馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
司会と記録:鹿取 未放
383 切実にされどゆるやかにせんせんとゆきゆきて濃し秋のヴルタヴァ
(レポート)
わたくしには直接に痛切にこのヴルタヴァ川は迫ってくるのだが、しかし、ゆるやかに悠々と秋の陽にきらきらと輝き流れ続けている。秋深きヴルタヴァであることよ。〈ゆきゆきて濃し〉秋の濃い風景、プラハの赤いレンガの中世の城や教会等々その歴史を思うのだが、ヴルタヴァ川はあらゆるものを飲み込みながら変わらず流れていることだ。(藤本)
(当日発言)
★大きい川だと分かる。歌も川にふさわしい表現で、歴史の濃い歌だ。(N・I)
★漢詩などには「せんせんと」がよく出てくるが、辞書的には浅い流れとある。聞き慣れた「せん
せんと」の語が懐かしいよい気分にさせてくれる。「せんせんと」「ゆきゆきて」の二つの畳み
かけの語が秋の抒情を濃くしている。(鹿取)
(まとめ)(2013年11月)
ふつう歌にはあまり使われない概念語「切実に」が初句に来ている。先月から見てきた歴史への思い入れが、こういう語を作者に選ばせているのだろう。考えてみると「切実に」「ゆるやかに」「せんせんと」「 ゆきゆきて」の4つの修飾語は全て直接には「濃し」に掛かるが、実際にはヴルタヴァ川の流れについての形容である。これほどニュアンスの違う形容を4つも重ねるのは珍しい詠法だろう。ともあれ、最後の「 ゆきゆきて」は以前にも出てきたが「伊勢物語」〈東下り〉の段の「ゆきゆきて駿河の国に至りぬ」など落魄の貴公子のはろばろとしたあてどない気分などを思い出させて旅の途上のわびしさを表している。(鹿取)
【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
司会と記録:鹿取 未放
383 切実にされどゆるやかにせんせんとゆきゆきて濃し秋のヴルタヴァ
(レポート)
わたくしには直接に痛切にこのヴルタヴァ川は迫ってくるのだが、しかし、ゆるやかに悠々と秋の陽にきらきらと輝き流れ続けている。秋深きヴルタヴァであることよ。〈ゆきゆきて濃し〉秋の濃い風景、プラハの赤いレンガの中世の城や教会等々その歴史を思うのだが、ヴルタヴァ川はあらゆるものを飲み込みながら変わらず流れていることだ。(藤本)
(当日発言)
★大きい川だと分かる。歌も川にふさわしい表現で、歴史の濃い歌だ。(N・I)
★漢詩などには「せんせんと」がよく出てくるが、辞書的には浅い流れとある。聞き慣れた「せん
せんと」の語が懐かしいよい気分にさせてくれる。「せんせんと」「ゆきゆきて」の二つの畳み
かけの語が秋の抒情を濃くしている。(鹿取)
(まとめ)(2013年11月)
ふつう歌にはあまり使われない概念語「切実に」が初句に来ている。先月から見てきた歴史への思い入れが、こういう語を作者に選ばせているのだろう。考えてみると「切実に」「ゆるやかに」「せんせんと」「 ゆきゆきて」の4つの修飾語は全て直接には「濃し」に掛かるが、実際にはヴルタヴァ川の流れについての形容である。これほどニュアンスの違う形容を4つも重ねるのは珍しい詠法だろう。ともあれ、最後の「 ゆきゆきて」は以前にも出てきたが「伊勢物語」〈東下り〉の段の「ゆきゆきて駿河の国に至りぬ」など落魄の貴公子のはろばろとしたあてどない気分などを思い出させて旅の途上のわびしさを表している。(鹿取)
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