芸術家や学者は、あまり、勝ち負け、ということに、こだわらない、というか、関心がない人が多い。特に、他人との競争には関心を持っていない人が多い。真理の探究や、何かを表現することに、関心を持っているからである。それは、私に完全に当てはまることである。関心の対象が、他人ではなく物事であるからである。なので、芸術家や学者は、勝った負けたの、スポーツには関心のない人が多い。私もスポーツには、なかなか関心を持てない。ただ私の場合は、運動の上達の理論ということには関心がある。もっとも私は、体力を落とさないために運動しているのだが。なので、一昨年までは、プロ野球に全く関心がなかった。知ってる選手も五人もいなかった。原辰徳が巨人の監督をしていることとイチローとかいう選手がアメリカで活躍しているらしいことくらいしか知らなかった。しかし、去年からは、プロ野球に関心を持てるようになった。一番の理由は、やはり小説に幅をもたせるために、俗っぽいことにも関心を持とうと思ったからである。私は時代小説は書けないし、推理小説も書けない。しかし小説は書かねばならない。やはり現代を舞台にしたものしか書けない。小説家は、観念的な思考力に強いより、世間の事をよく知っている方がいいのである。去年の正月に、たまたま見た石橋貴明の、リアル野球盤が面白くて、それが野球に興味を持てるようになった一つのキッカケである。それと、バッティングセンターで、トスマシンが故障してしまったので、ピッチングマシンの球を打ってみようと思ったのも、キッカケの一つである。それまでは、バッティングマシンは、意識して、やらなかった。というのは、私は、若い頃、利き手である左手の小指の中手骨を二度も骨折してしまい、バッティングによる強い衝撃で、また骨折しないかと恐れていたからである。しかし、やっているうちに、だんだん技術が上達して、面白くなり、You-Tubeで、バッティングの理論を調べたりしているうちに、さらに技術が上達し、そうなると、恐れていた手に強い衝撃がくるのでは、という心配も全くなくなった。間違ったフォームで打つと、怪我をする可能性もあるだろうが、正しいフォームで打つと、そういう心配は全く感じないのである。なので、これからも続けるつもりである。ただ、バッティングセンターで打てるからといって、実際に人間が投げるボールを打てるかは、わからない。どのくらい感覚が違うのかは、わからない。変化球を打ってみたいとも思うが、変化球のあるマシンがない。ので練習できない。いつも90km/hの球を打っている。これが一番、打ちやすいのである。80km/hだと、遅くて、球にエネルギーがないので、かえって打ちにくい。のである。100km/hや、130km/hの球も、打てるが、フォームをガラッと変えなくてはならない。最初からバットを横に寝かせて構えないと、100km/hは打てない。さらに力負けして、長打は打てない。ので面白くないので、やらない。
まあプロ野球に興味は持てるようになれたが、どこかのチームのファンになるということは出来ない。どこかのチームのファンになる、という感覚が、私には、さっぱりわからないのである。
まあプロ野球に興味は持てるようになれたが、どこかのチームのファンになるということは出来ない。どこかのチームのファンになる、という感覚が、私には、さっぱりわからないのである。