百合山羽公/受難節天上にあり朝寝せり

2025-02-09 18:34:32 | 本気ィ頓鬼ィ

 

気温は低いが雪は降っていない 今日の午後5時前コンビニ帰りの空 天上に月

俳句ではこんな状況でこう思いこう詠みました…などというタワケた説明はもとより不要であり 毎回これは駄句です としつこくブログに出して言うのもいただけない くどければ謙遜と見せかけ逆に自慢しているとしか思えないのだ 個人的には量より質と考えるモノ 17音のなかに全ては存在している

 

麻田椎花/子の親のつとめをへにし朝寝かな

 

片山鶏頭子/朝寝していま極楽にゐたりけり

 

 


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1 コメント

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構造と機能 (青萄)
2025-02-09 19:11:35
バナナを買いに歩いてコンビニへ行ったのだが バナナだけでスムはずがない? カラダニワルイモノガイッパイ(笑) まぁ棺桶に足突っ込んでいる身なのだから 今更どうってこともないわ👵
俳句では<自句自解>本も多いが あれは商業的に売れるのかもしれないが〰️よくないものだと思う 先生はその手の本を書いても 当時の周辺の状況を書いたが 上手に俳句本体には触れないようにしていた そこは評価している(他では反発をしたが…)
飯田龍太が苦笑していた 蛇笏のくろがねの秋の風鈴はどこに?というハイク客が来て ホントはバカヤロウトットと帰れ❗️とどやしつけたかっただろうと推察する 現物を見なくても想像は無限にできる 俳句は脳の機能的な遊び心だからである
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