清明といふといへども黄沙来ぬ/青萄
殆どがまだ花の来ていなかったアマドコロ(甘野老)↑ 数輪花の見えるものも↓
ミツバツツジ(三葉躑躅)は満開↑梅の後に咲いていたこれは杏だろうか?↓不明…
清明時節雨紛紛 清明の時節 雨紛紛(ふんぷん)
路上行人欲断魂 路上の行人 魂(こん)を断たんと欲す
借問酒家何処有 借問(しゃもん)す 酒家何れの処にか有る
牧童遥指杏花村 牧童 遥かに指す 杏花(きょうか)の村
<杜牧の七言絶句・清明>より
星野立子/一村は杏の花に眠るなり
福田蓼汀/花杏夜も真白き伊豆へ来ぬ
ここが詩のミソなんでしょうね 「雨に降られて 道行く私はひどく落ち込んできた…そこで出会った牛飼いの牧童に 何処か酒の呑めるところはないか と訊いた」
これに似た逸話ですが 日光にある「西行もどり石」も 西行法師が日光の鉢石を通ると 子供が石に乗っていて何か言う…おそらくこれらの童は神の化身とするメタファーとして登場させているのではないかと思われる 詩想の広大無辺の一つのテクニックとして