De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

小学校での英語教育

2006-05-16 23:15:17 | 教育談義
小学校での英語教育論が盛んです。
 私は英語脱落者です。それなりに言い訳もあります。「教育」とすると教師はすぐ身構えてしまいますので、「体験」くらいの言葉にしたほうが良いのかもしれません。
 私の持論ですが、日本語は他の多くの言語に比べて根本的な違いがあると感じております。それがために日本語を身につけてしまうと外国語を手に入れるのは非常に難しくなります。どのように違うかというと、ほとんどの言語は「音」で表現します。ですから抑揚やリズムが大きな要素になります。人間以外の動物の言葉(?声の表現)も同じです。ところが日本語だけはsoundではないのです。日本語は記号(符号)です。「ことば」としては最も進化した人間らしい言語かもしれません。やまと言葉の時代から符号の重なりで言葉を作ってきました。ですから、やまと言葉時代は最低50個の音ですべて表現できてしまいました。英語の場合は音の種類は1万ぐらいでしょう。符号ですから抑揚など一切要りません。「アマテラスオオミカミ・・・」と神主さんのように発音してみてください。
 私たちが外国語を習うとき、音を聞いてそれを50音プラスアルファのカタカナで置き換えてしまおうとします。その癖がつくのは5,6歳からですが、教育熱心なお母さんの下では3歳ごろからすでに固まってしまいます。早い話、小学生になってからの英語はもはや「勉強」の対象になってしまいます。
 私には米国生まれの2人の孫がいます。幼少のころは母親の日本語で話し始めます。しかし、幼稚園でお友達が出来るころにはうまく2つの言葉を両立させて使い分けます。ひらがなカタカナを覚えさせる前にローマ字を覚えさせ、英語と同じように日本語をローマ字で表現させるようにすれば、2ヶ国語による混乱の心配も無いようです。もちろん「ミミ」はmemeと書き、ningenは「ニンジン」と読みますが。きょう、NHKクローズアップ現代で小学校の英語教育を扱っていましたが、日本語が符号で、英語がサウンドだなどという論議はまだ私は聞いたことがありません。日本人にとっては、英語を習う前に、犬の鳴き声をまねして犬とコミュニケーションをとる努力をしてみることから始める必要さえあるかもしれません。

 果たしてここまで長文に付き合ってくださった方は何人おられるでしょう。ありがとうございました。