二人の母親
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デンマンさんには二人の母親がいるのですか?
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普通、母親というのは一人きりでしょう?
でも、「生みの親」と「育ての親」と世間では言うではありませんかァ~。。。だから、デンマンさんに二人の母親がいても不思議ではありませんわァ~。。。それで、二人の母親 というタイトルにしたわけでしょう?
いや、そうではないのですよ。。。僕には 二人の母親がいるわけではありません。。。
じゃあ、どなたに二人の母親がいるのですか?
実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのですよ。。。
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朝が来る
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『朝が来る』は、辻村深月による日本の長編ミステリ小説である。
『別册文藝春秋』2014年1月号から2015年3月号に連載、文藝春秋より2015年6月15日に刊行された。
長い不妊治療を経て子供に恵まれず特別養子縁組という手段を選択した夫妻と、中学生で妊娠しやむを得ず子供を手放した幼い母の、それぞれの葛藤と人生を描いた社会派ミステリー。
2016年に東海テレビの制作により、フジテレビ系でテレビドラマ化された。
2020年10月23日に映画版が公開された。
あらすじ
片倉ひかりは中学生の時に、当時付き合っていた巧と性行為をしたのち、望まない妊娠をしてしまう。
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その後、ひかりの父母が紹介してくれた『ベビーバトン』と呼ばれる特別養子縁組団体によってひかりの授かった子供はとある夫婦に引き取られる。
とある夫婦の夫清和は無精子症という病気であり、改善の見られない治療の末、特別養子縁組を組むことになり、ひかりの産んだ子供を引き取ることになる。
そんなある日、片倉ひかりと名乗る人から「子供を返してください」と言われる。
出典: 「朝が来る」
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つまり、中学生で赤ちゃんを出産した幼い母親と、その赤ちゃんを引き取って育てた「育ての母」が出てくる映画なのですか?
そうです。。。
でも、子供が小学校に上がる年頃になって、「産みの母親」が子供を返して欲しいと言うのは、あまりにも自分勝手ではありませんかァ~?
でもねぇ~、映画を観ると、この幼い母親が成人して、子供を返して欲しいという気持ちも理解できますよ。。。自分で育てたいけれど、中学生ですよ。。。まだこれから高校、大学と勉強しなければならない。。。だから、両親の言うことに逆らわずに子供を手放さざるを得なかった。。。
でも、中学生なのに どうしてセックスしてしまったのですか?
無知だからですよ。。。ついつい男に誘われるままに身を預けてしまったのです。。。まだ初潮も迎えてなかったというのです。。。
初潮を迎えてなくて、どういうわけで受精して胎児を身ごもってしまうのですか?
医者によると、まだ初潮を見なくても排卵することが極めて稀にあると言うのです。。。
それで、どうなるのですか?
結末を話したらこれから映画を観る人にとって、面白くないから、どうなるかは、小百合さんも映画を観てください。。。
それで、デンマンさんは、どういうわけで、この映画を取り上げる気になったのですかァ~?
二人の母親の気持ちも複雑だろうけれど、子供の気持ちですよ。。。普通、「育ての母」は子供が成人するまで「産みの母」のことを隠しているのだけれど、この映画の「育ての母」は子供が2歳の時に、「産みの母」が’他にいることを話して聞かせたのですよ。。。
私だったら、話せないですわ。。。いいえ、話したくありませんわァ~。。。
なぜですかァ?
子供はきっと、傷つくと思うのです。。。「どうして僕を産んだ母親は、僕を手放したの? どうして捨てたの?」。。。子供はきっと、捨てられたと思い、産んだ母親を恨むと思うのですわァ。。。
確かに、そう思うかもねぇ~。。。
だから、普通、「育ての母」は子供が「産みの母」の事情が理解できるようになるまで。。。、つまり成人するまで、隠しているものですわァ~。。。
なるほどォ~。。。確かに、中学生の「産みの母」がなぜ子供を手放さなければならなかったのか? なぜ、中学生で子供を出産したのか? それを2歳の子供に説明するのは無理があるよねぇ~。。。原作の小説では、2歳の子供に「育ての母」が「産みの母」が’他にいることを話したことになているけれど、現実の世界では、まずありえない話だと僕も思いますよ。。。
デンマンさんは、二人の母親よりも、子供の気持ちの方に興味を抱いたのですか?
そうです。。。僕が、その子の立場になったら、将来どう思うだろうか? 産みの親を恨むだろうか? 2歳でなく、小学生の頃に、そういう話を聞かされたら、幼い子供ながら、かなり悩むと思うのですよ。。。
。。。でしょうねぇ~。。。
その後の子供の人生に暗い影を落とすと思うのです。。。ちなみに、この映画を見たあとで次の映画も観たのですよ。。。
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DOLLS
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『Dolls』(ドールズ)は、北野武監督作品、2002年10月12日公開の日本映画。
配給は松竹、製作はオフィス北野他。
第59回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門正式出品作。
キャッチコピーは「あなたに、ここに、いてほしい。」
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あらすじ
松本は心から愛し将来を約束していた恋人・佐和子を裏切り、出世と金のために勤務先の社長令嬢との結婚を決めた。
松本の両親は佐和子の両親のもとへ赴き土下座の謝罪をするが、佐和子はそれに背を向けただ茫然と涙を流すのみだった。
結婚式当日、松本は知人から、佐和子が精神を病み、ついに自殺を図りそれが原因で記憶喪失となったことを知らされる。
居ても立ってもいられず式をすっぽかし佐和子の入院先の病院へと車を走らせた松本は、そのまま彼女を誘拐する形で連れ去ってしまう。
着の身着のまま始まった逃避行。
しかし佐和子の後遺症は重く、まるで幼児のようになった彼女は店の商品を勝手に持ち出したり、トラックの前に満面の笑みで立ち塞がったりなど、松本の手を焼かせる。
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二人は車を宿代わりにしてひっそりと路上生活を送るが、やがて車も捨てた松本は、目を離すと徘徊する佐和子を自らの体に赤い縄で結び付け、道往く人に「繋がり乞食」と呼ばれながら当てどない彷徨へと向かう……。
人気絶頂のアイドル・春奈に心酔する温井は、彼女のことばかりを想い毎日を過ごしていた。
だがある日、春奈は交通事故に遭い片目を失う。
商売道具とも言える顔に致命的な傷を負った春奈は塞ぎ込み、芸能界を引退、ファンの前から姿を消した。
それでもなお春奈に会いたいと強く願う温井が取った行動とは……。
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毎週土曜日になると、弁当を手に公園のベンチで昔の恋人を待ち続ける良子。
老いを理由に、闘争の世界から身を引くことを決めたヤクザの親分。
一見何の接点もない二人が、まるで引かれ合うように出会い、ベンチに並んで座るとき……。
出典: 「Dolls (映画)」
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この映画は、上の『朝が来る』という映画と関係があるのですか?
いや。。。全く関わりがない。。。映画監督も違うし、内容も全く違う。。。でもねぇ~、主人公の男は心から愛して 将来を約束していた恋人・佐和子を裏切り、出世と金のために勤務先の社長令嬢との結婚を決めてしまうのですよ。。。
よくある話ではありませんかァ~?
いや。。。、僕が 主人公ならば、絶対に出世と金のために、将来を約束した最愛の恋人を裏切るようなことをしませんよ。。。
そういう立場になってみないと分からないのではありませんかァ~?
でもねぇ~、主人公の男は心から恋人の佐和子を愛し将来を約束したのですよ。。。だから、裏切られた佐和子は精神がおかしくなってしまったのです。。。つまり、彼女は それほど男を愛していたのですよ。。。
でも、男の方は佐和子ほどに 愛していたわけではないのですわァ。。。。だから、出世と金に目がくらんで社長令嬢との結婚を決めてしまったのです。。。
そうですよ。。。僕の言おうとしているのは、この主人公の心は歪(ゆが)んでいたのですよ。。。なぜ、そのように心が歪んでしまったのか?
映画では、その理由が観る者に分かるようになっているのですか?
いや。。。それまでの男の人生は、全く映画には出てこない。。。社長令嬢との結婚式の場面から映画は始まるのです。。。だから僕は思ったのですよ。。。、『朝が来る』の子供が成長して、主人公の松本になったとしたら、僕は心変わりが理解できると思ったのです。。。
どうしてですか?
「出世と金」は将来の安全と経済的な安定のためですよ。。。自分が「捨てられた」のは「産みの母」がまだ若く、経済的にも精神的にも未熟で不安定だった。。。だから、養子になった子供の立場ならば、「出世と金」のために社長令嬢との結婚を決めるのも納得がゆくわけです。。。そうでなかったら、普通、裏切った男に対して多くの観客は許せないと思いますよ。。。小百合さんだって、許せないでしょう!?
そうですわねぇ~。。。「出世と金」に目がくらむというのは、分からないわけではないですけれど、将来を約束した最愛の恋人を裏切る事は許せないですわねぇ~。。。
小百合さんの その言葉を聞いて僕は安心しましたよ。。。
でも、結局、主人公は改心して佐和子と一緒に暮らすことにしたわけでしょう!?。。。
だから、それが作りもの臭いのですよ。。。つまり、小説じみている。。。現実の世界ならば、佐和子が精神病院に入院したと聞いても 社長令嬢との結婚式を抜け出して病院に駆けつけるなんて まずしませんよ。。。そのように気持がフラフラしていたら、そもそも佐和子などに目もくれず、初めから金持ちの令嬢を探していたでしょう!?。。。こういうところが、映画を観て、バカバカしいと思うところです。。。現実には、まずありえない!。。。
でも、現実に、あり得ないと決めつけるのは、どうかと思いますわ。。。
つまり、上の映画は実際にあったことに基づいて作られたと小百合さんは思うのですか?
そういう可能性はあると思いますわ。。。
残念でした。。。映画監督の北野武(ビート・タケシ)は、子供の頃に、映画に出てくるような「繋がり乞食」という体を紐で結んだ夫婦は実際に見たけれど、話自体は創作だと言ってるのですよ。。。
でも、実際に起ったことを元に作られた文楽や、歌舞伎は昔からありますわ。。。
確かにあります。。。例えば『心中天網島』は実際に起こった心中事件を元に作られた人形浄瑠璃です。。。映画にもなった。。。『DOLLS』という映画にも、この人形浄瑠璃が出てきます。。。たぶん、『心中天網島』だと思うのですよ。。。
心中天網島
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『心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。
1720年(享保5年)12月6日、大坂竹本座で初演。全三段の世話物。
1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺 (大阪市)で、大阪天満お前町の小売紙商紙屋治兵衛と、曾根崎新地紀伊の国屋の妓婦小春とが、情死を遂げた心中事件を脚色。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。
また、「道行名残の橋づくし」は名文として知られる。後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演されている。
「天網島」とは、「天網恢々、疎にして洩らさず(てんもうかいかい、そにしてもらさず)」(中国、老子では「天網恢々、疎にして失わず」(天が悪人を捕まえるために張り巡らした網は、目が粗いが、悪人を取り逃がさない)という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。
近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。
あらすじ
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地の遊女・紀伊国屋小春のおよそと三年に亘る馴染み客になっていた。
小春と治兵衛の仲はもう誰にも止められぬほど深いものになっており、見かねた店の者が二人の仲を裂こうとあれこれ画策する。
離れ離れになるのを悲しむ小春と治兵衛は二度と会えなくなるようならその時は共に死のうと心中の誓いを交わした。
ある日小春は侍の客と新地の河庄にいた。
話をしようにも物騒なことばかりを口にする小春を怪しみ、侍は小春に訳を尋ねる。
小春は「馴染み客の治兵衛と心中する約束をしているのだが、本当は死にたくない。だから自分の元に通い続けて治兵衛を諦めさせて欲しい。」と頼む。
開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突如格子の隙間から脇差が差し込まれた。それは小春と心中するために脇差を携え、店の人々の監視を掻い潜りながらこっそり河庄に来た治兵衛だった。
窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。
侍は治兵衛の無礼を戒めるために治兵衛の手首を格子に括り付けてしまう。
すると間が悪いことに治兵衛の恋敵である伊丹の太兵衛が河庄に来てしまう。
治兵衛と小春を争う太兵衛は治兵衛の不様な姿を嘲笑する。
すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。
実は武士の客だと思ったのは侍に扮した兄の粉屋孫右衛門だった。
商売にまで支障を来たすほど小春に入れ揚げている治兵衛に堪忍袋の緒が切れ、曽根崎通いをやめさせようと小春に会いに来たのだった。
話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れることを決めて小春から起請を取り戻した。
しかしその中には治兵衛の妻・おさんの手紙も入っており、真相を悟った孫右衛門は密かに小春の義理堅さを有難く思うのだった。
それから10日後、きびきびと働くおさんを他所に治兵衛はどうにも仕事に精が出ず、炬燵に寝転がってばかりいた。
その時治兵衛の叔母と孫右衛門が小春の身請けの噂を聞いて治兵衛に尋問しに紙屋へやって来た。
ここ10日治兵衛はどこにも行っていない、身請けしたのは恋敵の太兵衛だという治兵衛とおさんの言葉を信じ、叔母は治兵衛に念のため、と熊野権現の烏が刷り込まれた起請文を書かせると安心して帰っていった。
しかし叔母と孫右衛門が帰った後、治兵衛は炬燵に潜って泣き伏してしまう。
心の奥ではまだ小春を思い切れずにいたのだ。
そんな夫の不甲斐無さを悲しむおさんだが、「もし他の客に落籍されるようなことがあればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。
商売用の銀四百匁と子供や自分のありったけの着物を質に入れ、小春の支度金を準備しようとするおさん。
しかし運悪くおさんの父・五左衛門が店に来てしまう。
日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた五左衛門は直筆の起請があってもなお治兵衛を疑い、おさんを心配して紙屋に来たのだ。
当然父として憤った五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させた。
おさんの折角の犠牲も全て台無しになってしまったのだった。
望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。
小春に会いに来たのだ。
別れた筈なのにと訝しがる小春に訳を話し、もう何にも縛られぬ世界へ二人で行こうと治兵衛は再び小春と心中することを約束した。
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。
そして10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つために髪を切った後、治兵衛は小春の喉首を刺し、自らはおさんへの義理立てのため、首を吊って心中した。
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映画化
1969年(昭和44年)にATG・表現社製作、篠田正浩監督脚本、富岡多恵子、武満徹共同脚本により映画化された。治兵衛には二代目中村吉右衛門、小春・おさん二役に岩下志麻を起用し、通常の劇映画と異なる実験的な演出で、人形浄瑠璃や歌舞伎の雰囲気を色濃く漂わせる作風となっており、その年度のキネマ旬報邦画ベストワンを獲得した。
出典: 「心中天網島」
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確かに、もともとの人形浄瑠璃は1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺 (大阪市)で、大阪天満お前町の小売紙商紙屋治兵衛と、曾根崎新地紀伊の国屋の妓婦小春とが、情死を遂げた心中事件をもとに作られた。。。でもねぇ~、この文楽の人形劇は、全て現実に起こった通りに作られたわけじゃない。。。
どうして、デンマンさんは見てきたようなことを言うのですか?
あのねぇ~、作者の近松は、住吉の料亭でこの事件の知らせを受け、早駕に乗り大坂へもどった。。。つまり、近松も現場を見たわけじゃない! 心中事件がすっかり終わったとで 人から聞いた話を、観客が面白く観ることが出来るように、多くの部分を想像して創作したのですよ。。。
つまり、現実に起こった事件を元にして作られた演劇や映画を観ても、それがそのまま現実に起こった通りに映像化されたと思うのは バカげたことだとデンマンさんは言うのですか?
その通りです。。。
初出: 2022年1月26日
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、記録映画、ドキュメンタリーと言えども監督の目を通して見た主観的な映像の作品だと思うのでござ~ますかァ~?
ええっ。。。? 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?
いけ好かないお方。。。
わかりましたわ。。。
では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。
ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。
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世界で最も住みやすい街バンクーバー
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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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