宇多喜代子/降り来たるものみな怖し火も雪も

2020-11-21 16:28:40 | モブログ〰空見たことか

 

 

 

 

 

 

 

 

この竹林の奥におばあさんが一人住んでおられたが、いつの間にか無住となり、家は取り壊されたようだが…通りがかるたびに、特に綺麗に色付いたもみじを見ると、遠見に洗濯物を干していた老婦人(後ろ姿)を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友岡子郷/絵より絵へ歩む短き日なりけり

 

 

関 悦史/こたつ切りて厚着やカード持てぬ身の増税

 

 

大井恒行/掘り進む地球のみやこ出てきたり

 

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (青萄)
2020-11-21 20:59:56
宇多先生の句は、空襲で逃げまどった体験から来る「火」であろう。上から降ってくるものは火であれ雪であれおそろしいものなのだ。火の朱と雪の白との対比も視覚に訴えて妖しく効果的である。
友岡先生の句、美術館で絵を見ているのだろうか。日が短いので、好きなようにゆっくりたっぷりとは見ていられない。多少のせわしなささえ、行間に淡々と表現されている達人の句にひれ伏すしかない。
関氏の句、こたつ切る…堀炬燵にしたのか?とも思ったが違う、スイッチを切ったということらしい。彼らしい難解な回りくどさが出ていて、なるほどである。
大井氏の句、私は攝津幸彦が好きなので、遠近に見えかくれする攝津俳句の、あほらしくもあり愛しくもある美的感覚を思う。
どの俳句もその人のひととなりを表していて素敵だ🎵
俳句は褒めようとおもえば幾らでも褒め称えられるし、貶そうとおもえば幾らでもけなせる、同じくらいうまければ…要するに最後は好きか嫌いかの分水嶺に分かれる。


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