💬アメリカフヨウ(かと思ったが普通の芙蓉↑のようです)と稲の花↓
整然と植えられて苗寂しかり 水戸勇喜
イネ科の植物は数多いが、栽培イネは二種類。アジア栽培イネとアフリカ栽培イネとがある。前者は周知の通り、耐冷性の高いジャポニカ種と耐冷性の低いインディカ種に分かれる。また両者の交配により多種に広がっている。栽培イネの祖先種はオリザ・ルフィポゴンと言う。栽培の起源は中国長江流域とする説が有力だが、東南アジアとする説もある。日本への伝播も中国長江からとの説と南方から、いわゆる「海上の道」を通ってきたとの説がある。日本での栽培の始まりは、稲の細胞研究を元にすれば約六千年前にも遡ることが可能であるらしい。
弥生期には水田耕作が始まり、奈良時代あたりから直播栽培から移植栽培へ、つまり田植えが普及し始めた。品種改良も何度も繰り返された。一度、ベトナムを訪れたことがあるが、直播が一般的と聞いて驚いた。実際、草原のような田面であった。しかし、なんのことはない、稲はもともと南方系の植物だから、私が知識不足だっただけで、ごく自然な栽培方法だった。その稲を日本人は凶作と飢饉とを繰り返しながら、さまざまに改良につぐ改良に力を尽くしてきたのである。しかし、いつからか、おそらくは日本が飢えという言葉を忘れ始めた昭和三、四十年代からだと思うが、しだいに稲は「笹になる黄金」の輝きを失い出した。米は過剰生産という烙印を押され、市価の下落、減反、耕作者の高齢化、そして、後継者の不在と難病を抱え、稲作消滅への道をたどり始めた。地球規模では、人口増加や温暖化などによる食糧不足が危惧されるというのに。
稲が穂を垂れるのは、もともとの稲の性質ではないと宇多喜代子さんから教わったことがある。イネ科の植物は、本来、種子を遠くへ運ぶため穂を低く垂らしたりしないそうだ。確かに同じイネ科のススキやヨシは軽やかに穂を揺らす。稲は人間の手で、人間のために命を尽くすように改変され、人間を養ってきた植物なのだ。その果てに少なくとも日本という島国では、人間から見捨てられ、忘れられようとしている。この句はそうした現代のイネの寂しさを詠ったものにちがいない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます