マルタ島のロマンだ (PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 今日は地中海の島巡りのお話ですか?
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ジューンさんも僕と一緒に旅した地中海の旅が懐かしいでしょう!?
でも、そういう個人的な旅のお話ってぇ、この記事をお読みになるネット市民の皆様には退屈だと思いますわァ。
だから、個人的な話をするつもりはないのですよ。
だったら、どうして わたしが写っているマルタ島の写真などを貼り付けたのですか?
ジューンさんのファンがたくさんいるからですよ。 (微笑)
つまり、わたしはデンマンさんの記事のカバーガールですか?
いけませんか?
そんな事より、どうして急にマルタ島のロマンを持ち出してきたのですか?
あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら 次の箇所に出くわしたのですよ。
地中海の底が見えていた
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豆知識: 地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがある。 (74ページ)
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人類への進化
およそ500万年前、チンパンジーに進化する類人猿と人類へと進化する猿人(アウストラロピテクスなど)が分かれた。
なぜ類人猿と人類は別々の進化の道をたどったのだろうか?
これに対して、「イーストサイド物語」と名付けられた仮説が有力視されている。
人類の祖先の化石は、多くがアフリカの大地溝帯やその東側の乾燥したサバンナで見つかっている。
一方、類人猿は西側の森にしか生息していない。
アフリカの大地溝帯の形成は、今から1000万年前~500万年前に始まっており、人類誕生とほぼ同一の時代なのだ。
大地溝帯は、マントルのホットプルームのはたらきで火山活動が活発になって大地が隆起し、次いで中心が溝になって東西に分裂し始めている場所である。
大西洋からの西風が運んでくる湿った気流は、大地溝帯の高地の西側で上昇気流となって雨を降らせてしまい、東側へきたときにはすでに乾燥してしまう。
このため、大地溝帯とその東側の森は、サバンナに変わった。
森が縮小したため住んでいた類人猿は、サバンナに降りて食べ物を探す必要が生じ、二足歩行や手の使用が始まった。
ここから人類への進化が始まったというわけである。
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豆知識: 2002年にアフリカ中央部のチャドで、600~700万円前の人類化石「サヘラントロプス・チャデンシス」が発見され、「イーストサイド物語」に異論を唱える説が現れている。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)
84-85ページ 『地球のしくみ』
編者: 新星出版社編集部
2007年11月25日 発行
発行所: 株式会社 学研パブリッシング
地中海が、今から500~600万年前に干上がった事実と“マルタ島のロマン”が関係あるのですか?
もちろんですよ。 だから、上の本の中から僕が気になった箇所を引用したのです。
でも、そもそも“マルタ島のロマン”ってぇ、どういうことですか?
あのねぇ~、ジューンさんと、かれこれ10年ほど前にクレタ島とマルタ島の古代文明について語り合ったことがあるのですよう。 もう忘れてしまったでしょう!?
デンマンさん。。。 ネットで3年前は一昔ですわ。 10年も前のことは大昔ではありませんかァ! 覚えてませんわ。
じゃあ、ジューンさんのためにも ここに書き出しますから、じっくりと読んでみてください。
クレタ島のパリジャンヌ
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“Ladies in Blue”—fresco from Knossos, 16th century BC.
上の写真に見るとおり、今から4000年前のクレタ島の女性は、結構ナウい、ファッショナブルな女だったんですよ。 クレタ文明を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズがフラスコ画に描かれていた彼女たちを見て、思わず“可愛いパリジェンヌ”と叫んだというエピソードが伝わっているほどです。 4000年前とは思えないほど現代的なセンスを持っていると思いませんか?
言われてみれば確かに現代的なファッションを感じさせますね。
でしょう?
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Cretan Parisienne in full view
全身を表すとこんな感じになりますよ。 どうですか?
ちょっとスカートが長すぎるようですね。
確かに長いですよ。 でもね、19世紀のパリの本物のパリジェンヌと比べてみてください。
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どちらの女性と喫茶店に入りたいですか?と問われれば、僕はおそらくクレタ島の女性に声をかけるでしょうね。
そうですか?
そうですよ。 第一、こんなでかい幅広のスカートをはいた女性と喫茶店へ入ってみてくださいよ。 周りの人が迷惑そうな顔をしますよ。
確かに、近頃の喫茶店ではテーブルが、バタバタと倒れてしまうでしょうね。
とにかく、上の二人の格好を見比べると19世紀のパリジェンヌの方がダサいですよ。クレタ島の女性の方がモダンな感じがしませんか?
そうですね。。。
19世紀の女性と比較するのでは、時代が違いすぎるので、同じ時代のエジプトの女性と比べてみましょう。 次の絵の中の女性たちは 今から3500年から3000年前の服装をしています。 上のクレタ島の“パリジェンヌ”とほぼ同じ時代です。
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一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。 クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。 そう思いませんか?
確かにこの写真で比べるとそうですね。
僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。 ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ。
フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?
それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです。
確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?
もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ。
どんな?
クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ。
大巫女ですか?
そう。 英語で言うならHigh priestessですよ。
つまり女王ということですか?
女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ。
王様は居なかったのですか?
形式的な王様は居たらしい。 でも、実権はなかったようです。
でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?
そのとおりです。
(中略)
クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、 ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ。
どうしてそのようなことが言えるのですか?
実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます。
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Enthroned Birthing Goddess
from Çatal Hüyük 5700 BC.
(The head was restored.)
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わああ、すごーく太った女性が出てきましたね。
この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます。
この女神が出てきたから母系社会だというのですか?
この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?
ええ、知ってますよ。
じゃあ、その意味は何だと思いますか?
意味があるのですか?
あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています。
アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?
マルタ島からも見つかっています。
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“Venus of Malta”
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“The Sleeping Venus of Malta”
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マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?
そうです。
それがどうして父系社会になってしまったのですか?
すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ。
やはり気候と関係あるのですか?
そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。 ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。 もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました。
そうなんですか?
そうですよ。 現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。 たいてい父系の姓を名乗ります。 この父系社会というのは戦争が強いんです。 アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています。
つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?
そういうことです。
では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?
ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。 それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです。
つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?
その通りですよ。
『ラピスラズリと美女アメニア(クレタ島)』より
(2005年7月13日)
(すぐ下のページへ続く)
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