「不幸」もしくは「不幸」

2007-05-23 22:37:20 | こんなンで委員会
努力によってなんとかできることは、不幸のタネにはならない。

たとえば、英会話ができるようになりたければ、反復練習以外になく、ここに悩みの入り込む余地
はない。

しかし、このような場合であっても、どうして自分はこんなに語学の才能がないのかなどと、わざ
わざ不幸を見い出して、悩むということは可能である。

悩んでいる間に、単語の一つでも覚えればいいのだが、悩む方が楽なためか、悩む方向に気持ちが
向いてしまっている。


人間の力では、どうにもならないことに対しては、明らかに人間にやれることはない。

できることは、せいぜい悩むことくらいである。むろん、悩んでもどうにかなるわけではない。

それでも悩む方を選ぶのだから、人間とは、おそらく自分の不幸を悩むのが好きなのかもしれない。


不幸のタネはつきないが、仮になんの不幸もなくなったとしたら、悩みというものは成り立たず、
困ったことに、もう人間には「努力すること」しか残されていないことになる。

さぁ、こんなことにでもなったら、我々は、悩みを奪われて、きっと不幸になるに違いない。


英米では、窮地に追いこまれたり、死に直面した時などに、ジョークをとばせるかどうかが、人間
性を評価するための、有力な基準になっているという。

手を打てることについては、人事を尽くし、どうにもならないことについては、笑ってすませる。

このような態度をとれるまでに成熟した人間。こんな人間になるのが私の将来の「理想」である。

結論としては、人生がどん底の時も、忘れずユーモアを持ち、「不幸」を「笑い」に変換できるように
なりたいものだ、と切に願うのである。


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4 コメント

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人間、死ぬまで修行? (まちるだ)
2007-05-24 20:03:54
「変換」作業は難しい。

「理性」と「感情」が反比例する。

頑張っても、頑張っても、反比例する。

だから「変換」は難しい。

いつになったら出来るかな?
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空には大根の半月が (トーコ)
2007-05-24 20:41:35
まちるださん!

人間って、矛盾のかたまりだし、理性的な人ほど、二律背反するのだと思います。

まちるださんは十分がんばっているのだから、苦しみをともなう”修行”とは考えないで、今は学びや遊びの中にいる、と思えればいいんでしょうね。

そこはそれ、思ってもできないのが人間の辛いところ(笑)

理想は高く、目標は低く。いつか「変換」できる、と信じよう!
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気の持ちようで (建コン一擲)
2007-05-25 14:44:23
少々の不幸や災難ではもはやめげません。
それすらも「ネタができてよかったなぁ」って、思いますもん。というか、思うようにしています。

どんな問題でも、かならず時間が解決します。コソコソっと隠れて、やり過ごしましょう。

それが、できれば苦労はないか…。

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ああいえばこういう人 (トーコ)
2007-05-25 22:56:52
建コンさん!

そうだよね。建コンさんはいつも、災難と「同行二人」だものね。

若いのに、悟ったのね~~!えらいえらい。

でも、コソコソッと隠れるのは、趣味じゃないのよ~
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