西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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『ラ・クープ』にみる女と男 3

2014年08月17日 | サンド・ビオグラフィ

では、なぜサンドはこのようにプラトン思想をフィクションにすることができたのか。それは、サンドがフロベールのようにソクラテスの弟子プラトンの哲学に若い頃から親しんでいたからであった。このことは、ノアンの書棚にプラトン全集があったことやフロベールとサンドがメタラングを使い暗黙の了解のうちにプラトン思想について語っている往復書簡が明らかにしている。しかもプラトンの影響は、『ラ・クープ』(魂の永劫性)だけではなく、初期作品の『夢想者の物語』(人間球体論)、『新・旅人への手紙』(毒人参)『ムッシュ・ル・シヤン』(輪廻転生説)『花たちのおしゃべり』(輪廻説)といった後期作品群にその痕跡が認められる。 


 サンドの創作技法の特徴は、プラトン思想を忠実に描出するのではなく、その思想を踏襲した上で、女性作家の視点から主要登場人物を女性に設定し、まったく新たなヒロインを創造している点にある。
 強調すべきは、サンドが妖精の死をソクラテスに準えて小説化できる想像力を備えているだけでなく、プラトン哲学の小説化の技法がサンド特有の独創性に富んでいることである。『ラ・クープ』の妖精の王女は、男性をも凌ぐ世界観をもっている。来世や人間の未来を見据え、果てには人類の永遠の進歩を願う、その広大な世界観は、王女の卓越した知性と人徳ならぬ妖精の徳がもたらしたものであると作者は記しているが、このようにサンドの描くヒロインは男性に劣らぬ卓越した優秀性を示しているのである。
 先述したように、サンドは、ロマンチックな少女が夢見て終わるような類いの小説世界は描かない。ペローの王子様を待つお姫様の物語は、サンド文学には無縁である。夫に従属的なアンディヤナや正確な職業が不詳のレリヤは例外とし、サンドが描くのは、経済力を持つ自立した女性が多い。しばしば、劣性の男を導く自由の女神のような、みずからが考え、決断し、進むべき道を切り開いてゆく、たくましく叡智に富んだ、独立自尊の女性なのである。しかし、だからと言って、男装の麗人に徹し、ひたすら男を模して男と同じ道を突き進もうとするのではなく、手段として男装や男の署名を活用することはあるが、男性と同じ心勇気と決断力、行動力をもち、しかしながら、時には、一般に二義的で女性の分野の仕事とされる、家事、育児、料理、裁縫のどれか、あるいは複数の仕事もできる、男とは正反対の側面も備えている、そのような女性像こそが、サンドの創造世界に登場するヒロインである。そこに展開する物語世界では、しばしば、性における男女の役割、所有と服従、異性愛といった既成概念にとって基本となる性差が完全に消滅してしまっている。
 サンドの創作世界のヒロイン達は、男でも女でもあり、またそのどちらでもないのである。
 

コメント
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