言葉への新しいアプローチとして鴇田智哉氏が絶賛しているのは、津川絵理子の「断面のやうな貌から梟鳴く」。特にその〈から〉の使い方。
梟の貌の有り様を図形的に把握し、〈から〉が付くことで垂直な面から水平に声が響き出ている、という強烈なイメージを読者に喚起させてやまない句。
アオキが美しい実を見せている☺
まこと津川絵理子の言葉の使い方の新しさは、狙って成ったものか、ほとんど革命的でもある。我々もできないながら努めて見習いたいものだ😅
〈オマケ〉ダンナが蕎麦を打ってくれた↓…毎日一食は蕎麦を食べなければならないようかな?🍜
まぁ句会のはしごが出来るような人たちは、ある意味恵まれていて幸せなんでしょうね、行けない人に比べればね😅句会がただのフレンドリーマッチでないことを祈るばかりです😱
幾ら俳諧が宴会の座興から始まった文芸だとしても、飲食を伴うのがどうしても好きになれないでいます。金持ちの趣味の社交場かしら?と疑ってしまいます。
もちろん清く貧しくコツコツと精進する句会もありますけれど。
瀬戸内寂聴などは句会後に出る有名店の料理が楽しみで、せっせと句会に通ったと聞いています。小説家がその体たらくでは、俳句は第二芸術と侮られても納得するしかありません。
>句会句会と血眼になって走り回る人の気がしれません。俳句がもし文学なら、結局は一人でじっくり取り組むしかないような気がします。句会の句の出来は参考にはなると思いますが〰😱
句会、結社、同人などに、事情で参加できない
自称(一匹オオカミ)と自負している私!
このコメント!私に勇気を与えてくれました。
時々、青萄さんののコメントに、ひとりで俳句愉しみ、苦しむ私には、「我が意を理解してくださる人がいる!
嬉しく思います。
津川さんの句は三層構造のレベルが深いといいますか、もう普通じゃないんです(笑)
自分を美化したり誇示する句が見当たらない。そういった情に訴えるような類型句に点がもらえるのが句会などの弱いところかな?と思います、つまり(時間がないこともありますが)、何ら新しくも深みもないわかりやすい句が互選では採られがちで、幾ら調子がよくて巧くても目のある人は採りません。
それで高得点なのに何故先生は採ってくれないのか…それは自分で考えることで、先生に訊くべきことではないですね。句会での高得点、それを鵜呑みにするのは(長い目でみれば)危険ではないのでしょうか。はっきり言って自分と似たような目のない人も多くいるのだと思わなければ😅
いろいろ言って申し訳ありませんが~🙇句会句会と血眼になって走り回る人の気がしれません。俳句がもし文学なら、結局は一人でじっくり取り組むしかないような気がします。句会の句の出来は参考にはなると思いますが〰😱
4月14日返却の本でしたが
昨日 もう2度読みました。
>津川絵理子の言葉の使い方の
本当に素晴らしい発想をお持ちの人ですね・・感性が豊か!!
・閉ざされて月の扉となりにけり
まだまだ 沢山の共鳴句がありました
有難う御座いました。