

戦前の日本の社会の単位は「家」であった。
一時(戦時中)は、選挙権さえ個人が持つのではなく、家が持つというふうに変えられた事があったという。
家族の中で、別々の候補者を選ぶのは<個人主義>であって怪しからん!というので、一軒の家が一つの人格的単位として一人の候補者を選ぶべきだと。
つまりは家長が、一家の意見を取りまとめて”意思”を表明すればそれでよろしい。。そういう論理であったのだろうか。
30数年前に出版された『日本の女』というの本の中には、まさに家・父親が絶対の権力を握っていた時代、そんな女性たちの暗黒時代が「手記」の形でつぶさに描かれていた。
<戸主と娘><結婚><夫婦><嫁と姑><相続と跡取り><老後>など、手記を書き寄せた22人の50歳代女性たちの生の声。ここには事実だけがあり、その重みが飾りをとり払った女性の忍従の生き様を、鮮明に見せながら語りかけてくるのである。
13歳の時、福井県の織物工場に売られるようにして働きに出されたIさんは、次のように述懐している。
「・・思い返せば、まるで氷に石をぶっ掛けたような上に、ひたすら立ち働いていた5年間でした。
自分が生んだ息子にさえ、自分の言い分、願いごとが通らなかったあの祖母の惨めさ。自分の夫であるのに、何一つ相談もされず、何一つ物も言えずに、自分の娘が売られることさえ、その土壇場にならなければ知らされなかった、哀れな妻の身であった母。
・・一家の絶対の権力を握り、家のためには、子どもまでも犠牲にすることができる”父”というもの。”家”とは、なんと憎らしい存在であるのだろうか」
この本の編者・佐藤隆夫氏は、<あとがき>の中で以下のように語っている。
「本書の目的は、旧家族法の適用のもとで、人生の過半を過ごされた最後の世代の主婦たちが、当時いかに真剣に生き、悩み、そして現代の男女同権の家族法の立法をいかに望んでいたか、その偽らざる真実の記録を、後の世代に語り伝えたいということにある」と。
旧家族法と現代家族法、まったく異質の戸惑いの法の中で、短い人生のはざまに身を持って経験してきた女性たちの生活記録は、今なお忘れてはならないものであろう。
「おしん」の世界は、懐かしい<日本昔話>の彼方にあったのではなく、振り返ればほんの少し前のこと。我々の「母」たちが、身を削り生きて紡いで来た時代だった。
女性も参政権を得て男女同権となり、男女雇用機会均等法が施行されている現在。。あれから・・私たちはどれだけ幸せになれたのだろうか。

今ではすっかり様変わりの世かも知れ
ませんね。出版されたのが30年ほど前
とのことです。以来めまぐるしい変化
の中で、ある一面過去への回帰を思わ
せる考えも見直されています。
ただ、ご紹介の内容のようなものは二
度と無いことを願いますが..。
どうも日本人はここに至るまで、人と
しての有り様などに、かなりの揺らぎ
を放置していたような気がしてならな
いように感じるのですが..。
こういう本を突き放して見ると、要するに「恨みつらみ」の特集ですね。こんなに女性が虐げられていた時代があったんだよ、ということでしょう。
貧しさゆえの苦渋の選択です。どこの国でもこういうことはあったし、今も世界の貧しい国では当然のように行われています。
「負の遺産」には、誰も目を向けたくないものですが、時には振り返ってみる必要がありはしないでしょうか。
簡単に二度とあってはならない、などと言いますが、日本に於いてはいろんなことを曖昧のままスルーしてきたような気がします。
過ちを繰り返さないためには、過去を検証するしかありません。過去は未来につながっています。
重い話で申し訳ありません。たまには私も真面目に考えます
コメントをありがとうございました。今日は早朝からの外仕事、草臥れてバテバテです~(笑)
女性が強くなり過ぎたのか、男性が弱くなったのか・・・
時代の流れといいますが、どうなんでしょう。
難し過ぎてよくわかりません。
今日は八王子界隈を10キロくらい歩いてきました。
武田信玄の娘「松姫」にも会ってきました。
武田家が滅びたあとも八王子に移り尼さんになって武田家の冥福を祈って過ごしたそうです。
立派な女性だったそうです。
その偉大さ、そのおおらかさに。
だからこそ抑圧しました。だからこそ抑え込みました。
味方は大義名分です。この世が味方です。
徹底的にできました。楯つくも者の口を塞ぎ、暴力と言う力で。
しかし時は正直です。決して嘘をつきません。
時の変遷が本来の姿をあぶりだしそして導き出しました。
いつしか男と女の称号までもが反対になりました。
いや、既に我が家ではそれが現実なのかも知れません。
トーコさん。お元気ですか。
私目は時には徹底的に自分の体を痛めつけます。歩く。走る。シャドウボクシング。
シコを踏む。突き。蹴り。
汗をかきます。呼吸が乱れます。
それでもとことんやるのです。
今日も妻に立ち向かわねばなりませんので。
今日は働きすぎて吐き気がしています
急激な円高になって、アメリカ経由で最大級のハリケーンが来そうです。無事に年を越せるのか怪しくなってきました~
それはさておき、自分でも何を書き言いたいのか分からなくなりましたので、読んだ方々は災難ですっ!
>武田信玄の娘「松姫」にも会ってきました。
良かったですね、貞淑で綺麗な女性に会えて♪
私も立派な人になりたいのですが・・夫亡き後、尼さんになればいいですか?^^コメントをありがとうございます
若き日『元始、女性は太陽だった』を信奉しておりました、この私。ウーマンリブ、ジェンダー論、かなり好きでした。
今は。。表向きは転向しています、あ、裏向きもネ(笑)理論理屈でどうにかなる話ではないからです。
森と山ちゃんさんの奥様はとっても強そうですね。思わず笑ってしまいました!ホントかなぁ~
シャドウボクシング、突き、蹴り。実戦対応OK。奥様は何か格闘技をされているのですか?ゼッタイに負けないでくださいよ、空見ろトーコはアナタの味方です。よろしければ盾と矛を貸し出しましょう~
久々のコメントですぅ
先日は拙ブログでトーコさんにコメントする・・・という変な事をして、失礼いたしました
女性の地位は少しづつですが向上していますよね・・・その陰に沢山の女性が勇気を持って声を上げてきたからこその今だと思っています。
娘は現在、貧しい国での女性差別について勉強をしていまして、実際そんな国を訪れたりしています。
少し前の日本でもあまり変わらない現実が有ったのだと思い知らされます。
まず、男の意識を変えるべき!!
メタボ氏でさえ、私に向かって「誰が食べさせてるんだ」と3回ほど、暴言を吐きましたから。
それが暴言だとは本人全く意識していません。
それぞれに役割分担がある、それで良いじゃないの
・・・この手の話は、長くなっていけません
おじゃましましたーーーー
夫の亡き祖母は武士の家柄で、現在93歳の姑もひどい仕打ちを受けたそうです。平民だから。
夫は長男だから、一段高い座で祖母、父親(舅)と食事。
姑、弟達(4人)は土間で麦飯だったそうな。
悲しいかな、姑は後に祖母さんみたいになってしまって。
戦後民主主義で育っただんだんや、弟の嫁さんたちは。
姑の嫁に対する悪口雑言と、マザーコンプレックスの夫に助けてもらえず、全員ノイローゼ、うつ病を経験しました。
豊かではないけど、ほどほどの幸せを得られた筈の結婚生活が泡と消えて…
我が両親を恨み、自分を貶め、腹の中に凄い澱を抱えてました。
一生消えないけど、浄化させるべく頑張るだんだんにて。
結局は、この国を少しずつよくしていくしかないのでしょうが、時間が掛かりますし、他方で悪くなっていくところもたくさんあって…。
だいぶ改められてきましたが、まだまだ残っているようです。
心して「不当な差別」を排除すべく努力をしたいと思います。
その過程で、さまざまな歪みも出ます。
その兼ね合いが難しい。
だからと言って、差別撤廃のスピードを緩めるべきだと思っているわけではありません。
「女のくせに」とか、「男のくせに」とか、「高校生のくせに」とか、「年寄りのくせに」とか、断じて言ってはいけません。考えてもいけません。
しかし、そんな言葉を吐きたくなるほどの「乱れ」を感じることがあります。
私の実感として、それは決して「社会の進歩」とは思えないのです。
老若男女のすべてが、権利と義務を混乱して受け止めているように思うことがあります。
「権利と義務」を考えもせず、ただ生きたいように生き、したいようにしているだけかもしれません。
トーコさんの今日のテーマとはズレていたかもしれませんが、気になっている「乱れ」について、勝手なコメントを入れさせていただきました。