大学の教養課程の物理化学の講師に、「受験勉強は覚えるだけの勉強であって、ダメで、考える勉強が大切だ」と言って、覚えることには価値がないような主張をしていた先生がいた。忘れることを自慢までしていた。
これは誤りである。まず、覚えるということ自体が頭を使わなくては、つまりは考えなくては、出来ない事である。どうやって大量の知識を覚えるか、その方法に創意工夫の能力が要求される。
次に、知識というものは、考えるための道具である。道具が無ければ、あるいは、道具の数が貧弱であれば、たとえば大工なら立派な家を建てることは出来ない。
この先生が言わんとしたい事は、道具をたくさん持っていても、それを使う頭がなければダメだ、ということだろう。確かにそういうケースもあるだろう。知識だけあって、知識の持ち腐れになっている人も確かにいる。先生は、「知識など、覚えなくても辞書に書いてある」などとも言っていた。
しかし人間がものを考える時は、自分の頭の中にある知識こそが、考えるための有効な道具となるのである。知識と思考は分離したものではなく、一人の人間の頭の中で、有機的に相互に関係しあっているものである。
これは誤りである。まず、覚えるということ自体が頭を使わなくては、つまりは考えなくては、出来ない事である。どうやって大量の知識を覚えるか、その方法に創意工夫の能力が要求される。
次に、知識というものは、考えるための道具である。道具が無ければ、あるいは、道具の数が貧弱であれば、たとえば大工なら立派な家を建てることは出来ない。
この先生が言わんとしたい事は、道具をたくさん持っていても、それを使う頭がなければダメだ、ということだろう。確かにそういうケースもあるだろう。知識だけあって、知識の持ち腐れになっている人も確かにいる。先生は、「知識など、覚えなくても辞書に書いてある」などとも言っていた。
しかし人間がものを考える時は、自分の頭の中にある知識こそが、考えるための有効な道具となるのである。知識と思考は分離したものではなく、一人の人間の頭の中で、有機的に相互に関係しあっているものである。