大正デカダンス
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デンマンさん、どういうわけで 大正デカダンス を取り上げるのォ〜?
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いけませんか?
「大正デカダンス」というのは大正時代は退廃的なムードが支配していたということですかァ〜?
そうです。。。
でも、「大正デモクラシー」という言葉は耳にしたことがあるけれど、「大正デカダンス」という言葉は初めて聞きましたわ。。。
僕が勝手にデッチ上げた造語ですよ。。。僕の知る限り、こういうことが書いてある書物を見たことがありません。。。試しに次のように検索してみました。
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そのものズバリ、"大正デカダンス"と入れて検索したのですわねぇ〜。。。42,700件もヒットするではありませんかァ〜!
驚きましたよ。。。「大正デモクラシー」というタイトルにしようと思ったのだけれど、このタイトルでは、あまりにもありふれていると思って、書物では お目にかからない「大正デカダンス」という造語を作ったつもりだったのですよ。。。
でも、42,700件もネットに出回っているということは、大正時代には退廃的なムードが支配していたという事実を知っている人がかなり居るのですわねぇ〜。。。
確かに、上の検索結果を見ると、そういうことになりますよ。。。
デンマンさんは、そもそもどういうわけで「大正デカダンス」というタイトルを取り上げたのですか?
実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのですよ。。。
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この映画はロバート・グレーヴスと彼を取り巻く女性たちや友人たちの関係・交際を描いたものなんですよ。。。
ロバート・グレーヴス
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1929年当時の写真
(1895年7月24日 - 1985年12月7日)
ロバート・グレーヴス(Robert von Ranke Graves)は、イギリスの詩人、小説家、評論家。グレーヴズ、グレイヴズ表記もある。
父アルフレッドはダブリン生まれのアングロ=アイリッシュ系の詩人で、数学者であると同時にオガム文字の権威でもあった。
フォン・ランケは牧師をしていたドイツ系の母方の姓であり、叔父に歴史家のレオポルト・フォン・ランケがいる。
経歴
ロンドン南西の郊外ウィンブルドン生まれ。ロンドンのチャーターハウス・スクールに入学。このころからサークルに入って詩作を始めた。
1914年、チャーターハウス・スクール卒業。オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジへの入学が決まっていたが、イギリスがドイツに宣戦布告したその2日後に従軍志願してフランスに出征する。グレーヴスの自叙伝『さらば古きものよ』によれば、大学に入るのを先延ばししたかったのと、ドイツがベルギーの中立を犯したことに憤ったのが動機だという。
1915年、戦場でジーグフリード・サスーンと親交を結ぶ。
1916年7月20日、砲弾の破片を受けて重傷を負う。イギリスの留守宅には戦友から「名誉ある戦死」と報告されたが一命を取り留め、帰国して静養する。
1917年1月、自ら望んで戦場復帰する。しかしまた倒れて本国へ送還され、後方勤務となる。この年の夏から冬にかけて、ナンシー・ニコルソンとの恋愛が発展する。
1918年1月、ナンシー・ニコルソンと結婚する。このとき22歳。同年11月、第一次世界大戦が終わると、サスーンとともに反戦詩人として活動を始め、この2人にロバート・ニコルズを加えて「新しい三銃士」と呼ばれる。
1919年10月、オックスフォード大学に入学、1926年に卒業するまでの7年間に12冊の詩集、5冊の詩論を発表する。また、在学中にエドマンド・ブランデン、T・E・ロレンスと知り合う。
1926年、アーノルド・ベネットやロレンスの推薦を得てカイロ大学の英文学教授となり、カイロに赴任する。
1927年、カイロ大学を辞任して帰国する。このころには妻ナンシーとの関係が悪化していた。
1929年5月、ナンシー・ニコルソンと離婚。二度とイギリスに戻らない覚悟で地中海西部のマヨルカ島に移住する。この地でアメリカの女流詩人ローラ・ライディングと親交を結び、共同で出版業を経営したり、共著を発表する。
1936年、スペイン内戦の影響により、イギリス人のマヨルカ島退去を命じられ、3年間ヨーロッパとアメリカを放浪する。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イギリスに帰国して歩兵部隊に志願するが、軍当局からは後方勤務を命じられる。戦後、再びマヨルカ島に戻り、永住する。グレーヴスの詩が認められ始めたのは、このころからである。
1954年、王立人類学協会の特別会員に選ばれ、1955年まで2年間、ケンブリッジ大学で詩を講義する。
1961年2月、オックスフォード大学の詩学教授となる(1966年まで)。
出典: 「ロバート・グレーヴス」
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この映画の中に「大正デカダンス」が出てくるのですかァ?
いや、日本のことや日本人は全く登場しません。。。
それなのに、どういうわけで上の映画を取り上げたのですかァ?
あのねぇ〜、この映画が描いている時代が大正時代と同じ時期なのですよ。。。大正時代の後半です。。。1920年代の物語なのですよ。。。
でも、上のロバート・グレーヴスの経歴を読んでも、予告編を観ても特に退廃的な感じは受けませんけれど。。。
上の経歴にも、予告編にも、特に退廃的な事は書いてないし、描かれてない。。。でもねぇ〜、予告編を注意深く見ると退廃的なムードが感じられるのですよ。。。例えば、次のシーン。。。
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この上のシーンは予告編の中に出てきた場面ですよ。。。向かって左の男が若い頃のロバート・グレーヴス。。。真ん中の女がアメリカの女流詩人ローラ・ライディングです。。。彼女とキスしているのが、アイルランド人の詩人でボーイフレンドのジェフリー・フィブス(Geoffrey Phibbs)です。。。だいたい1つのベッドで2人の男がガールフレンドを共有するというのは普通の恋愛ではないのですよ。。。退廃の匂いが漂っている。。。
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この上のシーンは、ロバート・グレーヴスの妻のナンシー・ニコルソンとアメリカの女流詩人ローラ・ライディングがキスをしているシーンです。。。この時、この夫婦とローラはひとつ屋根の下で暮らしていたのです。。。この事は文学仲間の間でもゴシップになっていた。。。
つまり、アメリカの女流詩人ローラ・ライディングはバイセクシャルなのですかァ〜?
少なくとも上の映画ではそのように描かれている。。。
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これは娼婦館のサロンなんだけれど、ロバート・グレーヴスと、その当時のガールフレンドのローラ・ライディングがしばしば訪れている。。。また、詩人のジェフリー・フィブスも一緒に遊ぶことが多かった。。。サロンに風呂が設(しつら)えてあって、そこで風呂に入っている娼婦が見える。。。このシーンも、なんとなく退廃的なムードが漂っている。。。
。。。で、どういうわけで、ロンドンの1920年代の退廃ムードが日本の大正デカダンスと関係があるのですか?
あのねぇ〜、僕は、けっこうたくさんの映画を観ているのですよ。。。それも日本の映画よりもヨーロッパやアメリカ・カナダの映画をより多く観ている。。。
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これは僕がバンクーバー市立図書館でDVDを借りてみた映画のリスト。。。2022年6月8日現在のリストです。。。
6月8日までにバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 4444本もの映画を観たのですか?
すでに5000本近い英画を見ているのですよ。。。その中には、イギリス、フランス、ドイツの映画も含まれている。。。で、上のイギリスの映画の退廃的なシーンを観て、すぐに同じ時期に退廃的なムードが漂っていたドイツの映画が思い浮かんだのです。。。
ベルリンにおける
退廃主義の評判
第一次世界大戦で荒廃、困窮したベルリンやヨーロッパ各地では、売春が隆盛した。
自暴自棄に陥った女性、そして時には男性が生き延びる術として売春を選ぶことは、1920年代の一時期において一般的であった。
最初は身寄りの無い女性が手を出し、その後は男女を問わず若年層にも広まる事となる。
大戦中は梅毒や淋病といった性病が、政府が注意を払う程蔓延。
前線の兵士も売春を通じてこれらの病気に罹ったため、ドイツ軍は特定の売春宿に医師を派遣し検査、兵士にはこれらの施設向けに性的サービスのクーポン券を配布した。
何れにせよ売春は良識あるベルリン市民の不興を買う所となるも、地下経済や文化において確固たる地位を築くこととなった。
しかし、売春と並行して犯罪も多発。ベルリンはコカインやヘロイン、精神安定剤といった薬物取引や、闇市場の中心としての悪評を得るに至った。
また、警察は市内に62のギャング組織を突き止めている。
一方、一般人も殺人事件就中快楽殺人の報道に夢中であった。
メディアは当時のフィルム・ノワール(例えば映画『M』)に倣い、科学捜査や性心理分析の手法を用いた安価な犯罪小説を量産。
違法かつ不道徳な行為に対する新たな寛容はともかく、多くの観光客に衝撃を与える都市文化がもう1つあった。
アバンチュール目的の観光客向けに、本屋が「夜の社交場」を紹介するガイドブックを店頭に並べていたのである。
ホモやレズビアン向けの発展場を含め、関連施設が推計500にも上るとされ、
中には女装・男装趣味者の入場が許される施設が存在したという。
また、ヴァイマル期のベルリンにはマグヌス・ヒルシュフェルトの性科学研究所を筆頭に、性関連の博物館もあった。
これらは1933年のナチス政権成立の際、ほぼ全て閉鎖されている。
ベルリンの芸術家は、こうしたキャバレーとも合法の劇場ともつかないアングラ文化に魅了された。
就中ダンサー・女優のアニータ・ベルバーはコカイン中毒や奇行と並び、エロティックな演技で悪名轟く存在となる。
オットー・ディクスのモデルとなった他、クラウス・マンと同じサークルに身を置いた。
ヴァイマル文化における映画は、タブーとされるテーマにも積極的に挑戦。
ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト監督映画『淪落の女の日記』(1929年、ルイーズ・ブルックス主演)は、私生児を身籠ってしまったため実家を勘当され、その後生活のため売春婦に身を落とす若い娘を描いている。
物議を醸し得る題材をありのままに取り上げるこの種の映画は、大戦直後より見られる。
リヒャルト・オズヴァルトは1919年に2本の映画を監督、発表しているが、何れもメディアの標的とされた上、警察から事情聴取を受けたり、政府から検閲の対象とされてしまった。
『他の人々とは異なって(Anders als die Andern)』が自らの性と社会的な期待との間で思い悩む男性同性愛者を扱った一方、『売春』は白人奴隷にさせられた女性を題材としている。
出典: 「ヴァイマル文化」
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つまり、ドイツが退廃ムードの発祥の地だとデンマンさんは思ったのですか?
そう思ったのだけれど、でもねぇ〜、考えてみれば、第一次大戦が大きく影響していると思うのですよ。。。特にドイツは戦争に負けたので、ごく自然に退廃ムードが醸(かも)し出されたと思うのです。。。太平洋戦争の終戦直後の日本を思い浮かべてください。。。それで,第一次世界大戦で荒廃、困窮したベルリンやヨーロッパ各地では、売春が隆盛したわけですよ。。。当然イギリスにも波及することになった。。。
つまり、その影響を受けて日本でも、この時代に退廃ムードがドイツやイギリスから伝わってきたとデンマンさんは思うのですか?
そうです。。。当時のインテリや金持ちは、ニューヨークやサンフランシスコよりは、もっぱらパリやベルリンに行きましたからねぇ〜。。。退廃ムードの影響を受けないわけにはゆかないのですよ。。。
大正デカダンス
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中流層には「大正デモクラシー(民本主義)」が台頭し、一般民衆と女性の地位向上に目が向けられ、西洋文化の影響を受けた新しい文芸・絵画・音楽・演劇などの芸術が流布して、思想的にも自由と開放・躍動の気分が横溢し、都市を中心とする輸入物愛好、大衆文化や消費文化が花開いた。
しかし、時代の後半に入ると大戦後の恐慌や関東大震災もあり、経済の激しい浮き沈みや新時代への急激な変化に対応できないストレスも顕在化してくる。
都市化と工業化は膨大な労働者階級を生み出し、国外の社会変革を求める政治運動に呼応した社会主義運動が大きなうねりとなって支配層を脅かした。
スペイン風邪の流行や未だ克服されなかった肺結核による著名人の死も時代に暗い影を落とした。
知識人においては個人主義・理想主義が強く意識され、新時代への飛躍に心躍らせながらも、同時に社会不安に通底するアンビバレントな葛藤や心理的摩擦もあった。
昭和の時代にかけて、自由恋愛の流行による心中・自殺や、作家や芸術家の間に薬物や自傷による自殺が流行するのも、この頃からである。
大衆紙の流布とともにそれらの情報が増幅して伝えられ、時代の不安の上にある種の退廃的かつ虚無的な気分も醸し出された。
むしろこれらの事々のほうが「大正浪漫」に叙情性や負の彩りを添えて、人々をさらに蠱惑する側面もある。
この背景には、19世紀後半にヨーロッパで興った耽美主義やダダイスム、デカダンス等の影響も伺える。
芸術活動には 大正期新興美術運動が起こり、アール・ヌーボーやアール・デコ、表現主義など世紀末芸術から影響を受けたものも多い。
あるいは政治思想である共産主義、アナキズムなどの「危険思想」が取り締られ社会主義思想にも圧迫が加えられた。
いっぽう、多くの地方の村落はまだまだ近代化に取り残されており、大正に至っても、明治初期と変わらない封建的な生活が残っていた。
「大正ロマン」は、新しい時代の萌芽を示す意味合いから、モダニズム(近代化)から派生した「大正モダン」という言葉と同列に扱われることもある。
「大正モダン」と「大正ロマン」は同時代の表と裏を表象する対立の概念であろう。
在位の短かった天皇の崩御により、震災復興などによる経済の閉塞感とともにこの時代は終わり、世界的大恐慌で始まる昭和の時代に移るが、大正モダンの流れは断絶することなく昭和モダンの時代へと引き継がれる。
出典: 「大正ロマン」
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なるほどォ〜。。。やっぱりヨーロッパの影響を受けないわけにはゆかないのですわねぇ〜。。。
ネット時代の今ほどではないにしても、すでに国際化の動きは始まっていたのですよ。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、デンマンさんの言うようにデカダンスはヨーロッパから輸入されたと思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」
あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ〜。。。では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。
思わず笑ってしまいますわ。。。
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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」
あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわァ~。。。
では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。
次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。
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■『熟女ヌード@デンマン』
■『ロッキード事件の真相』
■『政府と役人と嘘』
■『ジュンガル』
■『地球温暖化は避けられない』
■『国際平和連合』
■『鬼島』
■『悪徳サイト』
■『あげつらう』
■『過ちを犯す』
■『三島由紀夫の謎』
■『ヒラリートランプ現象』
■『ノーパン@CIA』
■『未開人と文明人』
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■『オセロの失敗』
■『サン・ラザールの裏路』
■『「夜と霧」を観た?』
■『虫酸が走る』
■『大空に乾杯』
■『ターバンを巻いた少女』
■『美しい日本語を探して』
■『アダムとイブのバナナ』
■『宮沢りえ@サンタフェ』
■『ネットの主要言語』
■『中国人がアメリカを発見した』
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■『2000年前の光通信』
■『習近平皇帝』
■『プーチンの復讐』
■『ペンタゴン・ペーパー』
■『南米の富士山』
■『ダンケルク』
■『無実の罪』
■『殺人光線』
■『ロッキード事件すごい』
■『注目の悲劇』
■『核戦争』
■『1910年の飛行レース』
■『エンペラー習近平』
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■『暗殺@GOO』
■『テロとの戦い』
■『マリアのミイラ』
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■『古代文明人』
■『海の文明人』
■『CIAの暗躍』
■『特異点の世界』
■『JFK 証拠隠滅』
■『トランプ@スキャンダル』
■『フェーリア・モール』
■『使い捨てファッション』
■『万物の理論』
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■『つぶやき効果』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。 バーィ。
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ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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