かつて、TBSの人気ドラマ『ありがとう』に出演されていた山岡久乃さんを、お訪ねしたことがありました。
初めて入るテレビ局に、天井の明るいセット現場に、私はキョロキョロと興味津々のオノボリサンでした。
ピーンと張り詰めた空気、固唾を呑む本番が終わって、皆さんがバラケル休憩になると、やっと周囲にも笑みがこぼれる雰囲気が出ました。
緊張と弛緩の心地良いリレー。乾いた慌しさの中に「化ける」楽しさを満喫する世界。ふと岡本信人さんと目が合いました。おぉ、TVで見ている顔と同じです(当然ですがね^^)
山岡さんは、現在はすでに故人となられていますが、当時(昭和40年代後期)は漲るパワーに溢れた方で、サッパリテキパキとしたテンポの速い話しぶり、情念が燃えたつような強い黒目がちの目、気持ちの良いスカッとする方でした。
芸能人や有名人となると、マネージャーさんや秘書さんがスケジュール調整をする場合が多かったのですが、山岡さんの場合はご本人が直接電話に出られて、こちらが少々泡を喰った覚えがあります。
内容を訊いてその時その場で、インタビューの時間や場所を指定してくださったのです。TBSのスタジオで本番の休憩時間に受けるから、○○番のスタジオに入って待っていてください、と言われたのでした。それは仕事とはいえ、私にはすごく楽しみで待ち遠しい時間なのでした。
TVドラマの『ありがとう』は、毎回欠かさず見ていて私の大好きなドラマだったですから。娘役の水前寺清子さんに、「鬼~!」と言われる、しっかり者の母親役が山岡さんでした。
山岡さんに来意と名前を告げると、「ここでもいいわよね!」と、近くの空いている小部屋に連れて行かれました。なにぶん次の本番まで時間がないので、急いでインタビューしました。それでも約40分間、顔つき合わせる形で(狭いために^^;)、不慣れな素人にお付き合いをいただきました。
山岡さんは大正15年、東京生まれ。舞台芸術アカデミーの出身。今思うとこの時は、40歳代だったでしょう。
* * * * *
。。。江戸っ子なのですか?
山岡) いいえ。父母は九州出身で、私は東京の大田区で生まれましたけど、どっちかっていうと山の手だから・・。兄弟はね、死んだの入れると7人、今は5人ね。私?一番上。アハハ、そう見えるでしょう。
。。。女優さんになられた動機は?
山岡) 母親がこういうことが好きで、自分が果たせなかったものだから、誰か子供の一人をというわけで。21の時にね、今は満で言うから19ね、19の夏。
そう、初めは好きじゃなかったの。私は血液型はAで、A型の典型と致しましては、家でじっとしているほうが好きなンです。人様の前へ出てしゃべったりするのは、駄目なンですよ。世話焼きの、いわゆる内助の功みたいなのは平気だけれども。
泣いたり笑ったりラブシーンがあったり、女優なんて露出狂のすることだってよく言うでしょう(笑)
。。。『ありがとう』の前には、頼りない奥様の役でしたが。
山岡)ああ、『肝っ玉かあさん』ね。私の役は、あれは少しヌケているお母さんね。
。。。ものすごく上手いなぁと思いました。
山岡)あれはやっていて、とても面白かった。私の地は、どっちかというと『ありがとう』の母親役に近いですが、『肝っ玉かあさん』での役は、地ではないから「化ける」楽しさがあったわね。
。。。自分と全く違ったキャラクターを演ずるというのは、どのような感じなのですか?
山岡)それが、却ってやりいいの。違う方が染まりやすいっていうか、作りやすいです。似て非なるものが、難しいの。人間は善人か悪人か。若いか老けてるか。キツイか優しいか。泣き虫か怒り虫かって分けていくと、そんなにないでしょ。人間って、そんなの全部持ってる。
。。。役作りはどのように?
山岡)たとえばPTAに母親が行くシーンがあるわね。母親はみんな一人一人違う過去を持っているのに、一様に黒紋付きの羽織姿といういでたち。でもそんな風に描くのが、テレビのホームドラマでね。
私はお母さん役が多いけれども、世の中にはいろんな母があって「女」の部分が多いお母さんもいれば、「母親」の部分が濃い女性もいる。出世欲の強いひと、お金の欲、虚栄心、いろんな人間的部分があるでしょう。まして女だからプラスアルファが付く。それで「母」でなきゃいけない、平凡な女。そんな役が一番難しいような気がします。
(以下次号へ続く)
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こちらと
こちらにも
初めて入るテレビ局に、天井の明るいセット現場に、私はキョロキョロと興味津々のオノボリサンでした。
ピーンと張り詰めた空気、固唾を呑む本番が終わって、皆さんがバラケル休憩になると、やっと周囲にも笑みがこぼれる雰囲気が出ました。
緊張と弛緩の心地良いリレー。乾いた慌しさの中に「化ける」楽しさを満喫する世界。ふと岡本信人さんと目が合いました。おぉ、TVで見ている顔と同じです(当然ですがね^^)
山岡さんは、現在はすでに故人となられていますが、当時(昭和40年代後期)は漲るパワーに溢れた方で、サッパリテキパキとしたテンポの速い話しぶり、情念が燃えたつような強い黒目がちの目、気持ちの良いスカッとする方でした。
芸能人や有名人となると、マネージャーさんや秘書さんがスケジュール調整をする場合が多かったのですが、山岡さんの場合はご本人が直接電話に出られて、こちらが少々泡を喰った覚えがあります。
内容を訊いてその時その場で、インタビューの時間や場所を指定してくださったのです。TBSのスタジオで本番の休憩時間に受けるから、○○番のスタジオに入って待っていてください、と言われたのでした。それは仕事とはいえ、私にはすごく楽しみで待ち遠しい時間なのでした。
TVドラマの『ありがとう』は、毎回欠かさず見ていて私の大好きなドラマだったですから。娘役の水前寺清子さんに、「鬼~!」と言われる、しっかり者の母親役が山岡さんでした。
山岡さんに来意と名前を告げると、「ここでもいいわよね!」と、近くの空いている小部屋に連れて行かれました。なにぶん次の本番まで時間がないので、急いでインタビューしました。それでも約40分間、顔つき合わせる形で(狭いために^^;)、不慣れな素人にお付き合いをいただきました。
山岡さんは大正15年、東京生まれ。舞台芸術アカデミーの出身。今思うとこの時は、40歳代だったでしょう。
* * * * *
。。。江戸っ子なのですか?
山岡) いいえ。父母は九州出身で、私は東京の大田区で生まれましたけど、どっちかっていうと山の手だから・・。兄弟はね、死んだの入れると7人、今は5人ね。私?一番上。アハハ、そう見えるでしょう。
。。。女優さんになられた動機は?
山岡) 母親がこういうことが好きで、自分が果たせなかったものだから、誰か子供の一人をというわけで。21の時にね、今は満で言うから19ね、19の夏。
そう、初めは好きじゃなかったの。私は血液型はAで、A型の典型と致しましては、家でじっとしているほうが好きなンです。人様の前へ出てしゃべったりするのは、駄目なンですよ。世話焼きの、いわゆる内助の功みたいなのは平気だけれども。
泣いたり笑ったりラブシーンがあったり、女優なんて露出狂のすることだってよく言うでしょう(笑)
。。。『ありがとう』の前には、頼りない奥様の役でしたが。
山岡)ああ、『肝っ玉かあさん』ね。私の役は、あれは少しヌケているお母さんね。
。。。ものすごく上手いなぁと思いました。
山岡)あれはやっていて、とても面白かった。私の地は、どっちかというと『ありがとう』の母親役に近いですが、『肝っ玉かあさん』での役は、地ではないから「化ける」楽しさがあったわね。
。。。自分と全く違ったキャラクターを演ずるというのは、どのような感じなのですか?
山岡)それが、却ってやりいいの。違う方が染まりやすいっていうか、作りやすいです。似て非なるものが、難しいの。人間は善人か悪人か。若いか老けてるか。キツイか優しいか。泣き虫か怒り虫かって分けていくと、そんなにないでしょ。人間って、そんなの全部持ってる。
。。。役作りはどのように?
山岡)たとえばPTAに母親が行くシーンがあるわね。母親はみんな一人一人違う過去を持っているのに、一様に黒紋付きの羽織姿といういでたち。でもそんな風に描くのが、テレビのホームドラマでね。
私はお母さん役が多いけれども、世の中にはいろんな母があって「女」の部分が多いお母さんもいれば、「母親」の部分が濃い女性もいる。出世欲の強いひと、お金の欲、虚栄心、いろんな人間的部分があるでしょう。まして女だからプラスアルファが付く。それで「母」でなきゃいけない、平凡な女。そんな役が一番難しいような気がします。
(以下次号へ続く)
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こちらと
こちらにも
ハキハキと物をいう女(ひと)のようでした。
和服が似合っていたような・・・?
テレビはありますが、あまり見たことがないので・・・
特にドラマは見ませんね。
連続物はもっとダメですね。
そうそう、夕べはかなりの豪雨だったようですね。
トーコさんのところは大丈夫でしたか?
流されなかったかと心配していました。
こんな昔の話で恐縮です。山岡さん、うっすらと覚えていらっしゃいますか?薄らボヤボヤしている?とぶっ飛ばされそうな感じでした(笑)
昨夜の雨は、当地では1時間に最大120ミリを観測したそうなのです。って、今朝の新聞によればね。あはっ!お陰様でなんとか流されずに済みました~。はぁ、まぁ精神的には”漂流”していますが・・hhh
「ゲリラ豪雨」とか呼ばれていますが。ブログの「読み逃げ」といい、喩えが恐ろしげになってきています。ひゃーー
地でない(と言っている)時のほうが、評価が高かったりしますね「作る楽しみ」があるのかも知れませんが。
…正直、女性に弱い(僕も含めた)男性は、演技に見事だまされるのかも知れません横にそれましたが、続きも楽しみにしています
こちら、現在又激しい雷雨になりました。真っ暗なので、電気を点けました(≧∇≦)/ ハハハ
今から30数年前の記録ですよ。個風さんが生まれた頃かもしれません。
山岡さんは「渡る世間は鬼ばかり」の出演時に、病没されています。1999年、72歳だったそうです。
地に遠い役柄の時に、演技者としての楽しさがあるようでした。コメントをありがとうございました