サンドと同時代に活躍したアメリカ合衆国の女性にマーガレット・フラーというノンフィクション作家がいます。
その人生を俯瞰してみると、次のようなポートレートが浮かび上がりました。
サラ・マーガレット・フラー(Sarah Margaret Fuller, 1810年5月23日 - 1850年7月19日)
詩人、文芸評論家、ジャーナリスト、ンフィクション作家。
マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれ。
父のティモシー・フラーは、アメリカ合衆国下院のマサチューセッツ州選出の議員。
女人禁制のハーヴァード大学図書館の使用を許可された最初の女性
独身女性でありながら付き添いもなく旅をした。
大都市新聞社初の女性編集員
1846年には、合衆国初の女性海外特派員としてヨーロッパに赴き、47年から49年まで戦時下のイタリアから記事を『ニューヨーク・トリビューン』紙に送った世界初のプロの戦争特派員であった。
エマソンやホーソンと交流。彼女の勉強会には、ホーソンの妻が参加していた。
ホーソンの「ブライズデール・ロマンス」という小説の主人公はフラーがモデルだとも言われている。
代表作 :『19世紀の女性』"Woman in the Nineteenth Century"
「知的、経済的、政治的、性的」問題について論じた最初の重要なフェミニズム論 社会の矛盾や男女の不平等を指摘
ちなみにアメリカで文学というジャンルが確立したのは、19世紀初頭だったようです。
1820年代頃からアメリカのボストンを中心とする東海岸のエリート層の間でドイツのカントなどの哲学とロマン主義の文学が
注目されるようになり、ハーバード大学に文学サークルが誕生し、カントやロマン派小説が読まれ、ドイツ観念論に関心が集まってゆく。コールリッジやカーライルなどがイギリスに渡ったロマン主義を通じてカントの真理の世界を学び、そこから非常に個人主義的で自己を信頼する超絶主義という思想が形成されていったという。聖書も文学と同様に研究されたが、その中心的メンバーがエマソン、ソロー、マーガレット・フラーであった。
超絶主義には共同体という考え方があり、農場で農業を実践するというようなこともあったらしい。知性派ホーソンはこの肉体労働を放棄したという。アメリカのロマン主義のベースとなるものには、超絶主義的なものが数多くあったようである。
超絶主義には、20世紀初頭の日本文学の白樺派が目指した理想主義・人道主義・個人主義的なものがあったのかもしれない。
サンドの田園小説には、直接的には共同体思想と呼ばれるものはなく、あるとすればもう少し以前のサン=シモン主義の提唱した共同体思想の影響の方が強いのではないかと思われるが、二月革命の後、国レベルでの理想が打ち砕かれたサンドは、創作の背景を農村や漁村などの小規模な共同体に設定しているので、超絶主義にはこれに通底するものもあったといえるかもしれず、この点で興味深いものがある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024059280
サンドとフラーとの関係については次のような研究論文があります。
上野 和子 文化創造学科 所属教員 教授 (昭和女子大学)
■ 標題
「マーガレット・フラー:イタリア・リソルジメントへの軌跡(3)マーガレット・フラーとジョルジュ・サンド」
■ 概要
早くから『コンスエロ』『アンディアナ』などの作品において、封建社会のフランスで社会依存型の女性の苦境を繰り返し描いてきたジョルジュ・サンドを、フラーはフェミニストの立場から賞賛し、アメリカに紹介してきた。しかし当時の後進社会であり道徳性の強いアメリカ社会ではジョルジュ・サンドのようなスキャンダルに満ちた人間は認められない作家であった。フラー自身もその偏見からまぬがれていなかった。パリでの会見後、フラーにとってサンドは文学技法の点だけでなく、人生の師となった。
単著 外国語科特集 『学苑』 昭和女子大学近代文化研究所 pp.pp43~55 1999/05
その人生を俯瞰してみると、次のようなポートレートが浮かび上がりました。
サラ・マーガレット・フラー(Sarah Margaret Fuller, 1810年5月23日 - 1850年7月19日)
詩人、文芸評論家、ジャーナリスト、ンフィクション作家。
マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれ。
父のティモシー・フラーは、アメリカ合衆国下院のマサチューセッツ州選出の議員。
女人禁制のハーヴァード大学図書館の使用を許可された最初の女性
独身女性でありながら付き添いもなく旅をした。
大都市新聞社初の女性編集員
1846年には、合衆国初の女性海外特派員としてヨーロッパに赴き、47年から49年まで戦時下のイタリアから記事を『ニューヨーク・トリビューン』紙に送った世界初のプロの戦争特派員であった。
エマソンやホーソンと交流。彼女の勉強会には、ホーソンの妻が参加していた。
ホーソンの「ブライズデール・ロマンス」という小説の主人公はフラーがモデルだとも言われている。
代表作 :『19世紀の女性』"Woman in the Nineteenth Century"
「知的、経済的、政治的、性的」問題について論じた最初の重要なフェミニズム論 社会の矛盾や男女の不平等を指摘
ちなみにアメリカで文学というジャンルが確立したのは、19世紀初頭だったようです。
1820年代頃からアメリカのボストンを中心とする東海岸のエリート層の間でドイツのカントなどの哲学とロマン主義の文学が
注目されるようになり、ハーバード大学に文学サークルが誕生し、カントやロマン派小説が読まれ、ドイツ観念論に関心が集まってゆく。コールリッジやカーライルなどがイギリスに渡ったロマン主義を通じてカントの真理の世界を学び、そこから非常に個人主義的で自己を信頼する超絶主義という思想が形成されていったという。聖書も文学と同様に研究されたが、その中心的メンバーがエマソン、ソロー、マーガレット・フラーであった。
超絶主義には共同体という考え方があり、農場で農業を実践するというようなこともあったらしい。知性派ホーソンはこの肉体労働を放棄したという。アメリカのロマン主義のベースとなるものには、超絶主義的なものが数多くあったようである。
超絶主義には、20世紀初頭の日本文学の白樺派が目指した理想主義・人道主義・個人主義的なものがあったのかもしれない。
サンドの田園小説には、直接的には共同体思想と呼ばれるものはなく、あるとすればもう少し以前のサン=シモン主義の提唱した共同体思想の影響の方が強いのではないかと思われるが、二月革命の後、国レベルでの理想が打ち砕かれたサンドは、創作の背景を農村や漁村などの小規模な共同体に設定しているので、超絶主義にはこれに通底するものもあったといえるかもしれず、この点で興味深いものがある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024059280
サンドとフラーとの関係については次のような研究論文があります。
上野 和子 文化創造学科 所属教員 教授 (昭和女子大学)
■ 標題
「マーガレット・フラー:イタリア・リソルジメントへの軌跡(3)マーガレット・フラーとジョルジュ・サンド」
■ 概要
早くから『コンスエロ』『アンディアナ』などの作品において、封建社会のフランスで社会依存型の女性の苦境を繰り返し描いてきたジョルジュ・サンドを、フラーはフェミニストの立場から賞賛し、アメリカに紹介してきた。しかし当時の後進社会であり道徳性の強いアメリカ社会ではジョルジュ・サンドのようなスキャンダルに満ちた人間は認められない作家であった。フラー自身もその偏見からまぬがれていなかった。パリでの会見後、フラーにとってサンドは文学技法の点だけでなく、人生の師となった。
単著 外国語科特集 『学苑』 昭和女子大学近代文化研究所 pp.pp43~55 1999/05