かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

グラフ入り 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  127 

2022-08-25 12:25:29 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放




      登場する家族を名称毎にグラフにすると、こんなに複雑になる


   
   
   母も妣もママもおかあさんも「母」というように単純化するとこうなる
   ピンクが母で67%、ブルーが父で14%   



127 砂利粒のサラリーマンは砂利のなかがんばっていると妻にも言わず

      (レポート)
 サラリーマンは社会の歯車のひとつとよくいわれるが、一首では小さな砂利にすぎない自分と詠む。石ではなく砕けた砂利粒にすぎない自分がそれでもがんばっている、しかしそんな健気なことは妻には言わないのだ。照れくさいのか、男の矜持か。(真帆)


     (当日意見)
★サラリーマンの位置づけのようなものがよく出ていると思います。がんばってるんだけ
 ど、奥さんにはそんなことは言わない。照れくさいのでしょうか、空元気なのでしょう
 か、妻の立場としてはいろいろ考えさせられます。(岡東)
★砂利粒のざらざらとした音感がこの歌によく合っていると思います。(慧子)
★砂利粒のようなサラリーマンというのは誰でも持っている感覚で、いい歌とは思わない。
 天下の渡辺さんに対して申し訳ないけど、渡辺さんがわざわざ作る必要はない歌だと思
 う。(A・K)
★自分を砂とか岩に例える歌はたくさんあるけど、砂利というのは砂より少し大きい。その
 砂利に例えられたのは非凡だと思います。砂利の微妙な隙間感とか、砂だと区別が付かな
 いけど砂利だと見分けが付くというか、そこが非凡です、松男さんだから発見できた。下
 の句は平凡だし考えどころだけれど、上の句を目立たせる為には仕方がないのかなあと
 か。(K・O)
★私はだいたいA・Kさんの意見と同じだったので、K・Oさんの意見を、ああそういう読
 み方もあるのかと驚いて聞きました。ところで、「妻にも」ってあるのですが、「にも」
 って何でしょう?勢いですか。妻以外にそんなことをいう対象って無いと思うのですが。
 親や子供に言うわけもないし、まして同僚になんか言わないし。でも、出世競争の中で、
 トップに立とうとは思わないまでも周囲には負けたくないという思いはある、それで頑張
 っている、そういう自分に含羞を感じているのでしょう。私がこの歌を読んでいちばんび
 っくりしたのは「妻」という言葉で、この言葉は第一歌集にもほとんど出てこない。(2
 002年に、誰を対象にうたっているのか円グラフで描いたことがあるので、それを探し
 てみます。余談ですけど、松男さん対象の評論にこのグラフを付 けたら、こんなのは要
 らないって、小高賢さんにつっかえされましたが(笑)(鹿取)

   ※トップに挙げたグラフはその時の一部です。
    煩雑になるので、グラフは後日まとめてブログにアップすることにします。

        (後日意見)
『泡宇宙の蛙』でも妻をうたった歌はこの1首だけかもしれない。ただし既に鑑賞した「少し哲学」の一連では7首中6首に「配偶者」という語が使われている。 
 妻が読まれなかったのは、身近過ぎたからだろうか?後年、妻が病気になり、介護し、亡くなられた後にはたくさんの妻の歌が詠まれることになるのだけれど。
 ただし、渡辺松男の家族詠はいわゆる事実に即した家族詠とは微妙に異なるので、全てが実在の家族を反映したものではないようなので、その点はお断りしておく。(鹿取)

 

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