大淀町立病院事件のことについて書いておこうと思います。「たらい回しだった」という衝撃の報道でした。悲しいことです。亡くなられた方も、遺族も無念であったろうと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。
今回の一連の報道について、初めに述べておきたいと思いますが、報道とは何か、何をどのように報ずるべきか、そういう視点が全く欠けていると言わざるを得ません。どうしてこのような悲劇が起きてしまったのか、何が問題でどこが悪かったのか、どうすれば改善されるのか、そういうことを考えないカラッポの報道です。それは、「スクープになる」「生贄を仕立てて叩けば絵になる」「何でもいいからミスを探し出せ」ということです。
Yahooニュース - 毎日新聞 - 支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良
毎日新聞の取材の発端は、「無念に思った遺族が、やり場のない怒りや悲しみ」をぶつけたわけではありません。内部情報のリークであろうと推測されます。恐らく記者の誰かが個人的にあやふやなネタを掴んだのではないかと思います。リークした動機は不明ですが、ひょっとすると、何か個人的感情に基づいていたのかもしれません・・・・。何れにせよ、遺族が率先して申し出てきた訳ではないようです。この報道によって何が起こるのか、何が得られるのか、現実が正しく伝わるのか、そういったことを何も考えずに報道が先走った結果が今の状況でしょうね。
浅薄な報道です。悪趣味な面白半分の言い回しです。「煽り」「燃料投下」としては、最高のネタだったということでしょう。これが報道側の基本姿勢です。本当に社会全体のことや遺族のことを考えていたならば、このような報じ方はしなかったでしょう。少なくとも、3流以下のゴシップに落とし込んだことは間違いないでしょう。こういうのを今まで積み重ねた結果が、今回のような受け入れ拒否を引き起こした最大の原因になっているということを、マスメディア自身がまず感じるべきでしょうね。最大の責任は、報道する側にあったということです。そのことに気付かない限り、よりよい報道は今後も出てこないでしょう。
報道の問題はとりあえずこれくらいにしておきます。次に、法的な問題はどうなのか考えてみたいと思います。
今回の問題点としては、大きく分けると、1)搬送前の問題(産科医の対処等)と、2)受け入れ拒否の問題、ということになるかと思います。これに沿って考えてみたいと思います。
1)搬送前の問題:
これは、主に産科医のとった措置が適切であったかどうかが問われると思います。その責任について考えることにします。
①診断の問題
情報がそれほど多くないですが、報道ベースでみれば、「脳出血があり、これが原因で死亡に至った」「頭部CTを撮影しなかった」ということが挙げられています。撮影しなかったことは、責任を問われる可能性が高いと思われます。ただ、撮影したからといって、治療ができたとも言えないし、症状が良くなることもないかもしれず、生命予後に影響があったかどうかは不明です。それでも、「撮るべきであったか」と問われれば、YESということかと思います。
◎頭部CTは撮影するべきであった可能性が高い。この責任は問われるかもしれない。
②法的責任
当たり前なのですが、医師は国家試験に合格すると専門科はどれでも選択できます。外科でも皮膚科でも小児科でも、専門領域は法的に規定されません。唯一「標榜」制限があるのは、麻酔科だけであったかと思います(自信ないが、確かそうだった)。これはどういうことかと言えば、法的に医師の区分はない、ということです。従って、法的責任を考えれば「どの医師であっても同じ」ということが普通に考えられると思われます。
◎医師法上では専門領域による医師の区別はなく、負っている法的責任は基本的に同じである(麻酔科は除く)。
これはどういうことかと言えば、眼科の医師だろうが、整形の医師だろうが、産科領域の患者であっても「処置を行わなければならない」はずだし、「救命しなければならない」という義務は発生する可能性はあります。医師国家試験に合格することによって、全ての医療行為について「法的責任が発生する」と考えてよいのではないかということです。なので、禁止行為は存在し得ないのです。専門領域が眼科であっても、産科の処置を行ってよいし、形成外科であっても小児科の医療行為は全て許容されます。ただ、現在の医療水準に照らして、「過失」があってはならないし、行った医療行為の結果は責任を問われます。例えば、一度もやったことのない手術を行い、その結果が悪い場合には、過失認定される可能性はある、ということです。
◎医師である以上、救護・救命義務はどの領域の患者に対してであっても法的責任を負っているだろう。
しかし、現実には心臓外科の専門ではない医師に心臓手術をやってもらうとか、産科医でない医師に帝王切開をやってもらうとか、そういうことは極めて困難です。医師法というのは、専門が何なのかというようなことは考慮されておらず(多分、昔にできた法律だからだろうと思います)、医師はある意味「スーパードクター」でなければならないのです。法的には、1人で「何でもできなければならない」ということです。そう考えると、産科医であっても「脳出血」を正確に診断し、適切な処置ができなければならない義務を負うことになります。医学部を卒業し、国家試験に合格している以上、それが出来ることが当然ということでもあります。
ズレてる喩えかもしれませんが、刑事訴訟を専門(得意)とする弁護士であっても、急にその場その場で「離婚訴訟」だの「商法」だの「行政訴訟」だの、全てのことを今すぐたった1人でできなければならない、ということです。時間との戦いなのですよ。刻々と変わっていく状況の中で、全てを正しく対応しなけりゃイカンのですよ。過去の判例だとか、他の文献なんかを調べたり読んだりする暇なんかないのです。弁護士が果たしてそれをやっているでしょうか?できますか?「たった今、目の前でやれ」ですよ。これはほぼ無理なのではないかと思われます。
◎全ての領域について正確に診断し、適切な処置ができることを求めるのは実際には難しい。
一方、世間の評価とかマスメディアの論調などでは、医師の技術レベルや能力などに関して厳しい非難があります。「できないのであれば、やるべきではない」ということであり(当たり前ですが)、医師の対応能力を超えているものであれば、転送するしかないでしょう。通常、1次医療機関(ごく普通の病院や診療所)でできない場合には、2次、3次という高次の医療機関に送って診てもらう以外にはありません。2次とか3次とかの医療機関は、大きな総合病院とか地域の基幹病院、大学病院等であろうかと思います(厳密には行政の指定などがあるのかもしれません)。
ここで、1次医療機関から送る際には、色々な場合が考えられます。a)確定診断がつけられず不明のまま送る、b)ある程度診断がついていて送る、c)確定診断があっても治療できないので送る、というようなことがあるかと思います。送り手も受け手も、「必ず確定診断をつけてからではないと送れない」などという決まりは持っていないでしょう。もしそんなことがあるとしたら、1次医療機関は「常に完璧でなければならない」ということになってしまいます。治療の実行可能性だけの問題になりますが、現実的には不可能であろうと思います。そもそも「全てが確定診断可能である」という発想そのものに誤りがあると思います。日常でも、c)のような場合だけではなく、a)やb)というのが多いハズであり、専門医じゃなければ判らないとか、他科のドクターが見て送るとか、そういうのは普通なのです。
◎全ての確定診断はほぼ不可能であり、診断不明でも高次医療機関に送らざるを得ない。
これを「過失」と呼ぶとすれば、日本の医療の大半は過失が含まれると思います。多くの医療機関において誤診はあるし、確定診断ができないことも有り得るでしょう。これを「止めるべきだ」ということにするのであれば、多くの専門医集団だけから成る総合病院のみに患者全てを集めてくるしかないでしょう。医療における診断というのは、そう単純なものではありません。あくまで合理的推定(という用語が適切か否かは判りませんが)によっているのです。相当の確率で「~と考えるのが合理的」ということであって、推論に過ぎないのです。
「高圧電流が流れることがある生き物」
という条件があるとしましょう。ここから推定される生き物はいくつかありますが、こういう条件を調べて幾つかの疾患を絞り込んでいき、最終的に最も疑われる疾患を見つけ出す作業、ということだろうと思われます。さて、何でしょう、この生き物は?電気ウナギ?電気ナマズ?
実際には、ピカチュウかもしれません(笑)。こういうのが思い浮かぶかどうか、というのは、訓練以外にありません。勿論「知っているかどうか」というのが重要なことは間違いないのですが、「以前に見たことがある」というのは、非常に大切なことだろうと思われます。まるで将棋の定跡に近いかもしれません。その局面を見たときのその後の変化や分れがパッと思い浮かべば、選択の際には有利でしょう。多分、経験とはそのようなものではないかと。
医師の能力から見て、「できないこと」「経験のないこと」というのがある時、「やるべきではない」「やった結果が不良である時は過失認定される」となれば、敢えて何かの医療行為を行うことはないでしょう。これは当然です。できないから、他の病院に転院させるのですし。福島県の事件のように、「産科医が一人で行ったこと」自体が違法行為として逮捕され、刑事責任を追及されてしまう可能性があるわけですから。
条件その1:
できないことはやらない→やれば違法行為として刑事責任を追及されるから
しかし、奈良の事例では、できないから転院させようとしたのに、「何もしなかった」ことが責任追及されているのです。つまり、できないことでもある程度やるべきだ、ということになってしまいますね。
条件その2:
専門外等のできないことでもやるべき→やらないと(刑事)責任を追及されるから
このようになってしまうと思います。
どっちにしろ、叩かれるし刑事責任を追及されるんですよ。やっても、やらなくても。条件1と2を満たせるとすれば、前述したようにたった1人でも何でもできる「スーパードクター」の場合だけなんですよ。医師は神でもなければ、ブラックジャックでもない。全てに万能で完璧な医師なんて、この世に存在しない。
マスメディアの論調のオカシイところは、「何がどう問題なのか」ということを考えず、ただ「ミスがあったのではないか」「誤診だったのではないか」という具合に、煽り立てているだけです。「バッシング対象」をひたすら渉猟しているだけで、問題解決には繋がらない方向に誘導し、人々の気を引こうとするだけなのです。まるで、国会で起こったガセネタメール騒動みたいなものなのです。無責任な放言だけなら馬鹿でもできるんですよ。素人がネット上で「デマ」を流すのと、マスメディアが「煽情報道」を垂れ流すのと、何が違いますか?
多くの一般大衆を煽動し、こうした方向に大衆意志が向けられたのは、マスメディアの論調に大きく影響されたが故です。考えないメディア担当者たちの「おもしろおかしく」伝える姿勢、人気取りの姿勢、バッシングを好む姿勢、そういうのが広く拡散された結果なのです。
相手は誰でもいいですよ。考えてみて下さい。
あなたと最愛の人が、山小屋にたった2人だけでいるとします。救急隊が到着するまでには、数時間以上かかってしまうとしましょう。他に誰もいません。
今、最愛の人が、喉に何かを詰まらせました。非常に苦しがっています。このままでは窒息しそうです。
あなたはどうしますか?
大型の登山ナイフを持っています。喉を切り裂き、気管に空気を送れる穴を開けることに成功すれば、助けられるかもしれません。でも、切らなくても、どうにかして喉の奥に詰まったものが取り除けるか、吐かせられるかもしれないし。時間がありませんよ。さあ、どうします?最愛の人は意識を失いましたよ。迷っている時間はありません。どうしますか?このまま死を待ちますか?
或いは、こういうのはどうでしょう。
山小屋には大きな風車が回っています。内部の天井に上がって巨大な歯車なんかが回っているのを2人で見ていました。その時です。最愛の人が右腕を大きな歯車に挟まれました。ぐちゃぐちゃに潰れてしまっています。でも、挟まったままで今度は体が歯車に向かって引き込まれていきます。既に肘がつぶされる所まできました。このままでは、巨大な歯車に全身を巻き込まれてしまいます。どうしますか?
歯車は強力で、物理的な力では止めることができません。山小屋には斧があって、右腕を切断し体を引き離せば助けられるかもしれません。一か八かやってみますか?仮に切断したとしても、その後大量出血でやはり助からないかもしれないし、外傷性ショックで死亡するかもしれませんけど。もう時間はありませんよ。決断せねばなりません。さあ、どうしますか?もう肩が歯車に近づいていますよ。切断部位が体に近づけば、切断そのものができなくなりますよ?巻き込まれるのをじっと待って見ていますか?
大袈裟なシチュエーションだというのは判っています。しかし、多くの人々が医師に求めているのは、こうした状況下であっても、100%完璧に対応し、全部を救ってくれ、ということなんですよ。人間なのですよ、医師も。ギリギリの状況なんていくらでもあると思いますよ。でも、決断しなければならない。どうにか決めて、何かをやらねばならんのですよ。
歯車を止めようとして、間に合わなかったら、結果は最悪の死ですよね。「何故腕を切断しなかったんだ?」とか後から言うのですよ、みんなは。「風車を止めに行く」という決断をしたのが誤りであった、とかを追及され、刑事責任を負わされることになるんですよ。或いは、切断した結果、外傷性ショックで死亡したら、「何故風車の連結部かベルトを探し出して止めなかったんだ。切断したら大量に出血することくらい予測できただろ?オマエが殺したようなもんだ」とかバッシングに晒されるのですよ。そうして捜査当局を後押しして、逮捕に至ってしまうのです。
長くなったので、とりあえず。
2)の受け入れ拒否に関しては次の記事で述べたいと思います。
今回の一連の報道について、初めに述べておきたいと思いますが、報道とは何か、何をどのように報ずるべきか、そういう視点が全く欠けていると言わざるを得ません。どうしてこのような悲劇が起きてしまったのか、何が問題でどこが悪かったのか、どうすれば改善されるのか、そういうことを考えないカラッポの報道です。それは、「スクープになる」「生贄を仕立てて叩けば絵になる」「何でもいいからミスを探し出せ」ということです。
Yahooニュース - 毎日新聞 - 支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良
毎日新聞の取材の発端は、「無念に思った遺族が、やり場のない怒りや悲しみ」をぶつけたわけではありません。内部情報のリークであろうと推測されます。恐らく記者の誰かが個人的にあやふやなネタを掴んだのではないかと思います。リークした動機は不明ですが、ひょっとすると、何か個人的感情に基づいていたのかもしれません・・・・。何れにせよ、遺族が率先して申し出てきた訳ではないようです。この報道によって何が起こるのか、何が得られるのか、現実が正しく伝わるのか、そういったことを何も考えずに報道が先走った結果が今の状況でしょうね。
浅薄な報道です。悪趣味な面白半分の言い回しです。「煽り」「燃料投下」としては、最高のネタだったということでしょう。これが報道側の基本姿勢です。本当に社会全体のことや遺族のことを考えていたならば、このような報じ方はしなかったでしょう。少なくとも、3流以下のゴシップに落とし込んだことは間違いないでしょう。こういうのを今まで積み重ねた結果が、今回のような受け入れ拒否を引き起こした最大の原因になっているということを、マスメディア自身がまず感じるべきでしょうね。最大の責任は、報道する側にあったということです。そのことに気付かない限り、よりよい報道は今後も出てこないでしょう。
報道の問題はとりあえずこれくらいにしておきます。次に、法的な問題はどうなのか考えてみたいと思います。
今回の問題点としては、大きく分けると、1)搬送前の問題(産科医の対処等)と、2)受け入れ拒否の問題、ということになるかと思います。これに沿って考えてみたいと思います。
1)搬送前の問題:
これは、主に産科医のとった措置が適切であったかどうかが問われると思います。その責任について考えることにします。
①診断の問題
情報がそれほど多くないですが、報道ベースでみれば、「脳出血があり、これが原因で死亡に至った」「頭部CTを撮影しなかった」ということが挙げられています。撮影しなかったことは、責任を問われる可能性が高いと思われます。ただ、撮影したからといって、治療ができたとも言えないし、症状が良くなることもないかもしれず、生命予後に影響があったかどうかは不明です。それでも、「撮るべきであったか」と問われれば、YESということかと思います。
◎頭部CTは撮影するべきであった可能性が高い。この責任は問われるかもしれない。
②法的責任
当たり前なのですが、医師は国家試験に合格すると専門科はどれでも選択できます。外科でも皮膚科でも小児科でも、専門領域は法的に規定されません。唯一「標榜」制限があるのは、麻酔科だけであったかと思います(自信ないが、確かそうだった)。これはどういうことかと言えば、法的に医師の区分はない、ということです。従って、法的責任を考えれば「どの医師であっても同じ」ということが普通に考えられると思われます。
◎医師法上では専門領域による医師の区別はなく、負っている法的責任は基本的に同じである(麻酔科は除く)。
これはどういうことかと言えば、眼科の医師だろうが、整形の医師だろうが、産科領域の患者であっても「処置を行わなければならない」はずだし、「救命しなければならない」という義務は発生する可能性はあります。医師国家試験に合格することによって、全ての医療行為について「法的責任が発生する」と考えてよいのではないかということです。なので、禁止行為は存在し得ないのです。専門領域が眼科であっても、産科の処置を行ってよいし、形成外科であっても小児科の医療行為は全て許容されます。ただ、現在の医療水準に照らして、「過失」があってはならないし、行った医療行為の結果は責任を問われます。例えば、一度もやったことのない手術を行い、その結果が悪い場合には、過失認定される可能性はある、ということです。
◎医師である以上、救護・救命義務はどの領域の患者に対してであっても法的責任を負っているだろう。
しかし、現実には心臓外科の専門ではない医師に心臓手術をやってもらうとか、産科医でない医師に帝王切開をやってもらうとか、そういうことは極めて困難です。医師法というのは、専門が何なのかというようなことは考慮されておらず(多分、昔にできた法律だからだろうと思います)、医師はある意味「スーパードクター」でなければならないのです。法的には、1人で「何でもできなければならない」ということです。そう考えると、産科医であっても「脳出血」を正確に診断し、適切な処置ができなければならない義務を負うことになります。医学部を卒業し、国家試験に合格している以上、それが出来ることが当然ということでもあります。
ズレてる喩えかもしれませんが、刑事訴訟を専門(得意)とする弁護士であっても、急にその場その場で「離婚訴訟」だの「商法」だの「行政訴訟」だの、全てのことを今すぐたった1人でできなければならない、ということです。時間との戦いなのですよ。刻々と変わっていく状況の中で、全てを正しく対応しなけりゃイカンのですよ。過去の判例だとか、他の文献なんかを調べたり読んだりする暇なんかないのです。弁護士が果たしてそれをやっているでしょうか?できますか?「たった今、目の前でやれ」ですよ。これはほぼ無理なのではないかと思われます。
◎全ての領域について正確に診断し、適切な処置ができることを求めるのは実際には難しい。
一方、世間の評価とかマスメディアの論調などでは、医師の技術レベルや能力などに関して厳しい非難があります。「できないのであれば、やるべきではない」ということであり(当たり前ですが)、医師の対応能力を超えているものであれば、転送するしかないでしょう。通常、1次医療機関(ごく普通の病院や診療所)でできない場合には、2次、3次という高次の医療機関に送って診てもらう以外にはありません。2次とか3次とかの医療機関は、大きな総合病院とか地域の基幹病院、大学病院等であろうかと思います(厳密には行政の指定などがあるのかもしれません)。
ここで、1次医療機関から送る際には、色々な場合が考えられます。a)確定診断がつけられず不明のまま送る、b)ある程度診断がついていて送る、c)確定診断があっても治療できないので送る、というようなことがあるかと思います。送り手も受け手も、「必ず確定診断をつけてからではないと送れない」などという決まりは持っていないでしょう。もしそんなことがあるとしたら、1次医療機関は「常に完璧でなければならない」ということになってしまいます。治療の実行可能性だけの問題になりますが、現実的には不可能であろうと思います。そもそも「全てが確定診断可能である」という発想そのものに誤りがあると思います。日常でも、c)のような場合だけではなく、a)やb)というのが多いハズであり、専門医じゃなければ判らないとか、他科のドクターが見て送るとか、そういうのは普通なのです。
◎全ての確定診断はほぼ不可能であり、診断不明でも高次医療機関に送らざるを得ない。
これを「過失」と呼ぶとすれば、日本の医療の大半は過失が含まれると思います。多くの医療機関において誤診はあるし、確定診断ができないことも有り得るでしょう。これを「止めるべきだ」ということにするのであれば、多くの専門医集団だけから成る総合病院のみに患者全てを集めてくるしかないでしょう。医療における診断というのは、そう単純なものではありません。あくまで合理的推定(という用語が適切か否かは判りませんが)によっているのです。相当の確率で「~と考えるのが合理的」ということであって、推論に過ぎないのです。
「高圧電流が流れることがある生き物」
という条件があるとしましょう。ここから推定される生き物はいくつかありますが、こういう条件を調べて幾つかの疾患を絞り込んでいき、最終的に最も疑われる疾患を見つけ出す作業、ということだろうと思われます。さて、何でしょう、この生き物は?電気ウナギ?電気ナマズ?
実際には、ピカチュウかもしれません(笑)。こういうのが思い浮かぶかどうか、というのは、訓練以外にありません。勿論「知っているかどうか」というのが重要なことは間違いないのですが、「以前に見たことがある」というのは、非常に大切なことだろうと思われます。まるで将棋の定跡に近いかもしれません。その局面を見たときのその後の変化や分れがパッと思い浮かべば、選択の際には有利でしょう。多分、経験とはそのようなものではないかと。
医師の能力から見て、「できないこと」「経験のないこと」というのがある時、「やるべきではない」「やった結果が不良である時は過失認定される」となれば、敢えて何かの医療行為を行うことはないでしょう。これは当然です。できないから、他の病院に転院させるのですし。福島県の事件のように、「産科医が一人で行ったこと」自体が違法行為として逮捕され、刑事責任を追及されてしまう可能性があるわけですから。
条件その1:
できないことはやらない→やれば違法行為として刑事責任を追及されるから
しかし、奈良の事例では、できないから転院させようとしたのに、「何もしなかった」ことが責任追及されているのです。つまり、できないことでもある程度やるべきだ、ということになってしまいますね。
条件その2:
専門外等のできないことでもやるべき→やらないと(刑事)責任を追及されるから
このようになってしまうと思います。
どっちにしろ、叩かれるし刑事責任を追及されるんですよ。やっても、やらなくても。条件1と2を満たせるとすれば、前述したようにたった1人でも何でもできる「スーパードクター」の場合だけなんですよ。医師は神でもなければ、ブラックジャックでもない。全てに万能で完璧な医師なんて、この世に存在しない。
マスメディアの論調のオカシイところは、「何がどう問題なのか」ということを考えず、ただ「ミスがあったのではないか」「誤診だったのではないか」という具合に、煽り立てているだけです。「バッシング対象」をひたすら渉猟しているだけで、問題解決には繋がらない方向に誘導し、人々の気を引こうとするだけなのです。まるで、国会で起こったガセネタメール騒動みたいなものなのです。無責任な放言だけなら馬鹿でもできるんですよ。素人がネット上で「デマ」を流すのと、マスメディアが「煽情報道」を垂れ流すのと、何が違いますか?
多くの一般大衆を煽動し、こうした方向に大衆意志が向けられたのは、マスメディアの論調に大きく影響されたが故です。考えないメディア担当者たちの「おもしろおかしく」伝える姿勢、人気取りの姿勢、バッシングを好む姿勢、そういうのが広く拡散された結果なのです。
相手は誰でもいいですよ。考えてみて下さい。
あなたと最愛の人が、山小屋にたった2人だけでいるとします。救急隊が到着するまでには、数時間以上かかってしまうとしましょう。他に誰もいません。
今、最愛の人が、喉に何かを詰まらせました。非常に苦しがっています。このままでは窒息しそうです。
あなたはどうしますか?
大型の登山ナイフを持っています。喉を切り裂き、気管に空気を送れる穴を開けることに成功すれば、助けられるかもしれません。でも、切らなくても、どうにかして喉の奥に詰まったものが取り除けるか、吐かせられるかもしれないし。時間がありませんよ。さあ、どうします?最愛の人は意識を失いましたよ。迷っている時間はありません。どうしますか?このまま死を待ちますか?
或いは、こういうのはどうでしょう。
山小屋には大きな風車が回っています。内部の天井に上がって巨大な歯車なんかが回っているのを2人で見ていました。その時です。最愛の人が右腕を大きな歯車に挟まれました。ぐちゃぐちゃに潰れてしまっています。でも、挟まったままで今度は体が歯車に向かって引き込まれていきます。既に肘がつぶされる所まできました。このままでは、巨大な歯車に全身を巻き込まれてしまいます。どうしますか?
歯車は強力で、物理的な力では止めることができません。山小屋には斧があって、右腕を切断し体を引き離せば助けられるかもしれません。一か八かやってみますか?仮に切断したとしても、その後大量出血でやはり助からないかもしれないし、外傷性ショックで死亡するかもしれませんけど。もう時間はありませんよ。決断せねばなりません。さあ、どうしますか?もう肩が歯車に近づいていますよ。切断部位が体に近づけば、切断そのものができなくなりますよ?巻き込まれるのをじっと待って見ていますか?
大袈裟なシチュエーションだというのは判っています。しかし、多くの人々が医師に求めているのは、こうした状況下であっても、100%完璧に対応し、全部を救ってくれ、ということなんですよ。人間なのですよ、医師も。ギリギリの状況なんていくらでもあると思いますよ。でも、決断しなければならない。どうにか決めて、何かをやらねばならんのですよ。
歯車を止めようとして、間に合わなかったら、結果は最悪の死ですよね。「何故腕を切断しなかったんだ?」とか後から言うのですよ、みんなは。「風車を止めに行く」という決断をしたのが誤りであった、とかを追及され、刑事責任を負わされることになるんですよ。或いは、切断した結果、外傷性ショックで死亡したら、「何故風車の連結部かベルトを探し出して止めなかったんだ。切断したら大量に出血することくらい予測できただろ?オマエが殺したようなもんだ」とかバッシングに晒されるのですよ。そうして捜査当局を後押しして、逮捕に至ってしまうのです。
長くなったので、とりあえず。
2)の受け入れ拒否に関しては次の記事で述べたいと思います。
それとも研修医制度の一時の混乱で数年後には解消されるのでしょうか。
麻酔科医は他科の患者を拒否できるのですか?
マスコミのようになんでもかんでも悪として論ずると、できることできないことがあることを忘れている気がする。
訴訟の多い(産婦人科。小児科)医師がさらに訴訟を恐れて減少。悪循環です。
医師はスーパーマンじゃない。
諸外国と比べて人口当たりの医師数は多いとは言えません。医療スタッフ全体にそうです。なので、「3時間待ち、3分治療」のようなことが起こってしまいがちでしょう。今のままだと、基本的には解消が難しいでしょう。
>mooninさん
記事中にも書きましたが、麻酔科は「標榜」規定に法的規制があったはずだったろう、と。施行令か施行規則にあるかもしれません。麻酔科の標榜は一定の資格要件を満たさないとできないですが、他の診療科目は可能であったかな、と思います。
>watarajpさん
>悪循環、スーパーマンじゃない
本当にそう思います。しかし、これを改善していける方策を考えねば、如何に不満を言っていても、情報や意見が「内輪」に向かっているだけで、理解は得られにくいのではなかろうか、とも思っています。
国民と医療側双方に歩み寄り努力や理解を求めていくことも必要なのではないかな、と。
「負っている法的責任」が麻酔科は除外されるという意味が不明なのです。
現職の麻酔科標榜医として知らずにいては恥ずかしいので、法的責任を負わないという法律と条文を教えてください。
長くなるので記事にしました。そちらをお読み下さればと思います。