人間というのは、こうでなくちゃいけない。形勢逆転と見るや、不信任案賛成と豪語していた連中が、一夜にして掌を返し野党の不信任案に乗るのは邪道とか言い放って賛否をコロッと変えるようなのと一緒といえば一緒かもね。
世渡り上手というか、政治の世界に生きる人間はこれくらいの掌返しが朝飯前で出来なけりゃならない、ということなんだろうね。政治家とか官僚とかってのは、それくらいじゃないと務まらないということか。
で、東証の社長さんですが、以前に枝野発言を批判しておったということで記事になっていたはずですが、今回はコロッと態度を変えてみましたよ、ということなんでしょうか(笑)。
>asahi.com(朝日新聞社):東証社長、東電の法的整理を主張 「日航と同様に」 - ビジネス・経済
(一部引用)
『1990年代の金融システム危機を参考にした処理案も提示。特別法をつくり、東電の資産内容を厳しく調査。債務超過ならば一時国有化し、銀行には債権放棄を求める。その場合、東電は上場廃止になるが、数年後に発電会社として再上場する案を示した。送電設備の売却や原発の国有化の可能性も指摘した。』
と書かれていますな。
目をゴシゴシしちゃいましたよ。あれ?
「銀行には債権放棄を求める」って、それは官房長官の言ってた債権放棄と何か違うんだろうか?いや、法的枠組みが違うから、ということだろうけど、銀行にとっては債権放棄には変わりないわけで(笑)。
まあ、東証の斎藤社長が「銀行は債権放棄」派に転じたというなら、それはそれで別にいいんですがね。ま、あの一味とみなされたくない、という意思表示ならば、それでも構いませんが。
で、以前にはどんな風なことを言っていたのかというのを調べたんですが、記事が消されちゃってて中々出てこないのも不便だな。残せよ、と言っているのに。
こんなのとか>はてなブックマーク - 枝野長官の債権放棄発言、東証社長が批判 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
簡単に言うと、余計なことを言うな、と。なるほど。思ってることを口に出すな、と。それは、何処かの誰かに言ってあげたいセリフだな。
>「混乱生む」枝野氏発言に東証社長が苦言 - MSN産経ニュース
この記事にあった金言はこれだ。
「統制国家、命令国家ではなく、民主主義で市場経済が動いている国ということを忘れてはいけない。安易に債権放棄をさせられた銀行は、次に貸さないと思う。そのときは国が貸すのか」
「論理がたたないままに言葉だけ走ると非常に混乱を生む。思ってもいわないほうがいい」
他の記事では次のようなことも言ってたらしい。
「東電は株主の会社であって政府の会社ではない」
うむ、確かに。どれだけ素晴らしい意見なのか、例示をしてみよう。
○例1:
3条但書適用をしつこく主張している経団連会長とか全銀協会長に向かって
→「論理がたたないままに言葉だけ走ると非常に混乱を生む。思ってもいわないほうがいい」
んー、全くその通り!
たとえ自分では適用の余地があるなんて思っていたとしても、社会的影響力の大きさなんかを考慮すれば、思っていても言わない方がいいに決まっている。学者でもなく弁護士でもないわけだから、論理がたたないままでは出鱈目を言っているのと同じになる。
○例2:
一官僚がメガバンク幹部に「融資をよろしく頼む」みたいに暗に言ったというだけで「事実上の政府要請」とし、東電に融資してしまったメガバンクに向かって
→「銀行は株主の会社であって政府の会社ではない」
全くその通り。銀行がどこに貸すかなんて、政府が口出しするもんなの?それはどんな仕組みですか?なのに、政府要請だったから、貸してしまったと?銀行は株主の会社であって政府の会社じゃないんだよね?ならば、どうして官僚が言うと勝手に貸してしまうのか?(笑)
政府要請だと貸す、というルールでもあるのか?
銀行幹部や全銀協役員に教えてやれよ。官僚が一言二言言ったくらいで、貸すなって。
斎藤社長の次の言葉をかみしめるとよい。
「統制国家、命令国家ではなく、民主主義で市場経済が動いている国ということを忘れてはいけない」
経産次官だか金融庁だかが何と言ったか知らんが、それで貸すのは統制国家、命令国家ってことなんじゃないの?(笑)
東証の斎藤社長の言葉は、是非とも経団連会長、全銀協会長に言ってあげるべきですわ。
日本の偉い方々というのは、さすがですね。
◎今日の教訓:思っても言わない方がいい、って
世渡り上手というか、政治の世界に生きる人間はこれくらいの掌返しが朝飯前で出来なけりゃならない、ということなんだろうね。政治家とか官僚とかってのは、それくらいじゃないと務まらないということか。
で、東証の社長さんですが、以前に枝野発言を批判しておったということで記事になっていたはずですが、今回はコロッと態度を変えてみましたよ、ということなんでしょうか(笑)。
>asahi.com(朝日新聞社):東証社長、東電の法的整理を主張 「日航と同様に」 - ビジネス・経済
(一部引用)
『1990年代の金融システム危機を参考にした処理案も提示。特別法をつくり、東電の資産内容を厳しく調査。債務超過ならば一時国有化し、銀行には債権放棄を求める。その場合、東電は上場廃止になるが、数年後に発電会社として再上場する案を示した。送電設備の売却や原発の国有化の可能性も指摘した。』
と書かれていますな。
目をゴシゴシしちゃいましたよ。あれ?
「銀行には債権放棄を求める」って、それは官房長官の言ってた債権放棄と何か違うんだろうか?いや、法的枠組みが違うから、ということだろうけど、銀行にとっては債権放棄には変わりないわけで(笑)。
まあ、東証の斎藤社長が「銀行は債権放棄」派に転じたというなら、それはそれで別にいいんですがね。ま、あの一味とみなされたくない、という意思表示ならば、それでも構いませんが。
で、以前にはどんな風なことを言っていたのかというのを調べたんですが、記事が消されちゃってて中々出てこないのも不便だな。残せよ、と言っているのに。
こんなのとか>はてなブックマーク - 枝野長官の債権放棄発言、東証社長が批判 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
簡単に言うと、余計なことを言うな、と。なるほど。思ってることを口に出すな、と。それは、何処かの誰かに言ってあげたいセリフだな。
>「混乱生む」枝野氏発言に東証社長が苦言 - MSN産経ニュース
この記事にあった金言はこれだ。
「統制国家、命令国家ではなく、民主主義で市場経済が動いている国ということを忘れてはいけない。安易に債権放棄をさせられた銀行は、次に貸さないと思う。そのときは国が貸すのか」
「論理がたたないままに言葉だけ走ると非常に混乱を生む。思ってもいわないほうがいい」
他の記事では次のようなことも言ってたらしい。
「東電は株主の会社であって政府の会社ではない」
うむ、確かに。どれだけ素晴らしい意見なのか、例示をしてみよう。
○例1:
3条但書適用をしつこく主張している経団連会長とか全銀協会長に向かって
→「論理がたたないままに言葉だけ走ると非常に混乱を生む。思ってもいわないほうがいい」
んー、全くその通り!
たとえ自分では適用の余地があるなんて思っていたとしても、社会的影響力の大きさなんかを考慮すれば、思っていても言わない方がいいに決まっている。学者でもなく弁護士でもないわけだから、論理がたたないままでは出鱈目を言っているのと同じになる。
○例2:
一官僚がメガバンク幹部に「融資をよろしく頼む」みたいに暗に言ったというだけで「事実上の政府要請」とし、東電に融資してしまったメガバンクに向かって
→「銀行は株主の会社であって政府の会社ではない」
全くその通り。銀行がどこに貸すかなんて、政府が口出しするもんなの?それはどんな仕組みですか?なのに、政府要請だったから、貸してしまったと?銀行は株主の会社であって政府の会社じゃないんだよね?ならば、どうして官僚が言うと勝手に貸してしまうのか?(笑)
政府要請だと貸す、というルールでもあるのか?
銀行幹部や全銀協役員に教えてやれよ。官僚が一言二言言ったくらいで、貸すなって。
斎藤社長の次の言葉をかみしめるとよい。
「統制国家、命令国家ではなく、民主主義で市場経済が動いている国ということを忘れてはいけない」
経産次官だか金融庁だかが何と言ったか知らんが、それで貸すのは統制国家、命令国家ってことなんじゃないの?(笑)
東証の斎藤社長の言葉は、是非とも経団連会長、全銀協会長に言ってあげるべきですわ。
日本の偉い方々というのは、さすがですね。
◎今日の教訓:思っても言わない方がいい、って
かなり珍しいドタバタ劇だったのではないか。率直な感想がこれだ。政治への不信感の高まりは頂点に達するが如しである。殆どの国民は、呆れてものが言えないという気持ちになったであろう。
どうして、こんな混乱が発生してしまったのか?
不可解なことが多すぎる、ということではあるけれども、私の逞しい妄想では、説明不可能というほどでもないかな(笑)。
・繰り返す「菅降ろし」
どうにかして菅政権を引き摺り降ろそうと躍起になっていた連中がいたわけだ。
最近のものだと「海水注入中断は菅総理のせい」批判だ。菅総理だけの問題というより、政権の体制とか操縦し易さとか、そういうことが問題とされたのであろう。誰にとっての、ということには、注意が必要だが。
5月27日>逆襲の一派
どうも政府の防御態勢が弱いのではないかと書いたら、本当に不信任案提出されるという窮地に。
不信任案といえば、以前に書いたのだった。
4月26日>東電を今のまま温存することなど許すべきでない
『多分、菅政権だと言うことを聞いてくれないので、東電を守れる人間を据えなければ大変困る、という方々が出てくるわけだ。恐らくね。そういう連中は、引きずりおろしに必死になるわな。これまでも、そうやってきたからだ。その手を使ってきたんだもの。
だが、いくつかの手段が封じられた。
その代表的なものが、「検察を使う」というものだ(笑)。これが使えない。だから大変困っている、ということだろうね。
(中略)
政治資金というケチなスキャンダルも、今の状況では不発で終わる。実際、不発だった。
不信任案可決で造反を求めても、小沢一派との取引が必要になる。小沢を担げ、というものだ。それだけは、絶対に許せないという方々が、ここに来て「背に腹は代えられない」という、まさかの決断をできるとも思えんし(笑)。』
こう書いたわけである。そうすると、非常事態と見たか、決断をしたというわけだ。禁断の果実に手を伸ばすことを(笑)。それとも、できるもんか、という挑発を受けて、やってやるぜということかもしれない。
・旧タイプの権力サークルの復活を求める勢力
余程切羽詰まった状態と判断されたのであろう。
小沢一派の力を借りるのだけはどうしても嫌だったが、この際止むを得ないと考えざるを得なくなるまで追い込まれていた、ということだろうね。
旧タイプの権力サークルが実権を取り戻しさえすれば、後々のことはどうにかなると、安易に見切り発車となった、ということだ。多分、時間的には余裕がなかったので、それも仕方がなかった。
サミットから戻った菅を降ろす為の準備工作を進めてきた、ということだろう。「菅降ろし」の伏線は整えられていて、マスコミにも下準備はできていた。
この旧タイプの権力サークルとは、皆さん既にご存じの官界・財界・マスコミ等を含めた勢力であり、共通点を挙げるとするなら、例えば東電を擁護、原子力を推進といったものがある。彼らの狙いは、やはり何度も出てくる「3条但書適用」といったことであり、政府がこの決定をして東電を救い、賠償は別枠でやってくれということだ。これを実行するのは、現政権では無理だ、ということだった。
そこで、政府の「ラベル」を変えましょう、ということになるわけである。変えるには、自公連立+造反組の勢力結集が必要になる。拙ブログ記事で示したような小沢一派の協力というものがどうしても必要になったわけである。言ってみれば呉越同舟みたいなものだ。
旧勢力が実権を握り、勢力復活を遂げさえすれば、後は「どうにかなる」と。
「どうにかなる」は、次第に「どうにかできる」→「どうにでもできる」という楽観論に変わっていったのだろう。
菅総理が解散総選挙にうって出ると、自公連立政権が勝てると見込んで、数の確保さえしてしまえば、後は小沢勢力の排除は「徐々にやればいい」と。いざとなれば、政治資金問題で封じ込めをすればいい、と。
過去の様々な手口(醜聞、金、検察権力、個人的資質、等々)は殆ど使えなくなってしまったので、今回は正面突破を図ってきた、ということでしょうな。勝てるかどうかという綿密さはなくとも、タイミングと勢いで「イケる」と踏んで仕掛けてきた、ということでしょう。
・生じた誤算
何かの突発的な要因、ということであろう。元々は、菅―鳩山会談は「決裂」ということだったわけである。それなのに、投票当日、それも直前の会談で、一転したのである。
それは、ここに来てどうしても阻止しなければならない事情というものがあったから、ということではないか。
例えば、新政権後に目論んでいた何かが達成困難になってしまったということが判明した、とか。話題の中心となるのは、やはり東電の処理問題ということになるだろう。「3条但書適用」といった大技が使えなくなってしまった、というような障害である。
旧タイプ政治家たちは動きだしてしまっていて止めようがなくなり、石は転がり続けるわけで、どこかに落ち着く所で止まるまで転がり続けてしまうということになるわな。一部マスコミだって支援の準備をやってきたわけだし、ここで退くわけにもいかない、ということになるわな。不信任案提出に踏み切ってしまったものだから、答えを出すまでは動かすしかない、と。
だが、一番の目的が達せられないことが判って、そうするとどうにか止める手立てを考えるよりなく、大技使えない上に「小沢との取引」と「小沢一派復活に手を貸す」ことだけが残ることになり、仮に新政権となっても小沢に急所を押さえられてしまう可能性は残る、と。大技が消えたのに、小沢の復活だけが残るなら、取引そのものを不成立にした方がよい、という判断が働いたのかもしれない。
ならば、ということで、鳩山側近を使って大逆転の知恵を授けた人間がいた、ということだろう。面白い策士ではある。うまい手を思いついたものだな、と。
鳩山がこれを牽引する程の力量があったとも思えず、この土壇場で鳩山を落として寝返らせ、小沢封印を実現させてしまったのだから、凄腕であろうな、と。
鳩山グループが寝返ったという情報は不信任案賛成派の数的不利の懸念を現実のものとし、小沢グループにも思いとどまらせるに至った、ということですから、まさに急所への一撃となったわけですな。
不信任案を否決に追い込み、小沢封印を維持するには、ここしかない、という一手であったということです。
感服致しました。
策とは、こうでなくちゃ、とは思いましたわ。いやいや、頭の切れる人間というのは、やっぱりどこかにいるんですね。
転がる石がデカけりゃ、止めるのも容易ではないですもんね。
で、自民党では、ぬかよろこびに湧いていたようですが、勝ったも同然という時ほど用心が必要ということでありましょう。得てして、こういうもんだ、ということなのかもしれません。勝利を確信した時ほど、落とし穴には注意すべし、ということですか。
乗せられて、勝手に踊って、元サヤに、寂しく戻る、自民の議員。
どうして、こんな混乱が発生してしまったのか?
不可解なことが多すぎる、ということではあるけれども、私の逞しい妄想では、説明不可能というほどでもないかな(笑)。
・繰り返す「菅降ろし」
どうにかして菅政権を引き摺り降ろそうと躍起になっていた連中がいたわけだ。
最近のものだと「海水注入中断は菅総理のせい」批判だ。菅総理だけの問題というより、政権の体制とか操縦し易さとか、そういうことが問題とされたのであろう。誰にとっての、ということには、注意が必要だが。
5月27日>逆襲の一派
どうも政府の防御態勢が弱いのではないかと書いたら、本当に不信任案提出されるという窮地に。
不信任案といえば、以前に書いたのだった。
4月26日>東電を今のまま温存することなど許すべきでない
『多分、菅政権だと言うことを聞いてくれないので、東電を守れる人間を据えなければ大変困る、という方々が出てくるわけだ。恐らくね。そういう連中は、引きずりおろしに必死になるわな。これまでも、そうやってきたからだ。その手を使ってきたんだもの。
だが、いくつかの手段が封じられた。
その代表的なものが、「検察を使う」というものだ(笑)。これが使えない。だから大変困っている、ということだろうね。
(中略)
政治資金というケチなスキャンダルも、今の状況では不発で終わる。実際、不発だった。
不信任案可決で造反を求めても、小沢一派との取引が必要になる。小沢を担げ、というものだ。それだけは、絶対に許せないという方々が、ここに来て「背に腹は代えられない」という、まさかの決断をできるとも思えんし(笑)。』
こう書いたわけである。そうすると、非常事態と見たか、決断をしたというわけだ。禁断の果実に手を伸ばすことを(笑)。それとも、できるもんか、という挑発を受けて、やってやるぜということかもしれない。
・旧タイプの権力サークルの復活を求める勢力
余程切羽詰まった状態と判断されたのであろう。
小沢一派の力を借りるのだけはどうしても嫌だったが、この際止むを得ないと考えざるを得なくなるまで追い込まれていた、ということだろうね。
旧タイプの権力サークルが実権を取り戻しさえすれば、後々のことはどうにかなると、安易に見切り発車となった、ということだ。多分、時間的には余裕がなかったので、それも仕方がなかった。
サミットから戻った菅を降ろす為の準備工作を進めてきた、ということだろう。「菅降ろし」の伏線は整えられていて、マスコミにも下準備はできていた。
この旧タイプの権力サークルとは、皆さん既にご存じの官界・財界・マスコミ等を含めた勢力であり、共通点を挙げるとするなら、例えば東電を擁護、原子力を推進といったものがある。彼らの狙いは、やはり何度も出てくる「3条但書適用」といったことであり、政府がこの決定をして東電を救い、賠償は別枠でやってくれということだ。これを実行するのは、現政権では無理だ、ということだった。
そこで、政府の「ラベル」を変えましょう、ということになるわけである。変えるには、自公連立+造反組の勢力結集が必要になる。拙ブログ記事で示したような小沢一派の協力というものがどうしても必要になったわけである。言ってみれば呉越同舟みたいなものだ。
旧勢力が実権を握り、勢力復活を遂げさえすれば、後は「どうにかなる」と。
「どうにかなる」は、次第に「どうにかできる」→「どうにでもできる」という楽観論に変わっていったのだろう。
菅総理が解散総選挙にうって出ると、自公連立政権が勝てると見込んで、数の確保さえしてしまえば、後は小沢勢力の排除は「徐々にやればいい」と。いざとなれば、政治資金問題で封じ込めをすればいい、と。
過去の様々な手口(醜聞、金、検察権力、個人的資質、等々)は殆ど使えなくなってしまったので、今回は正面突破を図ってきた、ということでしょうな。勝てるかどうかという綿密さはなくとも、タイミングと勢いで「イケる」と踏んで仕掛けてきた、ということでしょう。
・生じた誤算
何かの突発的な要因、ということであろう。元々は、菅―鳩山会談は「決裂」ということだったわけである。それなのに、投票当日、それも直前の会談で、一転したのである。
それは、ここに来てどうしても阻止しなければならない事情というものがあったから、ということではないか。
例えば、新政権後に目論んでいた何かが達成困難になってしまったということが判明した、とか。話題の中心となるのは、やはり東電の処理問題ということになるだろう。「3条但書適用」といった大技が使えなくなってしまった、というような障害である。
旧タイプ政治家たちは動きだしてしまっていて止めようがなくなり、石は転がり続けるわけで、どこかに落ち着く所で止まるまで転がり続けてしまうということになるわな。一部マスコミだって支援の準備をやってきたわけだし、ここで退くわけにもいかない、ということになるわな。不信任案提出に踏み切ってしまったものだから、答えを出すまでは動かすしかない、と。
だが、一番の目的が達せられないことが判って、そうするとどうにか止める手立てを考えるよりなく、大技使えない上に「小沢との取引」と「小沢一派復活に手を貸す」ことだけが残ることになり、仮に新政権となっても小沢に急所を押さえられてしまう可能性は残る、と。大技が消えたのに、小沢の復活だけが残るなら、取引そのものを不成立にした方がよい、という判断が働いたのかもしれない。
ならば、ということで、鳩山側近を使って大逆転の知恵を授けた人間がいた、ということだろう。面白い策士ではある。うまい手を思いついたものだな、と。
鳩山がこれを牽引する程の力量があったとも思えず、この土壇場で鳩山を落として寝返らせ、小沢封印を実現させてしまったのだから、凄腕であろうな、と。
鳩山グループが寝返ったという情報は不信任案賛成派の数的不利の懸念を現実のものとし、小沢グループにも思いとどまらせるに至った、ということですから、まさに急所への一撃となったわけですな。
不信任案を否決に追い込み、小沢封印を維持するには、ここしかない、という一手であったということです。
感服致しました。
策とは、こうでなくちゃ、とは思いましたわ。いやいや、頭の切れる人間というのは、やっぱりどこかにいるんですね。
転がる石がデカけりゃ、止めるのも容易ではないですもんね。
で、自民党では、ぬかよろこびに湧いていたようですが、勝ったも同然という時ほど用心が必要ということでありましょう。得てして、こういうもんだ、ということなのかもしれません。勝利を確信した時ほど、落とし穴には注意すべし、ということですか。
乗せられて、勝手に踊って、元サヤに、寂しく戻る、自民の議員。
全銀協には関係ありませんが、みずほ銀行に対する金融庁の処分がかなり厳しかったのは、ひょっと東電緊急融資に絡んで裏で何かあったのかな、などといった噂好きたちの憶測を招いたりしたんでしょうか。金融庁のご意向に対し、二つ返事で即融資に応じなかったから、とか?
根も葉もない話ですから、これはおいといて、と。
非常にナーバスになっていると奥会長も言っていた、格付け会社の東電評価ですけれども、ボロクソに落ちて行ったみたいですね。ただでさえ落ちていたのに、そこから更に奈落の底へと旅立って逝かれたようで。ジャンクですか。今度は一気に5段階引き下げだったんでしたか。残念ですな。
小細工を弄して、墓穴を掘るの図、でしょうか(笑)。
さて、本題に入りましょう。
>会長記者会見|全国銀行協会
奥会長の会見での発言というものを、報道以外から初めて拝見しました。とても参考になりました。それから、官房長官の記者会見のページも質疑応答を全部載せておいて欲しいですよね。調べられないもの。その点、全銀協さんはきちんとされていらっしゃる。さすが、お堅い銀行さん、ですね。
奥会長は、5月19日会見で、次のように述べておられた。
『賠償スキームについて触れる前に一言申しあげると、この場でいつも原子力損害賠償法の3条但し書きについて言ってきたが、今回のスキームというのは、基本的に3条但し書きの話ではなくなっている。どうしてかなぁ、と思う。なかなか難しい話ではあるが、閣内では与謝野大臣が、そういう話をされているということを新聞で読んだが、私はそこの結論に至るインナーの議論がオープンにされても良いのではないかと思っている。3条但し書きというものをわざわざ規定していることの意味合いを踏まえ、国民に対して説明する責任があるのではないかと思っている。おそらくこれは、私だけではなく、国内の関係者、海外の投資家、または法律家が、大変強く関心を持っており、私はこの点については説明を果たしていただきたいと強く思っている。』
3条但書については、これ以前にも言ってきたということで、4月14日会見にもありました。
『私は、弁護士でも学者でもなく、また法律を解釈する立場にもないので、何とも言えないが、私なりに法律を読みこんだ印象としては、3条但し書きの検討余地もあるのではないかということ。
「被害者救済」と「原子力事業の健全性の維持」という二つの目的を実現するというのがこの法律の趣旨と理解しており、私はそういった(但し書き適用の)検討余地があると思う。いずれにせよ大事なのは、これらの二つの目的を達することであり、そのためには、政府の関与が必要であるということを申しあげている。政府は本則で「第一義的に東電に責任がある」という考えをしているが、但し書きを適用するという考え方を採る余地もあるのではないか。そのうえで、どうような対応をすべきと判断するのかということだと思う。今回のケースは、初めての出来事だから不手際というのはある。そして、原子力発電所の問題が、ここまで大きくなるとは思っていなかったけれども、実際に被害を受けていらっしゃる方がいるわけだから、その救済をしっかりやっていくということと、冷静に本件の因果関係を辿ってみて、国の関与をどうするかということをしっかりみていく必要があるのではないかと思う。政治としてみれば、住民感情というのを大事にされるだろうし、それはそれで十分理解できるが、その一方で因果関係を辿っていくときに、国の関与についても十分みていかなければならないと思う。』
どうやら、4月14日時点での奥会長の個人的見解としては、「但書適用の検討余地があるのではないか」ということだったみたいですね。法律を読み込んだ印象、とか、検討余地があるのではないか、といった曖昧な表現になっているから、ですね。普通、専門家の意見を聴取した場合には、例えば「顧問弁護士の○○によると~だ」とか、「当社の法務で検討した結果、~だ」とか言うはずではないのかな、と。政府だって「斑目委員長が~と言った」みたいに権威にすがろうとしたりしたではありませんか。
だが、4月の奥会長発言ではそういう「自信」とか「裏付け」のようなものが感じられないわけである。だからこそ、「弁護士でも学者でもなく法解釈の立場にない私」の意見・見解として、適用余地があるのでは、という控え目な意見だったわけでしょう?
ところが、5月19日会見になると、どういうわけか強気というか「裏付けあり」という姿勢に転換していたわけなんですよ。
まず、3月末の緊急融資に関連して尋ねられると、次のように答えている。
『それに加えて、電気事業というのは、法律で、先ほどの原賠法の話もあるが、電気事業法で価格転嫁も含めてきちんと事業者が電力の供給責任を果たせる形になっている。そういうものを読み込んで、弁護士意見もとって、融資をした。したがって、この点について何の懸念をお持ちなのかどうかは知らないが、我々は、株主代表訴訟を起こされるとか、そういうことはないと思っている。』
弁護士意見をとっている、ということである。法律の条文も読み込んでいる、と言っているのである。ここで、じゃあ、何故4月会見の時点でも同様に言わなかったのかな、と思いませんか?普通、自分の自信のない分野について、何らかの意見表明を行なおうとする時には、何かの権威を利用してしまいたくなるのが人間の常なのではないですかね。「自分だけじゃなく、○○(という権威もしくは専門家)が同じく言っている」とか何とか。だけど、4月時点では、そんなことは一言も言ってなかったんですよね。
更に、5月会見で松永経産次官と面談したこと(例の日経記事にあった話)を問われて、
『松永次官とお会いしたことは確かである。意見交換したことも事実である。私は過去の経緯、すなわち、原賠法の立法趣旨等に係る国会審議において、当時の中曽根科学技術庁長官の答弁、池田科学技術庁長官の答弁で、法律上の解釈がどういうふうに捉えられていたのか、その辺を踏まえて考えていただきたい、と申し入れをしただけである。』
と答えている。
ここまで来ると、お分かりですよね。奥会長は、少なくとも3月末時点では、
・法律の条文は読み込み
・立法過程とか立法趣旨を含め
・過去の国会答弁も含め
・弁護士意見も取り
これらをやった上で、融資実行に踏み切ったんだ、と。
そして、釈迦に説法が如く、松永次官に法解釈についてご高説を披露し、3条但書を適用してくれといったようなことを話した、ということでしょうか?
んー、4月時点の自信なさげな弱々しい意見と、5月の発言では天と地の開きがありませんかね。しかも基本的には法解釈のプロであるところの、霞が関官僚の頂点に人間に意見した、と。なのに、4月14日会見では控え目に、自分なりに読み込んだ印象を語る、と。ふーん。
珍しい人間というのもいるもんだね。
で、新たな知見をいただけましたので、お礼を申し上げます。どうやら、国会答弁での中曽根大臣の発言というのが、取り上げられるようなのですね。そこで、調べてみましたよ。すると、ありました、賠償に関する答弁が。
○昭和35年5月18日 中曽根国務大臣(科学技術庁長官)答弁
『第三条におきまする天災地変、動乱という場合には、国は損害賠償をしない、補償してやらないのです。つまり、この意味は、関東大震災の三倍以上の大震災、あるいは戦争、内乱というような場合は、原子力の損害であるとかその他の損害を問わず、国民全般にそういう災害が出てくるものでありますから、これはこの法律による援助その他でなくて、別の観点から国全体としての措置を考えなければならぬと思います。戦争のような場合に船が沈む、その保険の支払い等いろいろな問題も出てきましょうし、戦災にあうこともございましょう。従って、そういう異常巨大な社会的動乱あるいは天災地変というような場合には、これは別個のもので取り扱われるので、その限りにおいては、政府に法律上責任はない、そういうことになるのであります。それで第十六条に書いておりますのは、五十億円までは保険をかける、ところが、五十億円以上の、イギリスでやっておる再保険を引き受けてくれませんから、その五十億円以上の再保険にかからない、保険ではカバーできないものをどうするかということをここで規定したわけであります。その部分については、ここに書いてありますように「必要な援助を行なうものとする。」と書いたのは、行なうことができるというのではないのでありまして、国がやるのだということを明言しておるのです。しかも、それは「原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助」というのですから、その業者の企業能力によっては、銀行から金を借りて、そして被告者に払うという場合もありますし、国が国家融資をしてやるという場合もございましょうし、あるいは補正予算を組んで補助金をやるという場合もありましょう。しかし、いずれの場合にせよ、客観的に損害額が確定された場合に、業者が自分で支払える限度まできて、しかも、もうそれ以上払えない、原子力事業の健全なる発達という面からしましても、これ以上払えないという限度以上の損害額があって、まだ第三者に払ってない、そういう場合には、その全部についてこのような必要な援助を行なって払わせる、そういう意思表示なのでございます。』
『その異常に巨大な場合にはどうするかという問題については、第十七条に規定してありまして、「政府は、第三条第一項ただし書の場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。」この場合は、一般の災害救助法もありますし、それ以外のこともありましょう。とにかく、そういう場合には、国民の民生に関することでもあり、生命財産に関することでもありますから、最善を尽くして必要最大の措置を行なうわけであります。しかし、それは、十六条とか、そのほかの場合における損害賠償という意味ではなくして、国の一般政策として当然これは行なうべきことでありますが、特に念のためにこれは書いてあるのでございます。』
『これは災害救助法もございましょうし、ともかく、戦争や内乱が起きた場合に、国が乱れていろいろな事故が起きる、そういう場合におけるいろいろな応急措置、その他全般が入るわけでありますので、今からどうというように限定するわけには参りません。少なくとも、災害救助法程度のことはやるという、最低限のことは言えると思いますが、それ以上は、そのときの情勢によって、政府なり国会なりがきめることになるだろうと思います』
もうね、いきなり答えが出ているわけですよ。3条但書の場合には、国は賠償しない、補償してやらない、とはっきり答弁されているわけです(笑)。この法律による援助その他でない、もっと別な措置が必要、と言っている。
そういう異常巨大な社会的動乱あるいは天災地変というような場合には、これは別個のもので取り扱われるので、その限りにおいては、政府に法律上責任はない、とはっきりくっきり書かれているわけなんですよ。
これらを読んで、どこをどう解釈すると、国が賠償せよ、とかいう意見に結びつくのか、全く不明。
原賠法を条文通りに適用せよ、とか、大騒ぎしていた経団連会長他の意見はいかに出鱈目だったか、ということがよくわかりますね。本当に、弁護士が条文を読み込んで、そういう意見を言ったんですか?(笑)どんな弁護士だよ。
16条その他の損害賠償という意味ではない、とも言ってるし、法律の条文に書いていある通り、ということですね。異常に巨大な天災地変ということなら、別な立法措置などで対処するべき、ということになるでしょう。
当方のような、弁護士でも学者でもなく法解釈の立場にない、ただのド素人が読んだって、判ることですわな。
>原子力損害の賠償についての検討
国が援助するというのは、、原子力事業者に賠償義務があって、なおかつ原子力事業者の支払い能力を超えており、政府が賠償措置を入れているにも関わらず足りない、ということならば、援助しましょう、というだけである。
この援助というのも、支払い限度に到達してしまって、もう無理だ、ということなら行いましょう、というだけである。
援助には、融資や補助や政府貸付なんかもあるかもしれないが、あくまで事業者への支援であって、国が払うべきというものではない。
最後に、奥会長は東電は普通の会社とは違う、というようなことを述べているわけだが、だとすると金の貸借や政府関与についても普通の場合とは異なってもおかしくない、ということになるのではないのか?
『資本主義の中で、おかしいではないかということかもしれないが、電気事業、その他の公益事業も一部そうであるが、特別の法律をつくって、具体的には、電気事業法、さらに原子力については、原子力損害賠償法あるいは原子力損害賠償補償契約法といったものをつくって対応してきているわけである。国によっては原子力については国営、または公的機関がやっている。そういう例から見ると、一般の事業会社とは少し違うということになる。今回の賠償の問題も、一般の不法行為責任ではなく、原賠法にもとづいてやるということであるから、(通常のケースと)同列に考えるのは違うということになる。』
あれか、自分たちの都合のいい部分だけは「通常とは違う」の論理で、都合の悪いこと(例えば減資、減免や放棄など)は「マーケットに従え」の論理とか?(笑)
公益性が高い企業であって、必ずしも自立した民業を全面的に主張するべきものでないなら、政府が救済する代わりに原子力事業者は政府管理に従うべきというのは当然なのではないのか。
喩えて言えば、銀行が管理下に置く企業があって、毎年慰安旅行に海外クルーズで豪遊してるくせに、「もう自分たちで払える金はないから、銀行が出して」と言われたらどうするの、というようなものだ。銀行の立場とすれば、いやいやもっと経費削減できる余地があるでしょう、もっと削りなさい、返済負担に回しなさい、とか言うんじゃないのか?
ところが、東電のきたら「もう払いたくない」とハナっから政府の言うことなんて聞く気がないでしょうが。それを後押ししてるのが、銀行や経団連以下財界の連中とか、マスコミとか、官僚とか、そういうのだろ?ってことを言ってるんだよ。
銀行が焦げ付きたくないなら、東電を甘やかせる手助けをすんな、って言っているのですよ。まず事業者がきちんと査定されて、出せる金を出してもらって、その上で「もうこれ以上払えません」という部分については、政府の援助を考えましょう、という話だ。金を出してもいないうちから、これ以上払いたくないなんてのは許されないだろう。
いずれにせよ、東電と銀行とか財界とか官界とか、そういう連中のサークルというのはこのように構築されてきたんだね、というのがよく判る事例となった、ということだわ。
法律を読み込んで、立法趣旨も網羅し、弁護士等専門家の意見も聴取し、その上で「3条但書」適用と信じて融資実行に至った、ということなんだろうから、ここまで来たら国と法廷で決着をつけたらいいよ。適用すべし、というご意見なんでしょう?
与謝野大臣の閣内不一致もあって、説明を求めると言っていたじゃありませんか。ならば、法廷で明らかにできるでしょうよ。三井住友銀ほどの力、いや、全銀協の力をもってすれば、提訴くらいは簡単ではないですか?
東電株を持ってるはずだから、政府が但書を適用しなかったせいで株価下落を招き、銀行は損害を蒙った、だから賠償せよ、ということで、損害賠償請求事件でいいんじゃないの?それなら、即提訴できるんじゃないですかね?
是非ともやったらいいですよ。はっきり、白黒つけたら、奥さんも納得できるでしょうよ。
根も葉もない話ですから、これはおいといて、と。
非常にナーバスになっていると奥会長も言っていた、格付け会社の東電評価ですけれども、ボロクソに落ちて行ったみたいですね。ただでさえ落ちていたのに、そこから更に奈落の底へと旅立って逝かれたようで。ジャンクですか。今度は一気に5段階引き下げだったんでしたか。残念ですな。
小細工を弄して、墓穴を掘るの図、でしょうか(笑)。
さて、本題に入りましょう。
>会長記者会見|全国銀行協会
奥会長の会見での発言というものを、報道以外から初めて拝見しました。とても参考になりました。それから、官房長官の記者会見のページも質疑応答を全部載せておいて欲しいですよね。調べられないもの。その点、全銀協さんはきちんとされていらっしゃる。さすが、お堅い銀行さん、ですね。
奥会長は、5月19日会見で、次のように述べておられた。
『賠償スキームについて触れる前に一言申しあげると、この場でいつも原子力損害賠償法の3条但し書きについて言ってきたが、今回のスキームというのは、基本的に3条但し書きの話ではなくなっている。どうしてかなぁ、と思う。なかなか難しい話ではあるが、閣内では与謝野大臣が、そういう話をされているということを新聞で読んだが、私はそこの結論に至るインナーの議論がオープンにされても良いのではないかと思っている。3条但し書きというものをわざわざ規定していることの意味合いを踏まえ、国民に対して説明する責任があるのではないかと思っている。おそらくこれは、私だけではなく、国内の関係者、海外の投資家、または法律家が、大変強く関心を持っており、私はこの点については説明を果たしていただきたいと強く思っている。』
3条但書については、これ以前にも言ってきたということで、4月14日会見にもありました。
『私は、弁護士でも学者でもなく、また法律を解釈する立場にもないので、何とも言えないが、私なりに法律を読みこんだ印象としては、3条但し書きの検討余地もあるのではないかということ。
「被害者救済」と「原子力事業の健全性の維持」という二つの目的を実現するというのがこの法律の趣旨と理解しており、私はそういった(但し書き適用の)検討余地があると思う。いずれにせよ大事なのは、これらの二つの目的を達することであり、そのためには、政府の関与が必要であるということを申しあげている。政府は本則で「第一義的に東電に責任がある」という考えをしているが、但し書きを適用するという考え方を採る余地もあるのではないか。そのうえで、どうような対応をすべきと判断するのかということだと思う。今回のケースは、初めての出来事だから不手際というのはある。そして、原子力発電所の問題が、ここまで大きくなるとは思っていなかったけれども、実際に被害を受けていらっしゃる方がいるわけだから、その救済をしっかりやっていくということと、冷静に本件の因果関係を辿ってみて、国の関与をどうするかということをしっかりみていく必要があるのではないかと思う。政治としてみれば、住民感情というのを大事にされるだろうし、それはそれで十分理解できるが、その一方で因果関係を辿っていくときに、国の関与についても十分みていかなければならないと思う。』
どうやら、4月14日時点での奥会長の個人的見解としては、「但書適用の検討余地があるのではないか」ということだったみたいですね。法律を読み込んだ印象、とか、検討余地があるのではないか、といった曖昧な表現になっているから、ですね。普通、専門家の意見を聴取した場合には、例えば「顧問弁護士の○○によると~だ」とか、「当社の法務で検討した結果、~だ」とか言うはずではないのかな、と。政府だって「斑目委員長が~と言った」みたいに権威にすがろうとしたりしたではありませんか。
だが、4月の奥会長発言ではそういう「自信」とか「裏付け」のようなものが感じられないわけである。だからこそ、「弁護士でも学者でもなく法解釈の立場にない私」の意見・見解として、適用余地があるのでは、という控え目な意見だったわけでしょう?
ところが、5月19日会見になると、どういうわけか強気というか「裏付けあり」という姿勢に転換していたわけなんですよ。
まず、3月末の緊急融資に関連して尋ねられると、次のように答えている。
『それに加えて、電気事業というのは、法律で、先ほどの原賠法の話もあるが、電気事業法で価格転嫁も含めてきちんと事業者が電力の供給責任を果たせる形になっている。そういうものを読み込んで、弁護士意見もとって、融資をした。したがって、この点について何の懸念をお持ちなのかどうかは知らないが、我々は、株主代表訴訟を起こされるとか、そういうことはないと思っている。』
弁護士意見をとっている、ということである。法律の条文も読み込んでいる、と言っているのである。ここで、じゃあ、何故4月会見の時点でも同様に言わなかったのかな、と思いませんか?普通、自分の自信のない分野について、何らかの意見表明を行なおうとする時には、何かの権威を利用してしまいたくなるのが人間の常なのではないですかね。「自分だけじゃなく、○○(という権威もしくは専門家)が同じく言っている」とか何とか。だけど、4月時点では、そんなことは一言も言ってなかったんですよね。
更に、5月会見で松永経産次官と面談したこと(例の日経記事にあった話)を問われて、
『松永次官とお会いしたことは確かである。意見交換したことも事実である。私は過去の経緯、すなわち、原賠法の立法趣旨等に係る国会審議において、当時の中曽根科学技術庁長官の答弁、池田科学技術庁長官の答弁で、法律上の解釈がどういうふうに捉えられていたのか、その辺を踏まえて考えていただきたい、と申し入れをしただけである。』
と答えている。
ここまで来ると、お分かりですよね。奥会長は、少なくとも3月末時点では、
・法律の条文は読み込み
・立法過程とか立法趣旨を含め
・過去の国会答弁も含め
・弁護士意見も取り
これらをやった上で、融資実行に踏み切ったんだ、と。
そして、釈迦に説法が如く、松永次官に法解釈についてご高説を披露し、3条但書を適用してくれといったようなことを話した、ということでしょうか?
んー、4月時点の自信なさげな弱々しい意見と、5月の発言では天と地の開きがありませんかね。しかも基本的には法解釈のプロであるところの、霞が関官僚の頂点に人間に意見した、と。なのに、4月14日会見では控え目に、自分なりに読み込んだ印象を語る、と。ふーん。
珍しい人間というのもいるもんだね。
で、新たな知見をいただけましたので、お礼を申し上げます。どうやら、国会答弁での中曽根大臣の発言というのが、取り上げられるようなのですね。そこで、調べてみましたよ。すると、ありました、賠償に関する答弁が。
○昭和35年5月18日 中曽根国務大臣(科学技術庁長官)答弁
『第三条におきまする天災地変、動乱という場合には、国は損害賠償をしない、補償してやらないのです。つまり、この意味は、関東大震災の三倍以上の大震災、あるいは戦争、内乱というような場合は、原子力の損害であるとかその他の損害を問わず、国民全般にそういう災害が出てくるものでありますから、これはこの法律による援助その他でなくて、別の観点から国全体としての措置を考えなければならぬと思います。戦争のような場合に船が沈む、その保険の支払い等いろいろな問題も出てきましょうし、戦災にあうこともございましょう。従って、そういう異常巨大な社会的動乱あるいは天災地変というような場合には、これは別個のもので取り扱われるので、その限りにおいては、政府に法律上責任はない、そういうことになるのであります。それで第十六条に書いておりますのは、五十億円までは保険をかける、ところが、五十億円以上の、イギリスでやっておる再保険を引き受けてくれませんから、その五十億円以上の再保険にかからない、保険ではカバーできないものをどうするかということをここで規定したわけであります。その部分については、ここに書いてありますように「必要な援助を行なうものとする。」と書いたのは、行なうことができるというのではないのでありまして、国がやるのだということを明言しておるのです。しかも、それは「原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助」というのですから、その業者の企業能力によっては、銀行から金を借りて、そして被告者に払うという場合もありますし、国が国家融資をしてやるという場合もございましょうし、あるいは補正予算を組んで補助金をやるという場合もありましょう。しかし、いずれの場合にせよ、客観的に損害額が確定された場合に、業者が自分で支払える限度まできて、しかも、もうそれ以上払えない、原子力事業の健全なる発達という面からしましても、これ以上払えないという限度以上の損害額があって、まだ第三者に払ってない、そういう場合には、その全部についてこのような必要な援助を行なって払わせる、そういう意思表示なのでございます。』
『その異常に巨大な場合にはどうするかという問題については、第十七条に規定してありまして、「政府は、第三条第一項ただし書の場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。」この場合は、一般の災害救助法もありますし、それ以外のこともありましょう。とにかく、そういう場合には、国民の民生に関することでもあり、生命財産に関することでもありますから、最善を尽くして必要最大の措置を行なうわけであります。しかし、それは、十六条とか、そのほかの場合における損害賠償という意味ではなくして、国の一般政策として当然これは行なうべきことでありますが、特に念のためにこれは書いてあるのでございます。』
『これは災害救助法もございましょうし、ともかく、戦争や内乱が起きた場合に、国が乱れていろいろな事故が起きる、そういう場合におけるいろいろな応急措置、その他全般が入るわけでありますので、今からどうというように限定するわけには参りません。少なくとも、災害救助法程度のことはやるという、最低限のことは言えると思いますが、それ以上は、そのときの情勢によって、政府なり国会なりがきめることになるだろうと思います』
もうね、いきなり答えが出ているわけですよ。3条但書の場合には、国は賠償しない、補償してやらない、とはっきり答弁されているわけです(笑)。この法律による援助その他でない、もっと別な措置が必要、と言っている。
そういう異常巨大な社会的動乱あるいは天災地変というような場合には、これは別個のもので取り扱われるので、その限りにおいては、政府に法律上責任はない、とはっきりくっきり書かれているわけなんですよ。
これらを読んで、どこをどう解釈すると、国が賠償せよ、とかいう意見に結びつくのか、全く不明。
原賠法を条文通りに適用せよ、とか、大騒ぎしていた経団連会長他の意見はいかに出鱈目だったか、ということがよくわかりますね。本当に、弁護士が条文を読み込んで、そういう意見を言ったんですか?(笑)どんな弁護士だよ。
16条その他の損害賠償という意味ではない、とも言ってるし、法律の条文に書いていある通り、ということですね。異常に巨大な天災地変ということなら、別な立法措置などで対処するべき、ということになるでしょう。
当方のような、弁護士でも学者でもなく法解釈の立場にない、ただのド素人が読んだって、判ることですわな。
>原子力損害の賠償についての検討
国が援助するというのは、、原子力事業者に賠償義務があって、なおかつ原子力事業者の支払い能力を超えており、政府が賠償措置を入れているにも関わらず足りない、ということならば、援助しましょう、というだけである。
この援助というのも、支払い限度に到達してしまって、もう無理だ、ということなら行いましょう、というだけである。
援助には、融資や補助や政府貸付なんかもあるかもしれないが、あくまで事業者への支援であって、国が払うべきというものではない。
最後に、奥会長は東電は普通の会社とは違う、というようなことを述べているわけだが、だとすると金の貸借や政府関与についても普通の場合とは異なってもおかしくない、ということになるのではないのか?
『資本主義の中で、おかしいではないかということかもしれないが、電気事業、その他の公益事業も一部そうであるが、特別の法律をつくって、具体的には、電気事業法、さらに原子力については、原子力損害賠償法あるいは原子力損害賠償補償契約法といったものをつくって対応してきているわけである。国によっては原子力については国営、または公的機関がやっている。そういう例から見ると、一般の事業会社とは少し違うということになる。今回の賠償の問題も、一般の不法行為責任ではなく、原賠法にもとづいてやるということであるから、(通常のケースと)同列に考えるのは違うということになる。』
あれか、自分たちの都合のいい部分だけは「通常とは違う」の論理で、都合の悪いこと(例えば減資、減免や放棄など)は「マーケットに従え」の論理とか?(笑)
公益性が高い企業であって、必ずしも自立した民業を全面的に主張するべきものでないなら、政府が救済する代わりに原子力事業者は政府管理に従うべきというのは当然なのではないのか。
喩えて言えば、銀行が管理下に置く企業があって、毎年慰安旅行に海外クルーズで豪遊してるくせに、「もう自分たちで払える金はないから、銀行が出して」と言われたらどうするの、というようなものだ。銀行の立場とすれば、いやいやもっと経費削減できる余地があるでしょう、もっと削りなさい、返済負担に回しなさい、とか言うんじゃないのか?
ところが、東電のきたら「もう払いたくない」とハナっから政府の言うことなんて聞く気がないでしょうが。それを後押ししてるのが、銀行や経団連以下財界の連中とか、マスコミとか、官僚とか、そういうのだろ?ってことを言ってるんだよ。
銀行が焦げ付きたくないなら、東電を甘やかせる手助けをすんな、って言っているのですよ。まず事業者がきちんと査定されて、出せる金を出してもらって、その上で「もうこれ以上払えません」という部分については、政府の援助を考えましょう、という話だ。金を出してもいないうちから、これ以上払いたくないなんてのは許されないだろう。
いずれにせよ、東電と銀行とか財界とか官界とか、そういう連中のサークルというのはこのように構築されてきたんだね、というのがよく判る事例となった、ということだわ。
法律を読み込んで、立法趣旨も網羅し、弁護士等専門家の意見も聴取し、その上で「3条但書」適用と信じて融資実行に至った、ということなんだろうから、ここまで来たら国と法廷で決着をつけたらいいよ。適用すべし、というご意見なんでしょう?
与謝野大臣の閣内不一致もあって、説明を求めると言っていたじゃありませんか。ならば、法廷で明らかにできるでしょうよ。三井住友銀ほどの力、いや、全銀協の力をもってすれば、提訴くらいは簡単ではないですか?
東電株を持ってるはずだから、政府が但書を適用しなかったせいで株価下落を招き、銀行は損害を蒙った、だから賠償せよ、ということで、損害賠償請求事件でいいんじゃないの?それなら、即提訴できるんじゃないですかね?
是非ともやったらいいですよ。はっきり、白黒つけたら、奥さんも納得できるでしょうよ。