
ここで使用している絵、吉永小百合さんを描いたものです。
不鮮明なのは、これを撮った携帯電話のカメラの性能故で
あって、決して意図的なものではありません。念のため。
30代に入って間もない頃に描いたと思うのですが、勿論
のことながら、天下の小百合さまが僕なんぞのモデルに
なってくれる筈はなく、写真をもとに描いた絵です。油彩の
ように見えますが、パステル画です。
「なぜ吉永小百合?」
「はい、僕がサユリストの端っくれ、ということもありますが、
小百合さん、『幕末』という映画で、お龍を演じているのです。
それよりも少し後の写真だと思いますが、似たような感じ
だったので、使わせてもらおうかな、なんて思ったもんです
から」
「チアキストだのサユリストだの、気が多いね」
「はい、何せ大森、それも第一ですから、『木』が多い」
お後がよろしいようで。
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月が段々と小さくなっていっているらしいですね。餅を搗く役が
ネズミに取って代わられるのはいつ頃のことやら。
ところで、「1Q84」読みました?
月が二つ、普段私たちが目にしている白っぽい月と、その傍らに
寄り添う、ちょっといびつな形をした緑色の小さな月、その二つ
の月のある世界が1Q84年。
以下は、現在進行形で「1Q84」を読んでいるひと、これから
絶対に読んでやろうと心に決めているひと、そういったひとは決
して覗き見てはなりません。
されたスカスカのケーキのようなものかな。
村上ワールド、いくつかの綻びが見つかります。
物語の中では、1Q84年はパラレルワールドではない、線路の
ポイントが切り替えられたような別世界である、というような
ことを、その世界をよく知る「リーダー」に語らせていますが、
その別世界に移るまでに過ごしてきたそれまでの世界での人生と、
その別世界にそれまで暮らしてきた人々の人生があるわけで、
その両者を取り巻く社会環境に違いがあるのであれば、それは
パラレルワールドでしかないわけで、連続性を否定するのであれば
一睡での出来事でしかないということになります。
「青豆」という主人公のひとり(アラサーの女性)が、物語の終ろう
とするときに、自身が引きずり込まれたその別世界への入口のところ
(元の世界への出口に当たります)へ行って、それがあるか確かめる
場面が出てきますが、それはパラレルワールドの存在を認める行為で
あって、「青豆」自身が「リーダー」の言を信じていないということ
になり、その他の(リーダーの言葉を信じた)行いと矛盾することに
なります。
やはり別世界に引きずり込まれた「天吾」(もうひとりの主人公で同い
年の男性)という恋人がいるのです。そして「天吾」のいない世界など
考えられないとまで思っているのですから、元の世界への未練など一欠
片も持ち合わせていない「青豆」にとっては、不要な行いでしかありま
せん。
「青豆」が、そこで死を選ぶ必然性も無いのです。
「天吾」が、「リーダー」亡き後に、「リトルピープル」なる存在に
よって、その後釜に据えられることが暗示的に語られていますが、
「リトルピープル」が「レシバァ」(「リーダー」がそうであった)
を通じて、自らの思うがままの世界、それも望ましくない世界を紡ぎ
出そうと企んでいることを「リーダー」から聞き知った「青豆」だか
らこそ、「リーダー」を葬ったのですから、「天吾」がそうなりつつ
あることを感知して、対決する場面が必要なのです。
そこで「愛」と「死」という命題が展開されなければならないのです。
ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」や「青豆」と「天吾」の(ET
のような)心の触れ合いなど、意味ありげな複線らしきものが張り巡ら
してあるのですが、それらがひとつことに集約されていくための必然的
事項になり得ていません。
そのためにも、やはり対決の場面が無くてはならないように思います。
読み終えた後に深い感銘を残してくれるものではありません。(全二巻
で、各々税別で\1,800。お腹は一杯になるけど、しみじみと「美味しか
ったなぁ」と云えるような満足感は得られません。)
読んでいないひとにはチンプンカンプンでしょ。何せ、全編を通じて、
煌びやかな小道具や妖しげな呪文にも似た言葉や名称のオンパレードなの
ですから。
と、以上は200Q年の真夏の夜の夢での僕のたわ言。
今夜は雲が厚く懸かっています。そこにどんな月が潜んでいるのかしらん。
もうじき丸11年を迎えることになります。
状況証拠ばかりで、物的証拠が無くて、捜査が難行しそうに
なったときに行われたのが、「SPring(スプリング)8 」と
いう高エネルギー放射光を用いた蛍光X線分析でした。
*原理は、難しいので省略します。
カレー鍋にヒ素(亜ヒ酸)が混入されていたことは、早くから
分かっていたのですが、それが林真須美の家にあるものと同じ
かどうかを調べたわけです。
*ヒ素が一般的な呼び名ですが、正確にはヒ素(As)に
酸素(O)が結合した物質である亜ヒ酸(As2O3)。
*初めは青酸カリが疑われたのですが、亡くなられた4人が
約9時間から16時間の後に死に至っていることからも分かる
ように、亜ヒ酸には青酸カリのような即効性はありません。
それに青酸カリだと摂取して胃酸と反応するとアーモンド臭、
オレンジ臭、アンズ臭などの甘酸っぱい香りがしますが、
亜ヒ酸は無味無臭(さらさらとした白色粉末)です。
不純物の混じり具合に微妙な違いがあって、まるで指紋を鑑定
するように、異同識別が可能になるそうです。
そして四種類の重元素(スズ、アンチモン、ビスマス、モリブデン)
で、その同一性を調べたそうです。
*ヘリウム(He、原子番号4)から鉄(Fe、原子番号26)
までの軽元素は、恒星の中の核融合反応で作られるのですが、
鉄より重い重元素は、超新星爆発で生じた中性子を捕獲して
ベータ崩壊することによって作られるため、宇宙における存在
は著しく低いそうです。また、地球における分布にも特性が
あって、そのために物質にそれらがどのような割合で含まれて
いるか分析することで、産地を推定することが可能になります。
*アンチモン(Sb、原子番号51)とビスマス(Bi、原子
番号83)は、ヒ素(As、原子番号33)と同族元素(第15
族元素)で、化学的性質が似ているので、不純物として入りや
すい。モリブデン(Mo、原子番号42)とスズ(Sn、原子
番号50)は、より正確を期して選んだようです。(実際、
真須美の家にあった亜ヒ酸は、中国産だということが分かった
のですが、それはスズが含まれていたからで、メキシコ産のも
のには全く含まれていません。)
鑑定したのは、①調理鍋に残っていたカレー、②林真須美宅台所
のポリ容器、③現場付近から回収した紙コップ、④夫の林健治が
シロアリ駆除で使っていたドラム缶、から採取した亜ヒ酸です。
の時期に製造した亜ヒ酸である」と鑑定されました。
それと、ヒ素は1度付着すると5ヶ月は残るそうで、林真須美の
右前頭部の毛髪からもヒ素が検出されました。髪を掻き揚げる癖
がアダになったわけです。
*真須美が別件で逮捕されたのが同年10月4日(12月9日
には本件で再逮捕)で、以後87日間勾留して取調べに当たっ
たそうですし、12月27日の新聞で亜ヒ酸の鑑定結果の報道
がなされていますので、この間に毛髪も調べたのだと思います。
であるならば、丁度事件当日が5ヶ月前に当たるわけです。
1審の和歌山地裁、2審の大阪高裁ともに死刑判決が出て、上告
していたのですが、今年の4月21日に最高裁で棄却、判決訂正
も5月18日付で棄却されたため、死刑が確定しました。
1審では完全黙秘、死刑判決が出て慌てたのか、2審では必死に
なって無罪を主張したそうです。
しかし動機については今もって不明です。それにしても100gもの
亜ヒ酸が混入されていたといいます。致死量は体重など個人差に
よって異なるようですが、平均して100mgだとすると1000人
を殺害できる量に相当します。
地域住民の冷たい態度への反感から起きた発作的犯行と看做され
ているようですが、意趣返しにしては、余りにも量が多いように
思います。
理学部応用化学科の中井泉教授で、一昨日(7/18)の日テレ「世
界一受けたい授業」でも、「目に見えない証拠を探せ!あなたの
知らない科学捜査の最前線」と題して、食品の産地偽装などを放
射光を利用したポータブル分析装置で見破っていました。
あのポータブル分析装置、米国製で、500万円もするそうです。
でも、それまでは実験室に検体を持ち込まなければ鑑定できなか
ったものが、どこでも簡単に(しかも検体を非破壊で)調べること
ができるようになったのですから、持ち出しが困難な国宝だとか
重文だとかいったものや出土品など、考古学にも科学的な光を当
てることが可能になりました。(中井教授は、ガラス製品の成分
をもとに、その流通ルートが陸のシルクロードの他に海のシルク
ロードもあったことを実証しようとしています。)
分析装置がもっと小形で廉価になれば、一家に一台、奥様必携の
道具となって、あっちでピッ、こっちでピッ、産地偽装も無くなる
かも。
でも人物鑑定だけは、長い人生経験からくる目利きが必要なようで。
間近に迫った衆議院選挙、その目でピッ!その耳でピッ!(でも
口で「ピッ!」と云わないようにね)
シンクロは結局メダルには届かなかったですね。
今から8年前の福岡大会では、デュエットで金メダル
まで獲ったというのに。
そのとき、チームは銀メダルだったのですが、その銀
メダル、実際にこの手にしたことがあります。
メンバーの一人、川嶋奈緒子さんのメダルなのですが、
といっても僕が彼女の知り合いというわけではなくて、
彼女が通っていた新宿のトレーニングセンター、そこの
トレーナーにメダルを見せに来たときに、たまたま僕が
居合わせただけのことで、僕がそのトレーナーと知り合
いだったので、お相伴に預かったわけです。
意外と大きいのです。よく覚えていないのですが、全面
が銀色ではなくて、内側に黒色(漆?)の同心円があって、
そこに金で何か模様が描かれてあったように思います。
でも、その重さだけは今もたなごころが覚えています。
思えるものに書き改めます。といっても、以前にどこかで述べ
ましたように、そこだけを書き換えるわけには行かず、それ以
降を全て置き換えなければならないので大変に手間が掛かります。
そこで、関連するところだけを取り出して、手直しさせて頂く
ことにしました。(ご免なさいね。)
龍馬の二度の江戸行きについてですが、二度とも剣術修行では
なく武芸修行のための出府であることに間違いはないのですが、
ともに「軍役を兼ねて」というところが違っていました。
どちらも自費による遊学(龍馬は居候の身ですが、坂本家は
郷士で、父八平の禄は十石五斗と微禄でしたが、百九十七石の
領地を持っていたので、わりと裕福な家柄でした)であって、
最初の嘉永六年のときは、江戸到着後すぐにペリー来航があっ
たものですから、その備えに駆り出されたものの、九月に一度
免ぜられたようです。そのときに任に当たった場所は、海岸線
防備ということからやはり立会川の下屋敷だったように思います。
そして、当初予定していた佐久間象山の西洋砲術塾への入門が
十二月まで遅れているところをみると、任を解かれても、暫ら
くは待機状態におかれていたように思うのです。
それで十一月の浜川砲台構築のときにも再び駆り出されて、任
に当たったのだと思います。