人はやっぱり褒められるのが好き。だからといって見当違いに褒められるのも(本当は少し)困る。
俳句はわずか17音のなかで相手にどう伝えれば分かってもらえるのか、それが大きな問題なのだ。
阪西敦子選のこんな句評を見た時↓ちゃんと作者の句意が伝わったカタルシスを私は味わう。そして俳人の眼が節穴ではないことに納得し感動する。
かなかなの鳴けば小さき姉あはれ 青萄
☆姉の数人いる中の年の近い方の姉。かなかなの鳴くころ日暮れが殊に早くなり、さらにその鳴く時間帯がもっともそれを思わせる。誰かに守られているのではなく、下の面倒を見なければならないが、まだ小さい姉に訪れる心細さ。(100年俳句計画9月号より)
例に挙げられたような、むずかしい言葉を使わない句なら、感性の問題でしょうけれど、正直に言いまして、むずかしい季語をどのくらいの人が理解しているのだろうか、と疑問に思うことも多いです。ぼくもこちらではかなりの確率で調べていますもの。一般人など相手にせず、狭い範囲内の人たちだけの世界でわかればいい、というなら、それはまたそれでよいのでしょうけれど。
難しい季語はみんな調べながらですよ私も。時々面倒で適当になっていることもありますがハハハ
俳句は独特の言葉の使い方をする場合が確かにあって、疑問に思うことも。
だからといって俳句を読む時に知らないものは知らなくていいと放置するわけにもいかず…。
私のレベルは趣味俳句、高いレベルに居る俳人は一般の人にもわかりやすい俳句を作りますよ。真実私もそこを目指していますm(__)m