渡辺松男研究2の30(2019年12月実施)
Ⅳ〈月震〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P151~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
235 全身をくねらせ花粉飛ばす杉ひたぶるに木もよごれて生くる
( レポート)
自然の理のなかに次世代があり、ひたすら花粉を飛ばす杉はなりふりかまわず汚れて生きているのだという。仰ぎ見られたり、神木と呼ばれたりするのは、年輪を重ねてのことだろう。「全身をくねらせ」という初句にはどうもなじめないが、234番歌「家畜象膚擦りよせて過ぎ行けばじんじんと痒き木のじんましん」につづき、木を私たちと同じ地平に見ているのだろう。(慧子)
(紙上意見)
杉が全身をくねらせ花粉を飛ばす姿を、作者は見ている。けれどそれを「ひたぶるによごれて生くる」と感じるのは、作者自身を投影しているのだろう。『木よ、おまえも私もこうやって懸命に生きるしかないのだなあ。』という苦しい感慨か。花粉を飛ばす杉を見たことがあるが、私には何とも嬉しそうに見えたのだが… (菅原)
(当日意見)
★普通、木というのはただ立っていると思われているけど、花粉を飛ばすときには
全身をくねらせるんだっていうのですね。そうすることで花粉を飛ばしやすくす
る。そういう行為を汚れっていうふうに作者は受け取っている訳ですが。下の句
がやや理屈かなあと言う気もしますが。(鹿取)
★わかりやすい歌ですね。全身をくねらせて花粉を飛ばすって説得力がある。納得
しますね。映像的で。まあ、下の句は理詰めではありますが。(A・K)
★「木も」というと〈われ〉も汚れているが……ということになりますが、「木は」
で止めてもよかったような気もします。そうしても〈われ〉はかすかににおいま
すから。もっとも、ご本人は君たちは何もわかってないなあ、なにくだらないこ
といいあってるんだっと思って読まれるのでしょうけれど。(一同、笑い)(鹿取)
Ⅳ〈月震〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P151~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
235 全身をくねらせ花粉飛ばす杉ひたぶるに木もよごれて生くる
( レポート)
自然の理のなかに次世代があり、ひたすら花粉を飛ばす杉はなりふりかまわず汚れて生きているのだという。仰ぎ見られたり、神木と呼ばれたりするのは、年輪を重ねてのことだろう。「全身をくねらせ」という初句にはどうもなじめないが、234番歌「家畜象膚擦りよせて過ぎ行けばじんじんと痒き木のじんましん」につづき、木を私たちと同じ地平に見ているのだろう。(慧子)
(紙上意見)
杉が全身をくねらせ花粉を飛ばす姿を、作者は見ている。けれどそれを「ひたぶるによごれて生くる」と感じるのは、作者自身を投影しているのだろう。『木よ、おまえも私もこうやって懸命に生きるしかないのだなあ。』という苦しい感慨か。花粉を飛ばす杉を見たことがあるが、私には何とも嬉しそうに見えたのだが… (菅原)
(当日意見)
★普通、木というのはただ立っていると思われているけど、花粉を飛ばすときには
全身をくねらせるんだっていうのですね。そうすることで花粉を飛ばしやすくす
る。そういう行為を汚れっていうふうに作者は受け取っている訳ですが。下の句
がやや理屈かなあと言う気もしますが。(鹿取)
★わかりやすい歌ですね。全身をくねらせて花粉を飛ばすって説得力がある。納得
しますね。映像的で。まあ、下の句は理詰めではありますが。(A・K)
★「木も」というと〈われ〉も汚れているが……ということになりますが、「木は」
で止めてもよかったような気もします。そうしても〈われ〉はかすかににおいま
すから。もっとも、ご本人は君たちは何もわかってないなあ、なにくだらないこ
といいあってるんだっと思って読まれるのでしょうけれど。(一同、笑い)(鹿取)
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