大奥女中の淫らな恋 (PART 1)
(tsukioka1b.jpg)
(renge00e.gif)
大奥女中の淫らな信仰
(tsukioka1.jpg)
新撰東錦絵 延命院日当話 [明治18年 (1885)]
大奥の信仰厚い延命院の僧・日当(史実では日道)は
多くの女中と関係していた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
126-127ページ 『衝撃の絵師 月岡芳年』
執筆者: 平松洋
2011年8月16日 第2刷発行
発行所: 株式会社 新人物往来社
(merange12.jpg)
デンマンさん。。。、 あんさんは どういうわけで淫らなタイトルを付けはったん?
(kato3.gif)
あのなァ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を見ていたら上の絵が目に留まったのやがなァ~。。。
つまり、あんさんは“淫らな恋”に興味があるのォ~。。。?
別に、淫らな恋に興味があるわけではあらへん。。。
それやのに、どないなわけで、上の絵を取り上げる気になりはったん?
冒頭の絵を見たときに、何やセクシーやなあああァ~というかァ。。。 妖艶というかァ~。。。 いかにも江戸時代の艶(なまめ)かしい女を 実によく描いているなあァ~、と感心したのやがなァ~。。。
つまり、あんさんは江戸時代にタイムスリップしたら、このような薄っぺらな女と寝床を共にしやはるのォ~。。。?
(tsukioka1b.jpg)
めれちゃんには、上の女が薄っぺらな女に映るのかァ~。。。?
そやかてぇ、あんさんがコラージュしてデッチあげた わたしのピンアップ写真と比べたら、どのように見ても薄っぺらに見えますやん。。。
(renge00e.gif)
う~♪~ん。。。 確かに、上の写真と比べれば、江戸時代の女は薄紙にべったりと書いたように見えるわなァ~。。。 そやけど、江戸時代の女の しどけない格好が、セクシーやと思うねん。。。
わたしには、なんとのう だらしなさそうな尻軽女に見えますわァ~。。。
それは、男の見方と女の見方の違いやと思うねん。
つまり、あんさんは この江戸時代の女に惹かれなはったん?
そうやがなァ~。。。、実は、それよりも大奥の信仰厚い延命院の僧・日当(史実では日道)は多くの女中と関係していたという事実に興味を持ったのやがなァ~。。。
要するに、あんさんは江戸時代にタイムスリップしやはったら、坊さんに成りすまして 大奥の女中をナンパしやはるつもりやのォ~?
めれちゃんは、何も知らないような表情を浮かべながら 男の心の奥底まで グサッと突っ込んでくるのやなァ~。。。
あんさん!。。。 そないな やわな気持ちでおったら、ナンパなどできしまへんでぇ~。。。
さよかァ~。。。 とにかく、わては その色恋事件を調べてみたのやがなァ~。。。
延命院
(enmei01.jpg)
延命院(えんめいいん)は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院。
山号は宝珠山。
本尊は大曼荼羅。
旧本山は大本山妙顕寺。
慶安元年(1648年)日長の開山により創建され、江戸幕府旗本小堀政貞の生母で江戸幕府4代将軍徳川家綱の乳母三沢局の帰依を得て堂宇が改修された。
この寺にある七面大明神(七面天女)は、慶安3年(1650年)に造られた。
文化財として東京都指定天然記念物の「延命院の大シイ」がある。
<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/TTuPDtV6Uhk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
延命院事件
(enmei02.jpg)
徳川家斉の時代、西の丸大奥の御中臈・梅村の部屋方であった「ころ」という奥女中が、大奥に入る以前から延命院の元歌舞伎役者の僧侶日道と交際し、日道が奥女中と密接な関係を作る手助けをした。
享和年間この寺に来山した日道は美貌の持ち主で幕府の奥女中らと関係を持ったことから寺社奉行脇坂安董に摘発され、享和3年(1803年)死罪に処せられた。
日道は「日月享和政談」(河竹黙阿弥)での延命院「日当」のモデルとなった。
「ころ」と日道の関係も、のちに発覚して捕えられ、「ころ」は大奥を追われた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)
出典: 「延命院 (荒川区)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、“大奥”という所は 男心をくすぐるというかァ~、男の妄想をたくましゅうさらすのですやん。。。
めれちゃんは、何も知らないような表情を浮かべながら 男の心の奥底まで グサッと突っ込んでくるのやなァ~。。。 もしかして細木数子の弟子やったんとちゃうかァ~。。。?
そないな事よりも 元歌舞伎役者がどないなわけで延命院の僧侶になりはったん?
“坊主と乞食は三日やったらやめられない”と昔の人は言うったやないかいなァ~。。。
つまり、喰えない歌舞伎役者やったさかいに、坊主になることに夢を抱いていた、とあんさんは言わはるのォ~?
この元歌舞伎役者の僧侶・日道は、決して喰えないほどの大根役者やなかった。。。 なにしろ、初代尾上菊五郎の忘れ形見だと言われるほどの美男子やったらしい。
つまり、役者稼業よりも坊さんになることを選んだわけやねぇ~。。。
そういうことやなァ~。。。 もともと役者が肌に合わんかったのやろなァ~。。。
それが、どないなわけで、奥女中と関係するようになりはったん?
あのなァ~、江戸時代には、異性と交わるのが許されていない職業がふたつあったのやァ~。。。 ひとつは江戸城や大名屋敷の奥勤めの女中。 もうひとつは坊さんやァ。。。 奥女中は江戸城だけでおよそ3000人。 江戸に屋敷を置く約270藩の大小名の奥女中の人数は 平均30人としても、およそ8000人。 合計すれば1万人を越えているねん。。。 この女性たちは異性と交わることを禁じられておったのやがなァ~。。。
可哀想やねぇ~。。。
めれちゃんには、とても奥女中はつとまらんやろなァ~。。。 うしししししし。。。
なして、あんさんは そないな事を言わはるのォ~。。。?
そやかて めれちゃんは つぎのような熱い思いを短歌に詠んでいたのやでぇ~。。。
くちづけ
(kiss003.gif)
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
(merange52.jpg)
by めれんげ
2009.01.14 Wednesday 14:21
『即興の詩 冬枯れ』より
(旧『即興の詩』サイトは閉鎖されました)
『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)
何も知らへんネット市民が上の短歌を読んだら奥女中の女が詠んだものと思うてしまうでぇ~。。。
つまり、あんさんは わたしが奥女中の女のように日頃から熱い恋の血潮に悩まされている、と思うていやはるのォ~?
そやかて、めれちゃんは“平成の与謝野晶子”なんやでぇ~。。。
それは、あんさんが勝手に言うてるだけですやん。。。
いや。。。 今やネットでは めれちゃんが“平成の与謝野晶子”である事が知れ渡っているねんでぇ~。。。
ホンマかいなァ~。。。?
信じられへんのやったら次の検索結果を見てみィ~なァ~。。。
(gog60826a.png)
■『現時点での検索結果』
「平成の与謝野晶子」と入れてGOOGLEで検索したのやがなァ~。。。 赤枠で囲んだタイトルをクリックすると めれちゃんがちゃんと記事の中に出て来よるのやでぇ~。。。
(yosa22.jpg)
■『平成の与謝野晶子』
緑の枠で囲んだ写真をクリックすると次にページが出てくるのやがなァ~。。。
(gog60826b.png)
■『実際のページ』
上のページの赤丸で囲んだ Visit page をクリックすると、やっぱり わての『徒然ブログ』の『平成の与謝野晶子』が出てきよるねん。。。
(yosa10.jpg)
■『平成の与謝野晶子』
さらに 青枠で囲んだタイトルをクリックすると次のページが出てきよるのやでぇ~。。。
(twi60826a.png)
■『実際のページ』
要するに、あんさんが勝手に わたしを“平成の与謝野晶子”としてネットで広めてるのですやん。。。
あきまへんかァ~。。。?
アッカ~♪~ン!。。。 そんな事よりも、奥女中の話は、どうなりましたん?
そやから、奥女中のほとんどは、めれちゃんのように熱い恋の血潮に、夜毎に ムンムン、ムレムレしてるねん。。。 うしししししし。。。
そのような下卑た笑いを浮かべんで欲しいねん。。。 あんさんかてぇ、女性と交わることのできない坊さんなどには、絶対になりませんやろう?
いや。。。、わては“仏のデンマン”と言われているさかいに、別に坊さんになっても ええねんでぇ~。。。
あんさんには無理やわァ~。。。
とにかく、異性と交わることを禁じられた女性たちが江戸には1万人近く居たのやがなァ~。。。 いっぽう、僧侶の数は文化12(1815)年の江戸の人口調査では2万6090人という記録が残っているねん。。。 宗旨で妻帯を認めている浄土真宗を例外として、約2万人の坊さんは、女性と交わることが戒律によって禁止されていたのやァ。
つまり、1万人を越える奥女中がいる。。。 そして片方には女性と交わるのを禁じられている、2万人を越える坊さんがいるということやねぇ~。。。
そういうこっちゃがなァ~。。。
。。。で、奥女中と、その坊さんが出会う機会があったわけやねぇ~。。。
そうやァ~。。。、幕府は奥女中と坊さんにセックスを禁じておきながら、奥女中の寺参りを公認していたのやがなァ~。。。。 奥女中が「奥」と呼ばれる御殿から外の世界に出られるのは、親兄弟の病気見舞いや葬式と、信心のための寺参りだけやった。。。
(ooku002.jpg)
それで大奥女中の淫らな信仰が広まるわけやねぇ~。。。
そうやァ~。。。 親兄弟の病気や葬式は、そう何度もあるわけじゃない。。。 となれば、先祖の墓参りだの、信心のためだのという名目をつけて、寺参りにゆくわけやなァ~。。。 性に飢えている奥女中が、これも飢えている坊さんの許に出かける。 一度ならず、再々出かければ、歌の文句じゃないけれど、「こうして、ああすりゃ、こうなるよ……」というわけになるねん。。。 うへへへへへ。。。
下卑た笑いなど浮かべんで、その先を話しなはれぇ。。。
奥女中と、坊さんが隠れて ふんずほぐれず シコシコと濡れていたのやがなァ~。。。 そやけど、悪い事は長くは続かん。。。
(genji903.jpg)
享和3(1803)年、「延命院で何か可笑しい事が行われている」という噂が流れるようになったのやがなァ~。。。 延命院に多数の奥女中が出入りしていて、御乱交らしいという評判がついに寺社奉行の耳に達してしまったのやァ~。。。 さあたいへん。。。
。。。で、どうなりはったん?
寺社奉行の耳にはいれば、無視するわけにもゆかん。。。 寺社奉行の脇坂淡路守安董(やすただ)は真面目な人やったァ。。。 判決文によると、日道は延命院の住職だったにもかかわらず 60人ほどの女性と肉体関係を結んでいたと言うねん。。。
同時並行やったん。。。?
そういうこっちゃァ。。。 そやけど、日道を目当てに延命院に来る女性は60人ではきかなかったのやがなァ~。。。 自分だけでは世話しきれへん。。。 それで寺僧や知り合いの歌舞伎役者にまで相手をさせていたと言うねん。
そらそうやねぇ~。。。 60人の女性をお相手すると、毎日、2人の女性を相手にすることになりますやん。。。 あんさんでなくても、日道さんにとっては、しんどかったと思いますわァ~。。。
そうやろなァ~。。。 わてかて よう続かんと思うわァ~。。。 (微笑)
。。。で、裁判の結果どうなりはったん?
1803年6月24日に延命院に捜査の手が入り、日道さんの身柄は拘束され、取り調べをうけて、起訴され、有罪となり、日本橋の橋詰で晒されたのがなァ~。。。、そのあとで首をちょん切られた。。。 2ヶ月半ほどのスピード審理やったらしい。。。 次のような狂歌が出回ったそうやァ~。。。
(jbeauty7.gif)
延命院
ならば命は
延びように
短命院で
首はころころ
(dokuro3.gif)
(laugh16.gif)
(すぐ下のページへ続く)