腰曲がりのを(PART 1)
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デンマンさん。。。 今日はデンマンさんに質問があるのですけれど。。。
つまり、太田将宏老人の腰がどうして曲がっているのか? ジューンさんは、そのことが気になるのですかァ~?
タイトルを見て、デンマンさんが太田将宏老人のイラストを貼り付けたのですわァ~。。。 わたしの質問は太田老人とは関係ありません。。。
じゃあ、いったい誰の腰が曲がったことが気になるのですか?
特定の人の腰に関心があるのではないのですわァ~。。。
要するに、ジューンさんが年取ってから腰が曲がるのが心配なのですか?
わたしの腰や、デンマンさんの腰とは関係ないのです。。。 先日、デンマンさんが書いた記事を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですわァ~。。。
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荒海や
佐渡によこたふ
天河
冒頭に芭蕉の句を引用させてもらったのは、ほかでもない。
江戸の時代にも天の川は庶民に馴染みのものだったことに気づかされるからだ。(略)
私の住んでいる仙台市では毎年8月6日から8日の3日間、七夕祭りが盛大に執り行われるので、一層馴染み深い。
七夕伝説(織女と牽牛の物語)の期限は中国の漢王朝の時代にまで遡るが(紀元前200年ごろ)、日本には奈良時代に伝わったと言われている。(略)
ところがひとつ不思議なことがある。
それは、清少納言が『枕草子』で天の川に触れていないことだ。
星はすばる(昴)、彦星、夕筒。
よばい星、少しをかし。
という記述があるだけなのだ。
ここで、すばるは秋の夜空に見えるプレアデス星団、彦星はわし座の1等星アルタイル、夕筒は宵の明星で金星のこと。
そして、よばい星は流星。
ここに、天の川は出てこない。
『枕草子』は平安時代中期(西暦1000年ごろ)に著されたものだ。
今の時代と違い、空気は澄んでいて、天の川はくっきり眺めることができたはずである。
もしかすると、星とは違い、天体という認識がなかったので、出てこなかったのだろうか、または人気がなかったのだろうか。
(注: 赤字はジューンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
4-5ページ 『天の川が消える日』
著者: 谷口義明
2018年6月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 日本評論社
■『平安のスバル』に掲載。
(2019年4月13日)
『平安のスバル』を読んだのですねぇ~。。。
そうですわァ~。。。 上の箇所に「星はすばる(昴)、彦星、夕筒。 よばい星、少しをかし」という『枕草子』からの引用があります。。。 この少しをかしという語句に、どういうわけで“お”ではなく、“を”が使われているのですかァ~?
なるほどォ~。。。 そういう質問ですかァ~。。。 あのねぇ~、日本語の50音には基本的な母音の行 「あいうえお」 もあるけれど、ワ行、つまり 「わゐゑを」 もあるのですよ。
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あらっ。。。 初めて見るひらがなもありますわァ~。。。
ジューンさんも、こういう昔の「ひらがな」までは知りませんでしたかァ~。。。
わたしが知っているのは、次のような50音表ですわァ~。。。
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昔の50音表とは かなり違いますわァ~。。。
言葉は生き物ですからねぇ~。。。 時代と共に少しづつ変わってきたのですよ。。。
それにしても、旧ひらがなの“お”は、まるで「れ」のように見えますわァ~。。。
だから、現在では、その違いがはっきりと判るように「お」と書くようになったわけですよ。。。
なるほどォ~。。。 で、『枕草子』の中の少しをかしという語句には、どういうわけで“お”ではなく、“を”が使われているのですかァ~?
あのねぇ~、枕草子を書いた清少納言がもし「おかし」と書いたならば、まるで違う意味になってしまうのですよ! それこそ可笑(おか)しなことになってしまうのです! (爆笑)
つまり、「可笑(おか)しい」という意味ではないのですわねぇ~。。。
違います。。。 次のような意味なのですよ。。。
をかし
「をかし」とは、日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。
語源は愚かな物を表す「をこ(痴、烏許、尾籠)」が変化した物という説が有力である。
平安時代
平安時代の王朝文学において、「もののあはれ」と共に重要な文学的・美的理念の一つ。
「もののあはれ」が「しみじみとした情緒美」を表すのに対し、「をかし」は「明朗で知性的な感覚美」と位置づけられる。
「をかし」は、景物を感覚的に捉え、主知的・客観的に表現する傾向を持ち、それゆえに鑑賞・批評の言葉として用いられる。
この美的理念に基づき記されたのが『枕草子』である。
そのため『源氏物語』を「もののあはれ」の文学と呼び、一方『枕草子』を「をかし」の文学と呼ぶ。
しかしこの理念は『枕草子』以外の平安文学ではあまり用いられず、それゆえ「をかし」の文学理念は、『枕草子』固有になっている。
室町時代
室町時代以降、「をかし」は滑稽味を帯びているという意味に変化した。
世阿弥の能楽論では狂言の滑稽な様を「をかし」と呼び、これが江戸時代に滑稽本などに受け継がれて、現在の滑稽味のあるという意味の「おかしい」に至ったと思われる。
この他、和歌などの評価に「をかし」を用いる場合が見られる。
出典: 「をかし」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、「星はすばる(昴)、彦星、夕筒。 よばい星、少しをかし」という文章の意味は、「星はすばる、彦星、宵の明星が良い。流れ星も少し趣(おもむき)がある」という意味なのですよ。。。
趣があるという意味なのですわねぇ~。。。
そうです。。。 平安時代に「おかし」と書いたら、「御菓子」になってしまう。。。 現代仮名遣いでは、「を」を用いるのは格助詞の「を」、およびそれを含む複合語の「をば」「をや」「をも」「てにをは」などの少数の語に限られているのです。。。 だから、現在では、歴史的仮名遣いの「を」を助詞以外は全て「お」と書いてるわけです。。。
現代仮名遣い以前には「を」を含んだ形容詞や名詞がたくさんあったのですか?
そうなのですよ。。。 そういうのを「和語」と言って、例えば、次のような形容詞や名詞は、もともと「お」ではなく、「を」と書いていたのです。。。
青(あを)、青い(あをい)、功(いさを)、
魚(いを)、魚(うを)、鰹(かつを)、
香・薫(かをり)、香る・薫る・馨る(かをる)、
竿・棹(さを)、栞(しをり)、萎れる(しをれる)、
撓(たを)、嫋やか(たをやか)、
手弱女(たをやめ)、撓(たをり)、
手折る(たをる)、十(とを)、
益荒男・丈夫・大夫(ますらを)、
操(みさを)、澪(みを)、夫婦(めをと)、
岡・丘(をか)、陸(をか)、傍・岡(をか)、
犯す・侵す・冒す(をかす)、
拝む(をが、ねらむ、む)、傍目・岡目(をかめ)、
荻(をぎ)、桶(をけ)、朮(をけら)、
痴・烏滸・尾籠(をこ)、
烏滸がましい(をこがましい)、
鰧・虎魚(をこぜ)、長(をさ)、筬(をさ)、
訳語(をさ)、おさおさ(をさをさ)、
幼い(をさない)、収める・納める・
治める・修める(をさめる)、惜しい(をしい)、
鴛鴦(をしどり)、教える(をしへる)、
雄・牡(をす)、食す(をす)、
教わる(をそはる)、復・変若(をち)、
遠・彼方(をち)、叔父・伯父(をぢ)、
叔父さん・伯父さん(をぢさん)、
夫(をっと)、男(をとこ)、縅(をどし)、
一昨年(をととし)、一昨日(をととひ)、
少女・乙女(をとめ)、囮(をとり)、
踊る(をどる)、斧(をの)、戦く(をののく)、
叔母・伯母(をば)、叔母さん・
伯母さん(をばさん)、小母さん(をばさん)、
終わる(をはる)、甥(をひ)、終える(をへる)、
女郎花(をみなへし)、檻(をり)、
居る(をる)、折る(をる)、大蛇(をろち)、
女(をんな)、男(をぐな)
出典: 「を」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。 昔は、ずいぶんと「を」を多用していたのですわねぇ~。。。
日本語も英語も生き物ですからね。。。 時代と共に変わってゆくのですよ。。。 英語だって昔の英語とは変わっているでしょう?
そうですわねぇ~。。。 確かに、昔は Thou という英語の二人称単数代名詞があったのですわ。。。 でも、今では廃れて、ほとんどの場合 you を使うようになりましたわァ。。。
Thou
Thouは、英語の二人称単数代名詞である。
現在はほぼ廃れており、ほぼ全ての文脈においてyouに置き換わっている。
現在でもイングランド北部の一部やスコットランド語(/ðu/)によって使われている。
Thouは主格であり、斜格/目的格はthee(対格と与格のどちらでも機能する)、所有格はthy(子音の前)あるいはthine(母音の前)である。
Thouが直説法において定形動詞の主語である時、動詞の形態は典型的には -st、たいていは -(e)stで終わるが(例: thou goest; thou dost)、単に -tで終わる場合もある(例: thou art; thou shalt)。
しかし古英語の一部の方言(主に北部)では、この動詞の形態は -sで終わっていたため、クエーカーは三人称単数形と思しき動詞を主語の「thee」と共に使っているように見える。
中英語では、thouは文字Þ(ソーン)の上に小さな "u" を添えた文字þͧとして略記されることがあった。
古語的であることを踏まえ、日本語には「汝、そなた(+助詞)」と訳されることが多い。
元々、thouは単純に、古代インド・ヨーロッパ語由来の複数代名詞yeの単数形であった。
1066年のノルマン人による侵略の後、thouはなれなれしさ、親しさ、あるいは無礼さをも表現するために使われた。
一方、もう一つの代名詞you(yeの斜格/目的格)は改まった状況のために使われた(尊厳の複数)。
17世紀、thouは標準語では使われなくなり、しばしば無礼であると見なされたが、イングランドおよびスコットランドの方言や、キリスト友会のような宗教集団の言語において(時には変化した形で)残った。
聖書の初期の英語訳は主格単数二人称代名詞としてyouは使用せずにthouを使用しており、これによってthouの用法が維持される効果と、また宗教的厳粛さをこの単語に染み込ませる効果が得られた。
現在でも詩の中でこの代名詞は使用されている。
聖書の初期英語訳が二人称の単数形を使用している事実はまったく「無礼」を意味しておらず、また驚くべきことではない。
神への呼び掛けに親密な単数形を用いることは、フランス語(プロテスタントでは過去も現在も、カトリックでは第2バチカン公会議以降)、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、イディッシュ語、スコットランド・ゲール語で見られる。
これら全ては現代の会話における二人称の「砕けた」単数形の使用を維持している。
加えて、欽定訳聖書の翻訳者らはヘブライ語における単数二人称代名詞と複数二人称代名詞の違いを維持しようと試みた。
そのようなものとして、翻訳者らは「thou」を単数形、「you」を複数形のために使用した。
これは異なる代名詞の初めての用法であった。
標準近代英語において、thouは改まった宗教的文脈や廃れた言語を再現しようとしている文学作品、「fare thee well」(完全な状態)といった特定の定型句でのみ使われ続けている。
この理由のため、多くの人々はこの代名詞を厳粛さあるいは儀礼的なものと結び付けている。
多くの方言は、thouやyeが消失したことに起因する単数/複数の区別の欠如を、yinz、yous、y'allといった新たな複数代名詞あるいは代名詞的なものを創造することによって補っている。
Yeはアイルランドの一部地域では今でも一般的であるが、これらの例は地域によって様々であり、大抵は口語体の話し言葉に限定される。
出典: 「Thou」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なるほどォ~。。。 英語も時代とともに変わってきたのですねぇ~。。。
言葉も人間も時代と共に変わってゆくのですわねぇ~。。。 勉強になりましたわァ~。。。
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