昨日は初めて地震に対して恐怖を覚えました。
震源地から遠く離れた横浜にいても、これまで体験したことない激しい揺れ。
発生から24時間以上が経ったいまでも、東北の友人、知人には連絡がつながらず安否確認がいまだできない状況です。
とにかく今は無事を祈るばかりです。
わが家は家族みな無事でした。
かみさんはちょうど家にいて、揺れに耐えてました。
マイサンは外出途中で地震に会い、駅からとって返して夕方には自宅に。
わたしは電車普通で会社に足止めをくらい待機、22:10に市営地下鉄が運転再開したところで帰宅、家についたのはAM1:00過ぎでした。
マイドーターは部活仲間と卒業遠足で富士急ハイランドへ。地震で即帰路へと向かいましたが、大渋滞で車動かず、家に着いたのはわたしより遅いAM1:30。
深夜になってやっと家族が家に揃いました。
また、同市内にある両方の実家はいずれも停電。
わたしの実家では、棚から落ちたグラスが割れたが、電気が消えて片付けもままならず、不便な一夜を過ごしたようです。
大事がなかったのがなによりで、心配していただいた方々、どうもありがとうございました。
職場のビルの非常階段の壁は崩れ落ち、ひび割れの箇所もちらほら見え、
駅前にはタクシー待ちの大行列が延々6時間以上も続いていました。
また、帰宅できない人のために、横浜アリーナが宿泊所として開放されていました。
帰宅してみると、棚のものが落ちたくらいで、大きな被害はありませんでした。
TVニュースを見て、大津波の被害や原発事故など、大地震の爪痕の大きさを改めて感じています。
被災者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。
今日予定の取材はもちろん中止、取材先の船宿さんに電話すると特に被害が無く何よりでした。
しかし、福島、茨城の船宿さんには甚大な被害を受けたところも少なくないです。
津波警報が発せられ、船を沖に出して夜を明かした船もあり、こんなことはどの船長さんも初めても体験でしょう。
相模湾では、津波警報は注意報と沈静化したもの、まだ相変わらず各地で余震は続いています。
昨日大津のいなの丸に釣りに行ってたんですが
地震時揺れで港の海水が小川丸の貸しボートのとこまで上がってきたそうです・・・(店舗のすぐ下)
天災は恐ろしいですね><
14時半上がりだとマダイですね。帰港は津波警報が出る前でしょうか。
ちょっと時間がずれて通勤帰宅時間になってたら、三浦から抜けるのも大変な状況に嵌っていたと思います。
外房では、港に帰れなくて(津波の危険で)沖で深夜まで待機、あるいは夜明かしした船もあったと聞き、ほんとうに天災の怖さを感じました。
携帯系の仕事なので、現状把握もしなければならないし、ビルからは避難指令は出るし。。完全に人間が輻輳しちゃいましたね。。
これ以上被害がひろがらないことを祈ります。。
なんでも耐震構造で震度7まで大丈夫だそうで、ビルの外に出るよりも中にいた方が安全てアナウンスがありました。
震度5であの揺れだから、震度7のときにはちょっとビルの中には居たくないですね^^;。
被災された方々の早期救出と、原発鎮火が待たれます。