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インドのキリスト

2023-11-06 03:04:31 | 歴史四方山話
 

インドのキリスト

 


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ケイトー。。。 インドのキリスト というのはインドにいるキリスト教徒のことなのォ~?


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いや。。。そうじゃありません。。。イエス・キリストが13歳から29歳までの間ペルシャ、インド、チペットを旅していたという話なのですよ。。。

そういうことは聞いたことがないわねぇ~。。。いったいどこで、ケイト―はそういう話を聞き込んできたのォ~?

実は、次のビデオに出くわしたのです。。。

 


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このビデオは、ニコラス・ノトヴィッチが執筆して1894年に出版した本(『聖イッサの生涯』)に基づいて、彼の話を肯定する目的で作られたビデオなのですよ。。。このイッサ(Issa)というのがイエス・キリストです。。。



つまり、この人の本の中に書いてあることを信じない人がたくさんいるのねぇ~?

そうなのですよ。。。「大ウソつき」と罵(ののし)られているほどです。。。

 


Nicolas Notovitch

ニコラス・ノトヴィッチ


August 13, 1858 - after 1916

 


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シュリムまたはニコライ・アレクサンドロヴィチ・ノトヴィッチ
西側世界ではニコラス・ノトビッチとして知られている。
ユダヤ人の冒険家。 本人はロシアの貴族であり、スパイでもあり、ジャーナリストでもあると言っていた。

ニコラス・ノトヴィッチは、イエスの無名時代にガリアを離れてインドに向かい、仏教徒やヒンンズー信者と学び、その後ユダヤに反抗する主張1894年の演説で知られる。
現代の学者の間で一致した見解は、イエスのインド旅行に関するノトビッチの記述はでっち上げだということである。

ノトビッチはまた、戦争におけるロシアの役割に関する政治的な本を何冊か執筆した。

 

聖イッサの生涯

ノトビッチの1894年の著書『La vie inconnue de Jesus Christ (聖イッサの生涯)』では、イエスは無名時代にガリラヤを離れてインドに向かい、そこで仏教やヒンズー教を教徒と共に学び、その後ユダヤに戻ったと主張している。

 


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本の概要

インドで足を骨折し、ラダックのヘミス修道院で回復中に、ノトヴィッチはチベットの著書『聖イッサの生涯、人の子らの最高』を知った。
ノトヴィッチの記述は、「生涯」の文章とともに、1894年にフランス語で「イエス・キリストの生涯」として出版された。
英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語に翻訳された。

 

捏造と自白妄想

 


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ノトヴィッチの本は出版されるやいなや物議を醸した
ミュラーは次のように書いている:「ノトヴィッチ氏が紳士で嘘つきではないことを当然のこととして考えると、ラダックやチベットの仏教僧侶たちは神秘的な好奇心「旺盛な旅行者を楽しむ浮浪者に違いないと考えざるを得ません。ノトビッチ氏は彼らのジョークの餌食になりすぎました。」

 


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ラマ僧長は、自分がラマ僧長を務めていた過去15年間、この僧院を訪れる西洋人は一人もおらず、ノトビッチの物語に関連する文書も存在しない。
他のヨーロッパの学者のもノトビッチの説明に反対し、インド学者のレオポルド・フォン・シュレーダーはノトビッチの話を「大嘘」と呼んだ

その後、アグラのガバメント・カレッジで英語と歴史の教授を務めていたJ・アーチボルド・ダグラス氏がヘミス僧院を訪れ、ラマ僧長にインタビューしたところ、ラマ僧院長は、ノトビッチは一度もそこに行ったことはなく、そのような文書は存在しないと再び述べた

 


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ヴィルヘルム・シュネーメルヒャーは、ノトヴィッチの記述はすぐに捏造であることが暴露され、現在までノトヴィッチが見たと主張する原稿をひと目見た者さえいないと述べている。
ノトビッチは当初、自分自身を弁護するという主張に応じた。
しかし、彼の話が歴史家によって再調査されると、ノトヴィッチは証拠を捏造したことを自白したと言われている。

聖書学者のバート・D・アーマン氏は、「今日、この問題について疑問を抱いてない著名な学者は地球上に一人もいない。この話全体は、かなりの金と相当な額を稼いだノトビッチによってでっち上げられた」と述べている。
彼のデマは悪名が高い。

しかし、ノトビッチが自分に対する告発を受け入れたことを否定する者もいる。
カシミールの作家フィダ・ハスナインは次のように述べている。


ノトヴィッチは、カシミールとラダックへの旅行中に出会った人々の名前とともに、自分の存在を公表することで公に反応した。

...彼はまた、自分の編纂に含まれる聖句の信頼性を検証するために、著名な東洋学者たちとともにチベットに戻ることを申し出た。

フランスの雑誌『ラ・ペ』で、彼は正教会への信念を肯定し、ヘミスにある仏教巻物の存在という単純な問題に限定するよう中傷者に助言した。

 


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サー・フランシス・ヤングハズバンドは彼の話には感銘を受けなかったが、ノトヴィッチがヘミス修道院を出てから間もなく、スカルドゥ近くでニコラス・ノトヴィッチに会ったことを覚えている。

 

インドにおける裏付けの主張

ノトヴィッチはヨーロッパでは信用されていなかったが、インドとアメリカの一部の人々は彼の話に信憑性があると考えていた。

マックス・ミュラーの同僚であり、当初はノトビッチの主張に懐疑的だったスワミ・アベダナンダは、1922年にカシミールとチベットを旅行中にヘミス修道院を訪れ、前年に報道で聞いたノトビッチの報告を検証したと主張した。

スワミ・アベダナンダは、修道院のラマ僧が、ノトヴィッチが足を骨折してこの修道院に運ばれ、そこで1か月半看護されたことを確認したと主張した。

 


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彼はまた、イッサに関するチベット語の写本をノトビッチに見せ、その内容を解釈してロシア語に翻訳できるようにしたとも語った。
この原稿はアベダナンダに見せられ、14 章からなり、223 の対句 ( slokas ) が含まれていた。
スワミはラマ僧の助けを借りて原稿の一部を翻訳させ、そのうち約 40 節がスワミの旅行記に掲載された。
キリストの復活後に書かれたとされるパーリ語の原本は、ラサ近郊のマルブール修道院にあると言われている。

ベンガルに戻った後、スワミは助手のバイラブ・チャイタンヤに、自分がとったメモに基づいて旅行記の原稿を作成するよう依頼した。
この原稿は1927 年に『ラーマクリシュナ ヴェダンタ サミティ』の月刊誌であるヴィシュヴァヴァニに連載され、その後ベンガル語で書籍として出版された。
この本の英語版の第 5 版は 1987 年に出版され、付録としてノトビッチの『聖イッサの生涯』の英語訳も含まれている。

パラマハンサ・ヨガナンダは、ニコラス・レーリヒも1920年代半ばにチベットを訪問した際にノトヴィッチとアベダナンダの話を裏付けたと書いている。

 


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彼はまた、バーラティ・クリシュナ・ティルタによると、「イエスのインド滞在の記録はプリに保存されており、プリを去った後、イエスはパレスチナに戻るまで「ネパールとチベットのサキャ仏教宗派で6年間」過ごしたと書いている。
彼は「歴史上のイエスを探求する上で、これらの記録の全体的な価値は計り知れない」と付け加えた。

 

他の著者の参考文献

著者のアリス・ダンバー・ネルソンは、 1895 年のコレクション『Violets and Other Tales』にイエス・キリストの知られざる生涯のレビューを収録している。

1899年、ミルザ・グラム・アフマドは『インドのイエス』 (1908年出版)を書き、イエスは磔刑を生き延びた後にインドに旅行したと主張したが、それ以前にイエスがインドに行っていたというノトヴィッチの見解には特に同意しなかった。

他の作家もこれらのテーマを取り上げ、自分の作品に取り入れている。

たとえば、エリザベス・クレア・預言者は、著書『イエスの失われた年月: イエスの17年間の東への旅の証拠』の中で、イエスがインド、ネパール、ラダック、チベットを旅した証拠は仏教写本にあると主張している。

ドイツの作家ホルガー・ケルステンは、著書『イエスはインドに住んだ』の中で、ニコラ・ノトビッチとミルザ・グラム・アフマドの考えを支持した

ジェラルド・オコリンズはケルステンの作品を同じ物語の再パッケージ化として分類した。

2002 年のコメディ小説「子羊: キリストの幼少期の友人ビフによる福音書」の中で、不条理作家のクリストファー・ムーアは、イエスが 15 歳から 30 歳の間、僧院で仏教を学ぶためにチベットに旅行したという概念をパロディにしている。
最初の仏教の修行を経た後、アフガニスタンへ旅行し、その後ヒンドゥー教を学ぶためにインドへおもむいた。

(デンマン訳)




出典: 「Nicolas Notovitch」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



。。。で、ケイト―は、ニコラス・ノトヴィッチが書いた本の内容を信じるのォ~?



信じます。。。なぜなら、新約聖書にはイエスが13歳から29歳までのことが何も書かれてない。。。

 


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12歳の時のことがルカ書の第2章の46節と52節に出てくる。

 


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これによると12歳にしてはとても聡明な子供で神官や大人たちとも言葉を交わして、知恵でも人格の面でも優れており、神と人間の関係にも理解を示している、と書かれている。。。

 


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これを最後に30歳になる頃 人々に神の教えを説くまで一切記録がない。。。人格形成に最も重要な青年期、12歳から30歳までの18年間が空白になっている! 不思議だとは思いませんか?



そうよねぇ~。。。言われてみれば、可笑しいわよねぇ~。。。どうして、この重要なイエスの青年期の経験が書かれてないのかしら?

なぜなら、それを書くと、キリスト教が仏教から派生したように思われてしまうからなんですよ。。。

まさかァ~。。。?

 


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新約聖書を読めば、おそらく誰もが、18年間のことが書かれてないことを不思議に思いますよ。。。そもそもイエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の世界で子供時代を過ごしてきた。。。でも、イエスはユダヤ教に馴染めないモノを感じたに違いない。。。それで12歳にして神官や大人たちと言葉を交わして、疑問を投げかけたのですよ。。。そのことがルカ書に書かれている。



つまり、ユダヤ教に疑問を持っていたので、それを知るために、神官や大人たちに色々な疑問を投げかけた、とケイト―は言うのォ~?

そういう事ですよ。。。でも、イエスに納得いくような答えを返した神官や大人がいない。。。それでその答えを得るために旅に出たのですよ。。。

でも、13歳の少年がペルシャ、インド、チベットに旅することができるかしら?

あのねぇ~、別に一人で旅するわけじゃない。。。

 


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当時でも有名だったシルクロードに沿って交易するキャラバンと一緒に旅したのですよ。。。



なるほどォ~。。。 でも、新約聖書にイエスの青年時代の18年間が空白なのは どういうわけ?

あのねぇ~、この18年間、イエスはペルシャ、インド、チベットにいたから、彼の行動を知っている人たちが新約聖書を書いた人の中にはいなかったのですよ。。。

だけど、イエスと行動を共にしたキャラバンの人からイエスの活動や行動を人づてに聴いていると思うのよ。。。

だけど、書けなかったのです。。。

どうして。。。?

イエスは、仏教ばかりでなく、ヒンズー教や拝火教の教えまで学んだのですよ。。。イエスが幼いころに知ったユダヤ教には、はっきりと男尊女卑的な要素がある。。。シナゴーグの祈りの場でも男と女は別々で祈ります。。。人間は平等であるという仏教の教えを学んだイエスは、そのことをキリスト教の教えに取り入れている。。。つまり、ユダヤ教にはない教えをイエスは仏教や、ヒンズー教や拝火教から取り入れているのですよ。。。

そういうことをキリスト教徒が知ったら、問題よねぇ~。。。

もちろんです。。。神はヤハウェだけだという一神教のキリスト教では、それ以外の宗教、例えば、仏教やヒンズー教や拝火教は異教ですよ。。。つまり、いかがわしい宗教なのですよ。。。

 


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18年間、イエスはペルシャ、インド、チベットにいて、仏教やヒンズー教、拝火教からためになる、ユダヤ教にはない教えを学んだ、というようなことは聖書には書けないのです。。。

 


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それで、新約聖書にはイエスの青年時代の18年間が空白になっているのォ~?



そうですよ。。。それ以外に考えられないでしょう!




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【ジューンの独り言】


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あなたは、どう思いますか?

イエスは、実際に18年間、ペルシャ、インド、チベットを旅したと思いますか?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白い事を話せ!」

貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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