韓国には北朝鮮を支えるだけの経済力は有していない。恐らく、これが頭痛の種であろう。


ネットを開放せよ、と。自由化をグーグル会長が求めた、と。なるほど。
正義の味方の役目の人は必要だからな。だからといって、会長が本当の意味において正義かどうかは判らない。そのように見える、或いは見せている、ということなのかもしれない。
トゥーフェイスが光の騎士だった。だからといって、デント検事が本当に正義の人だったかといえば、それは違うということだ。


言えることは、日本のNHKが視聴率という点において特別な番組であるところの紅白にディズニーキャラが登場したのと、金正恩がメリケン化したステージ鑑賞をしたのは、共通性があるものであり、そこには米国サイドの思惑が透けて見えるのではないか、ということだ。



そういうわけで、グーグルさんのことは残念ながら、evil路線に行ってしまったんだな、という評価がほぼ固まった、ということだ。


もしもグーグル会長が他にいくつか行っているか、中国に文句を言いに行ったりしていたのなら、そうは思わなかったかもしれない。んー、本当に残念だ。