今月いっぱいは「花の内」

2009-01-14 21:10:21 | Weblog
暦では、明日十五日は「小正月」です。

むかし東北地方の中には、二十日正月を含めて、正月十五日の小正月から月末までを「花の内」と呼んでいたところがあったそうです。

美しい呼び名ですね~素朴ながら優雅でもあります。稗や粟などの穂でお花を作り、庭の雪の中に飾り立てて置き、一月末(晦日)までをいとおしんで「花の内」と呼んだ、と。

同じ東北の正月行事で、子どもたちが
「明(あ)きの方から早乙女(さおとめ)が参った」とか
「田人(たうど)に来たよ 小苗(こなえ)ぶちが来(き)いした」と言っては、
家々を回り歩いたとか。

正月の春田打ち」または「田植」とよばれる行事で、家々では子どもたちにお餅を与えた、と柳田国男は書いています(『こども風土記』)

季節としては遠いのですが、一年の初めに豊作を祈ってのまじないであり、雪に閉ざされた家には外部からの訪れを、「瑞相」として歓迎する風潮があったようである。しかし時代の流れとともにいつしか、そんな行事もとんと行われなくなったという。

お餅というと、十一日が鏡開きでしたね。

昔の武士はお正月には、命から二番目に大事にしていた鎧や兜に、鏡餅を供えていたそうです。それを正月の二十日にお下げして、木槌で叩いて割って食べたようです。


   正月も二十日になりて雑煮かな     服部嵐雪(らんせつ)


これが「鏡開き」の始まりで、刃物では切りません。刃(やいば)を大切にしていたこともありますが、切る(斬る)を忌み詞(いみことば)として嫌ったからだそうです。

現代の「鏡開き」では、柔道や剣道などの「寒稽古」の後に、甘~いお汁粉にして皆で食べるというのが一般的ですね。

元々は正月二十日の行事だったのが、江戸時代に正月十一日になりました。ある時期、二十日が将軍家の忌日に当っていたため、十一日に改めたとか。それが商人の世界にも入ってきて、「蔵開き」も十一日になりましたとさ。

またある時、江戸城内で行われた鏡開きで、大奥の女小姓・弥生が勧められるままに、手獅子頭を持って舞い踊りました。するとだんだんに獅子の精にとりつかれて、自らも獅子となってしまった。これが、長唄で踊られる「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」という訳なのだそうです。

舞台上手には鏡餅。その手前に獅子の頭が鎮座するそうで・・。私は知りませんが、正月初芝居でご覧になった方もおられるでしょうね。


                             



   年頭の抱負決めかね一万歩      空見

年頭にあたっての秘かな決意や誓いも、野暮ったいことと思い今までは避けていたものです。

何かを決意しても、ほとんど守れはしないのだけれども、流れ流れてふと気付いたら三年、五年、十年と経っているようでは、あまりにも情けない~

さて今年は!と抱負なるものをあれこれ吟味していたら、知らぬ間に一万歩も歩いてしまった、というのが上の↑駄句となりますデス(笑)





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16 コメント

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小正月 (地理佐渡..)
2009-01-15 06:22:39
おはようございます。

この日の朝の炊事は父親がしていたのを
記憶しています。他にも色々あったので
すが、成人の日が変わったのと同じで
今や何をしていたのかすっかりわからな
くなってしまいました。特別な日としての
幼い頃の印象はあるものの、残念、今や
普通の日になってしまいましたね。
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懐かしいです。 (山小屋)
2009-01-15 07:32:53
田舎の風習にはよいものがたくさんありました。
だんだんと消えていくようです。
小正月にもお餅をつきました。
子供はお腹一杯食べられるので嬉しかったです。

新年になってもう半月が経ってしまいました。
景気はどうなるのでしょうか?
年が代っても明るいニュースが少ないようです。
せめて気持だけは明るくして過ごしたいですね。
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地理佐渡..さんへ (空見)
2009-01-15 17:30:26
こんにちは~

元日のことを「大正月」、15日を「小正月」と。
小正月は「女正月」ともいうのですね。だからお父さんが台所担当で(笑)
昔はそれだけ、女性は働き詰めだったということなのでしょう。今は逆になっています~?(*・ω・)ノ
成人式も一月の第二月曜日となって、「小正月」という名前も消えてなくなるのでしょうか
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山小屋さんへ (空見)
2009-01-15 17:39:04
こんばんは~

昔の行事というのも、調べてみると面白いものですね。当時の世相を反映しているというか。

「小正月は」、九州地方では「骨正月」と言うところもあるそうです。なぜ”骨”かは、説が分かれていますが(*゜e゜)=3
山小屋さんの所では、お餅をついたのですか?二度目のお正月ですね~。o@(^-^)@o。ニッコリ♪
今は有名無実でも、こんな(ササヤカな)昔のこと、子ども達に教えておくのも大人達の仕事の一つなのかも知れません
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鏡開き (かずこ)
2009-01-15 17:54:55
そう!鏡開きのおもちはお汁粉にして食べますね。

東京に出て来て、働いていたワイシャツ屋さんでは
そこら中に飾ってあったカビの生えた鏡餅をお汁粉にして、お昼ごはんにどんぶり一杯、出されました。
甘くないお汁粉でした。

その当時はそれが当たり前だと思っていましたが
今、考えるとお昼ごはんがお汁粉だなんて、悲しい思い出です。

何故か思い出してしまいました。つまらない話を
してしまいごめんなさい。
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鏡開き (だんだん)
2009-01-15 20:40:06
空見さんは色々ご存知のお方。
突然敬語になる人です。

田舎のお鏡餅は、砕いて干して油であげます。
冷めないうちに砂糖をまぶしてね。
いいおやつになりました。
お婆ちゃんの智恵というのかな~
鯛の鱗は大根で取ると言われて。
やってみたけど、あまりうまくいかないんだわー。
結局、市販の鱗取り買ったです
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Unknown (ディック)
2009-01-15 21:02:54
>正月も二十日になりて雑煮かな

上の句を味わうには、鏡開きの歴史を知っていなければいけない、という訳ですね。
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かずこさんへ (空見)
2009-01-15 22:23:39
こんばんは~

そうそう、昔はカビの生えたお餅、削って食べませんでした?冷蔵庫がまだそんなに普及していませんでしたからね。
甘くないお汁粉、小豆に入れる砂糖が少なかったのかな~、おしる粉は甘くないとデス(笑)まぁでも、どんな物でも食べられるだけ良かったですよ。

実は私、全く冷蔵庫に入れなかった切り餅(餅は平気なんだと思っていて)ずっと夫に食べさせていたのですが、ある日夫が急に熱を出して(ゲリ)の病気になりまして、、、風邪がお腹に来たのかと思っていましたが・・(爆)

後になって冷静に考えると、オソラク餅が腐っていたのではないかと・・未だにそのこと秘密にしてますが!!あれは、十中八九私のせいだったかもと(;^_^A アセアセ・・7年前の旧悪を思い出しました~
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だんだんさんへ (空見)
2009-01-15 22:37:47
こんばんは~

今ごろ敬語ですか?もう遅いっ!(≧∇≦)/(爆)

砕いて干して油で揚げて云々、やってるやってる~アラレちゃん。私は全て冷凍庫に保管。適宜使用しております。水餅にして柔らかくして、何にでもなりますし。
そうそう、鯛といえばだんだんさん。魚売り場で大きな鯛の顔を見るたびに”鯛めし”を思い出します。あんまり上等なものばかり食べて~糖尿病には気をつけてくださいまし~
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ディックさんへ (空見)
2009-01-15 22:44:04
こんばんは~

>正月も二十日になりて雑煮かな

諧謔。ちょっと笑える俳句だと思ったのですが、服部嵐雪は芭蕉の愛弟子ですが、(確か)元は武士だったですから、ここで嗤いをとっているわけでもないのでしょうね。でも、面白いですよね~
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