ブログ版 清見糺の短歌鑑賞
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
208 ビニールのあわつぶしてもつぶしてもつまらないのがじんせいである
2003年2月制作
この歌も207番歌(かぜふけばウラシマソウのはなのさきつちにふれたりふれなかったり)と同時期の作で、同様の気分を歌っている。下句、ここまで言ってしまっては身も蓋もないという意見と、あえて言ったところにこの歌の見どころがあるという意見と、両方があった。私自身はやや後者よりの意見に傾くが、歌としての出来は下句の投げ出し方が見事な207番歌の方がずっと勝っているだろう。207番は、ウラシマソウという気味悪い植物の面白さ、その先っぽがぶらぶらと揺れて地面に触れたり触れなかったりする景色、そんな情景をぼんやりと長く眺めている〈われ〉の心の倦怠、そういう複雑な歌の作りになっているからだ。
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
208 ビニールのあわつぶしてもつぶしてもつまらないのがじんせいである
2003年2月制作
この歌も207番歌(かぜふけばウラシマソウのはなのさきつちにふれたりふれなかったり)と同時期の作で、同様の気分を歌っている。下句、ここまで言ってしまっては身も蓋もないという意見と、あえて言ったところにこの歌の見どころがあるという意見と、両方があった。私自身はやや後者よりの意見に傾くが、歌としての出来は下句の投げ出し方が見事な207番歌の方がずっと勝っているだろう。207番は、ウラシマソウという気味悪い植物の面白さ、その先っぽがぶらぶらと揺れて地面に触れたり触れなかったりする景色、そんな情景をぼんやりと長く眺めている〈われ〉の心の倦怠、そういう複雑な歌の作りになっているからだ。
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