今回は、30数年前に、俳人の花田春兆氏を取材した時の「ルポルタージュ」を回想しています。
セイヨウミヤコグサ(西洋都草)
* * * 身障者として生きることは、健康な人間の想像を絶する。「生まれる」とは「生きる」とは、一体なんなのだろう・・と * * *
非情ともいえる現代社会に生きている私たちには、生の歓びを感じたり、しみじみと「生まれてきて良かった」などと思う心は、稀にしか訪れてくれない。
しかし、この世に生まれてきたからには、精一杯生きなくてはいけないとは、誰もが思っているはずだ。
いや、五体満足な者たちのこんな言い方は、そうでない方々には傲慢と受け取られるやも知れない。
体の不自由な方々が、その苦しみを克服しようとし、懸命に生きておられる。その姿を見たなら私たちは、「生」の畏敬の前にただひれ伏し、言葉すら失ってしまうのだ。
「生きる」ということと「生まれる」ということは、同じものなのだろうか。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
生れ落ちると同時に、脳性マヒ患者として生きることを余儀なくされた人、花田春兆さん。
現在は俳人として、身体障害者のリーダーとして活躍される彼も、その半生は、やはり身障者ならば誰でもが舐めさせられる辛苦を味わってきた人である。
お会いしてみて、途方も無く明るいお人柄だけに、今日までの苦渋の道程を見るような気がした。
だから生きたい、生きたい、ただ生きたい!のだ
この病気は、決定的な治療法がない。一度破壊された脳細胞は、二度とは生き返らないからだ。
しかし、常に手足を動かす訓練によって硬直した筋肉をほぐし、侵されている部分の働きを他の部分で補うようにすることはできる。
が、それも長い年月と本人のたゆまぬ努力、強靭な精神力が無ければ続けるのが困難であろう。
顔をゆがめ、身をよじり、言葉を探しながら、しぼり出すようにして話される花田さんに対していると、こちらの肩にもこぶしにも、思わず知らず力が入る。それほどに花田さんの口調が、真剣だからである。
ここに「しののめ(東雲)」という、小冊子がある。花田さんが編集長をなさっている同人誌だ。
昭和22年に創刊されてから、年に4回の季刊で、すでに75冊が発行されてきたという。
肢体不自由者たちには、今の日本ではまだ朝が来ているとは、とても言えない。・・かといって、夜でもない。
これから、希望の明るい光が昇って来るところだろうか。そんな意味のこめられた誌名だという。
賛助会員を合わせると、500人を越える同人数を有している。花田さんはこう仰る。この本ではね、生きたい、生きたい、誰もが人間としてより良く生きたい!、と皆が訴えているのですよ、と。
花田さんの、真実の心の叫びに、私は烈しく驚き、胸揺さぶられていた。 (以下、次回に続く)
☆30数年前の記事によるため、現在では使われていない語句や用い方、医学専門用語・知識等の不備があると思われますが、当時の認識のままに書いていますので、その辺はなにとぞご了承ください。
↑一昨日お墓参りに行った帰り、土手で見かけた黄色い山野草です。名前は分かりませんが^^
↑山小屋さんより「セイヨウミヤコグサ」と教えていただきましたので、名前を載せられました♪
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セイヨウミヤコグサ(西洋都草)
* * * 身障者として生きることは、健康な人間の想像を絶する。「生まれる」とは「生きる」とは、一体なんなのだろう・・と * * *
非情ともいえる現代社会に生きている私たちには、生の歓びを感じたり、しみじみと「生まれてきて良かった」などと思う心は、稀にしか訪れてくれない。
しかし、この世に生まれてきたからには、精一杯生きなくてはいけないとは、誰もが思っているはずだ。
いや、五体満足な者たちのこんな言い方は、そうでない方々には傲慢と受け取られるやも知れない。
体の不自由な方々が、その苦しみを克服しようとし、懸命に生きておられる。その姿を見たなら私たちは、「生」の畏敬の前にただひれ伏し、言葉すら失ってしまうのだ。
「生きる」ということと「生まれる」ということは、同じものなのだろうか。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
生れ落ちると同時に、脳性マヒ患者として生きることを余儀なくされた人、花田春兆さん。
現在は俳人として、身体障害者のリーダーとして活躍される彼も、その半生は、やはり身障者ならば誰でもが舐めさせられる辛苦を味わってきた人である。
お会いしてみて、途方も無く明るいお人柄だけに、今日までの苦渋の道程を見るような気がした。
だから生きたい、生きたい、ただ生きたい!のだ
この病気は、決定的な治療法がない。一度破壊された脳細胞は、二度とは生き返らないからだ。
しかし、常に手足を動かす訓練によって硬直した筋肉をほぐし、侵されている部分の働きを他の部分で補うようにすることはできる。
が、それも長い年月と本人のたゆまぬ努力、強靭な精神力が無ければ続けるのが困難であろう。
顔をゆがめ、身をよじり、言葉を探しながら、しぼり出すようにして話される花田さんに対していると、こちらの肩にもこぶしにも、思わず知らず力が入る。それほどに花田さんの口調が、真剣だからである。
ここに「しののめ(東雲)」という、小冊子がある。花田さんが編集長をなさっている同人誌だ。
昭和22年に創刊されてから、年に4回の季刊で、すでに75冊が発行されてきたという。
肢体不自由者たちには、今の日本ではまだ朝が来ているとは、とても言えない。・・かといって、夜でもない。
これから、希望の明るい光が昇って来るところだろうか。そんな意味のこめられた誌名だという。
賛助会員を合わせると、500人を越える同人数を有している。花田さんはこう仰る。この本ではね、生きたい、生きたい、誰もが人間としてより良く生きたい!、と皆が訴えているのですよ、と。
花田さんの、真実の心の叫びに、私は烈しく驚き、胸揺さぶられていた。 (以下、次回に続く)
☆30数年前の記事によるため、現在では使われていない語句や用い方、医学専門用語・知識等の不備があると思われますが、当時の認識のままに書いていますので、その辺はなにとぞご了承ください。
↑一昨日お墓参りに行った帰り、土手で見かけた黄色い山野草です。名前は分かりませんが^^
↑山小屋さんより「セイヨウミヤコグサ」と教えていただきましたので、名前を載せられました♪
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自分の好きなことができるのも生きているからです。
黄色い花は「ミヤコグサ」です。
日本古来のミヤコグサは花が1個か2個です。
これはたくさんつけていますから、セイヨウミヤコグサのようです。
根が強いので、土手などに植えられています。
花の形が烏帽子(えぼし)に似ているので、エボシグサの別名もあります。
海岸などの砂地でも咲いています。
「生きる」のが強い花です。
今、私が力弱っているからでしょうか。春兆さんの「明るく笑って生きる力」を、見習いたいと思っています。
お忙しいのでしょうに、ご親切に花の名前を教えていただき、恐縮しています。
強い花なので、土手の法面などに植えられるそうですね。一昨日、たまたま出会った花でした。たくさんあったので、端っこの一株を失敬してきました~^^;
また来年黄色い花が咲いたら、「ちから強く生きる」ことを思い出させてくれるでしょう
コメント☆を、ありがとうございました