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小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

同情と共感

2010-12-06 06:40:42 | Weblog
同情というのは、共感に対して、劣る感情だが、同情する人というのは、自分の価値観で、つまりは荒削りに他人を見ている場合が多い。相手の価値観とか、相手の立場になってデリケートに相手を見ようとすると、相手が即物的に不幸な立場であっても、同情の気持ちが起こらなくなる事もある。即物的に不幸な立場であっても、精神が満足している人、精神が活き活きとしている人には、同情という劣った感情は起こらなくなることもある。

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能力は人格による

2010-12-06 04:46:28 | Weblog
私が尊敬する人間の基準は、その人の能力ではなく、もっぱら人格、人間性である。きれいごとのようだが本当である。能力というのは、天分の才能のによると思われがちだが、それは違うと思う。人格にも、色々な徳があるが、真面目とか情熱とか努力とかも人格の一つの徳である。努力する人間というのは、何事に対しても真剣で一心不乱に頑張るから、能力がめきめき上がっていくのである。だから能力のある人をも私は尊敬する。どんなに才能があっても、遊んでいて、上手くなることはない。

例などいくらでもある。たとえば私は、ユーミンを尊敬するが、確かに彼女は、音楽感覚が先天的に優れているのだろうが、遊んでいて、あれほど、たくさん優れた曲は作れないだろう。常に新しいものを探し、頭を酷使して考えぬいているからこそ、優れた曲が作れるのだろう。だから頭がヘトヘトに疲れる日々を送っていると思う。ビートルズとかサザンとか、その他、全ての作曲家も同じである。

一曲、優れた曲を作って一世風靡しても、一曲だけでおわってしまう人もいる。そういう人は、あきらめずに作曲をつづけていれば、まだまだ可能性があったかもしれない。

文学では谷崎潤一郎がいい例である。谷崎の初期作品は美的価値はあっても、それ以外の価値は少なかった。谷崎は全てを書きつくしてしまうと、だんだん作品の質が低下していった。それでも谷崎はあきらめなかった。筆を捨てなかった。そのため谷崎はスランプを克服し、初期作品を上回る美的価値以上の芸術作品を作り出した。「猫と庄三と二人の女」「春琴抄」「痴人の愛」など実に素晴らしい。

徳田虎男にしても、彼は秀才ではなかった。人並みの学力しかなかった。しかし彼は超人的な努力家で、一日16時間勉強することを自分に課し、それを実行し、大阪大学医学部に入った。
だから私は能力とは人格だと思っている。

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