北朝鮮のクーデター
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デンマンさん。。。、今日は北朝鮮のクーデター を取り上げるのですかァ〜?
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そうです。。。ベティさんは興味がありませんか?
でも、最近、北朝鮮でクーデターがあったなんて聞いてませんわ。。。
いや最近のクーデターの話しではないのですよ。。。
あらっ。。。北朝鮮でクーデターがあったことがあるのですか?
あったのです。。。実は、僕も知らなかったのですよ。。。
いつ頃のことなんですか?
1956年8月30日に起こったのです。
あらっ。。。半世紀以上も前の出来事ですわねぇ〜。。。デンマンさんは、どういうわけで知ったのですか?
あのねぇ〜、ごく最近、僕が編集したビデオクリップをユーチューブにアップロードした時に、画面の右サイドに次のクリップが出てきたのでクリックして観たのですよ。。。
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■『動画を観る』
1956年8月クーデター
8月宗派事件
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8月宗派事件(はちがつしゅうはじけん)は、朝鮮民主主義人民共和国において1956年6月から8月にかけて起こった政変(クーデター)。
事件の経緯については明らかでない点が多い。
反宗派闘争とも呼称する。
なお、朝鮮語の「宗派(チョンパ)」は日本語の「分派」を指す。
事件の経緯
金日成は北朝鮮の党、政、軍の全権を一身に集めるため、様々な口実と手段を使って、南方派の勢力を消滅させ、延安派とソ連派の幹部にも打撃を与え、要職から次々と排除し、同時に教条主義と形式主義への反対、主体思想の確立を打ち出し、イデオロギーによる決定権を手にした。
第3回党大会とそれに続いた中央総会で朝鮮労働党の新しい中央指導者が選出され、委員長は金日成、副委員長は崔庸健、朴正愛、朴金喆、鄭一龍、金昌満であり、常務委員会委員は金日成、金枓奉、崔庸健、朴正愛、金一、朴金喆、林海、崔昌益、鄭一龍、金光侠、南日からなり、候補委員は金昌満、李鍾玉、李孝淳、朴義琓であった。
11人の常務委員のうち5人が満州派で、他のメンバーのうち、朴正愛と南日はすでに金日成陣営に入り、鄭一龍も似たような立場であり、延安派の金枓奉と崔昌益だけは政治面でやや独立的な存在であった。
候補委員のうち李孝淳は甲山派、李鍾玉は新しく抜擢されたテクノクラート、金昌満は延安派であるが金日成の鼓吹者になっており、朴義琓だけが中立的立場であった。
1956年2月のソビエト連邦(ソ連)にて、ニキータ・フルシチョフはソ連共産党第20回大会においてスターリン批判と呼ばれる秘密報告を行い、ヨシフ・スターリン期における様々な陰謀を曝露することでスターリン期の様々な政策を個人崇拝批判というかたちで批判した。
このことはソ連の衛星国すべてに大きな影響を与えた。
朝鮮民主主義人民共和国でも同年4月に開かれた朝鮮労働党第3回大会においてソ連から参加したレオニード・ブレジネフは、朝鮮民主主義人民共和国にフルシチョフの路線に協力することを求めた。
同年6月、金日成はソ連・東ドイツ・ルーマニア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキア・ブルガリア・アルバニア・モンゴルを歴訪し、経済援助を得ようとしたが思うほどの成果を得ることはできなかった。
この間に国内では先述したスターリン批判を受け、延安派とソ連派が金日成の独裁体制を修正するためにクーデターを計画したと言われている。
一部には武装蜂起の準備もあったと唱える者もいるが情報源などの確証は得られていない。
いずれにせよ、後の動きと収束から延安派の徐輝(朝鮮職業総同盟委員長)・尹公欽(商業相)・崔昌益(副首相兼財務相)、ソ連派の朴昌玉(副首相)、金承化(建設相)、朴義琓(副首相兼国家建設委員長)などが中心的人物だったことがわかる。
金日成が平壌を離れた直後、6月8日に崔昌益はイワノフ大使と会談し、党と国家の指導部における不健全な状況に関する見解を述べた。
7月14日には延安派の古参幹部で建築材料局局長の李弼圭がピトロフ臨時代理大使と会談し、金日成の個人崇拝に関する批判、すでに一部の幹部と連携して現在の党中央と政府の指導体制を変える目的で金日成らに早く行動を取るべきだと考えていること、その具体的な行動方式を伝え、最後にこの談話の内容について極秘にするよう念を押した。
金日成は政変が起こることを察知し直ちに帰国した。
金日成が察知したルートについてはいくつかの説がある。
クーデター首謀者らが金日成が留守の間の首相代理である崔庸健(満州派)に協力を要請したところ崔庸健が計画の存在を金日成に通知した、クーデター首謀者らがソ連大使館に協力を要請したところソ連大使館から崔庸健を経由して金日成に伝わった、などの説がある。
7月24日、朴昌玉は南日の家を訪れ、いきなり自身や崔昌益、金承化など多くの幹部が間もなく開かれる中央全員会議で金日成の指導方法と個人崇拝などの過ちを厳しく糾弾することを知らせ、南日もこれに合流するように説得した。
それから21日から24日にかけて、朴昌玉、崔昌益、金承化は相次いでソ連大使館のフィラトフ参事官に会い、金日成批判の準備活動を報告した。
反対派の活動はほとんど秘密がなく、ソ連大使館にしきりに報告をして支持を求める一方、至る所で遊説し、反金日成勢力の結集を図った。
金日成とその支持者も反対派と比べてもっと頻繁にソ連大使館とコンタクトを取った。
ピトロフは7月24日に外務省に行って南日に会い、7月26日には金日成、7月28日には南日と朴正愛、8月1日には南日と会談を行った。
7月31日、労働党中央幹部会議が開かれ、ここで朴金喆と朴正愛が相次いで同じような内容の発言をし、党内部で確かに金日成の個人崇拝は存在し、幹部の任命と罷免について一部の過ちを犯したと認めたが、金日成に対する崇拝はスターリン崇拝のように危険水域まで発展したものではなく、党はすでに過ちを是正する措置を検討しているため、個人崇拝の問題はこれ以上討論する必要はないと語り、ソ連国籍幹部に対する批判は主に延安派幹部によるもので、ソ連の指導者が朝鮮労働党の行動に介入することはないとした。
2人の発言は、明らかに金日成の意を汲んでおり、窓際に追いやられたソ連派幹部を宥め、反対派の分断を図ったもので、同時に不満を抱く人間に対しては軽率な行動を起こしてもモスクワからの支持は得られないと警告したようなものだった。
モスクワは4月から5月にかけて、ソ連の新路線に対する金日成の面従腹背に極度の不満を示したが、8月初めには労働党の内部情勢を安定させる様々な措置に対し明確な指示を表明した。
これはポズナン暴動やラーコシ・マーチャーシュの引退など不穏な事件が続き、再度危機と動乱が発生することを望まなかったためである。
8月13日、ピトロフは進んで金日成を訪ね、受け取ったばかりのソ連共産党中央の書簡の内容を伝えた。
「党内の民主は党を傷つけ、党の規則を弱め破壊する目的達成の道具として使われてはならず、党の指導層およびその機関と主要メンバーに対する不信任の感情と伝播するために利用されるべきではない」と書かれ、この内容に満足した金日成は直ちに党内でこの書簡の内容を伝達し、政治闘争で完全に主導権を握った。
8月18日、金日成は中央常務委員会を招集し、ソ連共産党中央の書簡を説明する中でソ連の姿勢が変わり始めたことを仄めかした。
これに崔昌益が強く反発する発言をし、金枓奉はやや抑制的に中央常務委員会が特別会議を招集して党内問題を討論するようにと要望を述べた。
8月21日から23日にかけて党内の状況を討論する中央常務委員会の会議が開かれた。金日成の開幕挨拶後、真っ先に崔昌益が発言し、党内に個人崇拝の現象が存在し、集団指導と党内の民主が欠けていると指摘した。
金日成の支持者は我先にと崔昌益に対する反論と厳しい批判を行った。
この間に金日成は朴義琓と3時間に及ぶ会談を行い、朴が会議で中立を保つよう求めた。
会議の最後の日、南日は崔昌益に対して徹底的批判を行い、金枓奉は態度を変えて崔昌益の職務罷免を提案した。
会議は最後に8月30日に中央全員会議を招集することを決定した。
国家安全部門は一部の幹部に対して「警察の手段」を使い、彼らの関係者も相次いで尋問を受け、この状況を朴義琓はソ連大使館に報告した。
朴義琓と南日の報告を聞いたピトロフは、会議で党の指導者に対して行った批判は基本的に正しいもので、発言者に対してどんな過激な手段も取ってはならず、批判者を「敵意を持つ反党集団」と決めつけるのも正しくないと話した。
ソ連大使館は、当初の反対派が過激な行動を取ることではなく、金日成が反対派に対していっそう厳しい手段を使うことを懸念していた。
金日成帰国後の8月30日から8月31日にかけて朝鮮労働党中央委員会全体会議が開かれ、まず始めに国家計画委員会委員長の李鍾玉と咸鏡北道委員長の金泰根が発言し、金日成の礼賛以外には実質的内容が無かった。
次に発言をしたのは貿易相の尹公欽で、党内の個人崇拝など一連の重大で深刻な問題を暴露し、金日成、金昌満、韓相斗、朴金喆、朴正愛、李一卿らを名指しで批判し、金日成の個人崇拝の問題について全党で討論すべきと提案した。
しかし尹の発言は途中で中断され、金日成は反党分子と反革命分子に引き続き発言する機会を与える必要はないと提起し、投票で7人を除く大多数はそれに賛成した。
大会の休憩の間に徐輝、尹公欽、李弼圭は帰宅すると、電話線がすでに切られていることから危機的状況を感じ、文化省副相の金剛に会って相談し、30日夜、軍用車を運転して中朝国境の鴨緑江大橋に向かった。
国境を越えた際に中国の国境検閲所に止められ、そこで徐輝らは自身の身分を語った。
驚いた兵士は直ちに上級機関に報告し、またその指示に従って一行を直接北京に送り届けた。
周恩来総理と羅瑞卿公安部長が到着直後の彼らと会い、報告を聴取した。
休憩後の会議で、尹の党籍剥奪が決議され、反対派に対する糾弾一辺倒の局面になり、反対派は名指しで批判され、発言の機会を与えられなかった。
金日成は総括発言で、崔昌益と朴昌玉に対する処分措置を提案し、一致した賛同を得た。
翌31日の会議では、「崔昌益、尹公欽、徐輝、李弼圭、朴昌玉ら同志の分派と陰謀活動」に関する決議が採択され、彼らの罪状が列挙された上、党からの除籍、すべての党内職務の解任、更なる調査が決定された。
会議後、国家全体が大規模な捜査と逮捕、厳しい弾圧に入った。
朴昌玉と崔昌益は解任された後、それぞれ東海岸の木材加工場と養豚場に追放され、駐ソ大使の李相朝に対しては英国諜報機関と関係があるという罪名で召喚命令を出した。
検察機関は崔昌益、李弼圭、李相朝らの罪状に関する証拠探しを始め、すべての反対派幹部は幹部の特権である物品の配給や医療サービスが取り消され、彼らの家族も警察による厳しい監視下に置かれることになった。
労働党平壌市委員会の副委員長と組織部長が解任され、民族保衛省副相の金元松、軍事科学院副院長の李雲奎、海軍政治部副主任の李英浩は「反党グループ」の嫌疑で取り調べを受けた。
すでにソ連への研修で派遣された金承化も「反党グループ」リーダーの朴昌玉や崔昌益と密接な関係があるという理由で追及を受け、逓信省副相の金昌欽は「同情者」の嫌疑で巻き込まれた。
大学でも大規模な思想検挙が行われ、金日成総合大学党委員長の洪洛雄はやむなく中国に亡命し、多くの教授と学者が秘密警察に連行され、行方不明となった。
中国は亡命した徐輝らによって、ソ連も駐ソ大使の李相朝がフルシチョフに書簡を送ったことで8月宗派事件の真相が伝わった。
出典: 「8月宗派事件」
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クーデターが失敗に終わるのがなんとなく解りますわ。
あれっ。。。ベティさんに、失敗の原因がわかりますか?
軍隊を動かしてないじゃありませんか! 南米のクーデターを見ると、必ず軍隊が動いてますわ。。。軍隊を掌握しないとクーデターは成功しないと思いますわ。 エジプトでも、リビアでも、クーデターが成功する場合は、軍隊が動いてますわ。。。
ベティさんは、意外にクーデターについては詳しいのですねぇ〜。。。
常識ですわァ〜。。。デンマンさんだって、そう思っているのではありませんかァ〜?
確かに、軍隊が動いてないのですよ。。。でもねぇ、大会の休憩の間に徐輝、尹公欽、李弼圭は帰宅すると、電話線がすでに切られていることから危機的状況を感じ、文化省副相の金剛に会って相談し、30日夜、軍用車を運転して中朝国境の鴨緑江大橋に向かったのですよ。。。だから、軍隊とのパイプがあったことは確かなんです。。。ただ、軍隊を動かすという計画はまったくなかったようです。。。
それが、クーデター失敗の原因だったと思いますわ。。。で、金日成は、反対派の粛清に乗り出したのですか?
そうです。。。中国とソ連が首を突っ込んできたので、一旦は反対派の粛清を控えたのですよ。。。でも、その内、ポーランドやハンガリーに動乱が起こると、ソ連は北朝鮮のことなどかまっていられなくなった。。。中国でもスターリンの悪名高い個人秘書のコヴァリョーフの中国に対する批判的な内容のレポートが問題になったりして、両国が北朝鮮から目をそらしているのをいいことに、金日成が、また粛清を始めた。。。そうやって粛清を重ねて支配を強化していった。。。
金日成が支配を強化
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延安派とソ連派の改革派による金日成へのあからさまな挑戦は、彼に自分の基盤が安定していないことを認識させた。
この目的のために、彼は大粛清を実行しながらさまざまな方法で支配を強化した。
最初に標的となったのは学術界で、金日成大学が矢面に立った。
同大学の党書記のホン・レジェンは改革派のメンバーと接触した罪で、学長のユ・チェンシュンは投獄され、マルクス・レーニン主義大学の学部長は投獄された。
宋君山は党員を剥奪され、金正道歴史学部長を含む多くの教授や学生が粛清された。
同時に、平安南省の教師3,000人が「政治的立場の問題」を理由に停職処分となった。
その後、軍関係者らも関与し、朝鮮人民軍海軍司令官のキム・チルソン、機甲大臣のパク・イルム、技師長のパク・ギルナムが1957年から1958年にかけて逮捕された。
同時期に司法機関も迫害され、副大臣、検事長、最高裁判所長官および数名の長官も解任された。
1958年11月、韓国社会民主党と天道青年党の党首ホン・ジファンとキム・ダルヒョンが米国と日本のスパイ容疑で告発され、処刑された。
翌年2月、両党は粛清された。
それ以来、両党の勢力は大幅に低下し、1957 年の国政選挙では最高人民会議の215 議席中 22 議席を獲得したが、1959 年の補欠選挙とその後の選挙では56 議席のみを獲得した。
全383席中1席と8席。
民間人も金日成の攻撃の標的となった。
1957年4月、最高人民会議は国民の出身地を友軍、中立軍、敵対勢力の3段階に分ける特別法案を可決した。
最下級の敵対勢力に分類される勢力は政府による厳しい監視を受けるだけでなく、官界や軍で昇進の機会を得るのも困難となる。
この階層的分類は今日まで使用されており、敵対勢力は北朝鮮の総人口の20%を占めると推定されている。
さらに、相互監視の効果を達成するために、金日成は1958年7月に「五世帯責任制」を制定した。各家庭は「思想教育と互いの行動」に責任を負う。
3か月後、国家安全保障省は1年間にわたる捜査を開始し、朝鮮戦争中に米軍と韓国軍とともに暮らしたとして告発された人々は再教育から死刑に至るまでの懲罰にさらされた。
その数は10万人に達した。
同時に、金日成はスターリン主義のより強力な統治も実施した。
彼は集団化生産を強力に推進し、1959年末までに全国の世帯の95.6%が集団化生産の仲間入りを果たし、これは世界記録となった。
一方で、民間企業の取り締まりにも力を入れている。
1958年、国内の民間企業はすべて国営となった。
一方、金日成はクーデター後、ナショナリズムをさらに強調した。
彼は代弁者『労働新聞』やその他の出版物を通じて朝鮮人民の美徳と純粋さを繰り返し強調し、学生たちにロシア語ではなく真剣に朝鮮語を勉強するよう奨励し、人民を団結させるために朝鮮戦争で米軍が犯した犯罪を繰り返し述べた。
ソ連の国内影響力を弱めるため、労働党中央委員会は1956年秋にソ連ドラマの禁止令を出し、大学ではロシア語が科目から外された。
公式出版物におけるソ連に関する言及の数も急激に減少した。
金日成はまた、圧倒的な個人崇拝を行った。
1958年以来、宣伝機関は芸術家に対し、党と金日成を称賛し、階級の敵や反動派を打ち負かす作品を積極的に制作するよう繰り返し求めてきた。
同時に、金日成の名前と彼が提唱したチュチェ思想が労働新聞に頻繁に掲載され、メディアは北朝鮮経済の空前の繁栄を頻繁に報道し、これを金日成のおかげであると主張した。
1958年、労働党は国民が金日成の功績を理解できるようにするため、全国に「偉大な指導者金日成の革命活動に関する学習室」を設立し、そのような学習室はさまざまな政府機関、工場、農村人民公社に設置された。
平安北道には863の金日成学習室がある。
翌年、朝鮮労働党党史研究所が出版した『抗日ゲリラ参加者の回想録』は、金日成が15年間の抗日闘争で10万回以上戦い、一度も失敗しなかったと主張した。
金日成はまた、政府に対する支配を強化するために選挙を利用した。
1956年4月、金日成は中央委員会委員71名のうち43名が新たに選出され、補欠中央委員のうち43名が再選された。残り2名のみとなった。
翌年、金日成は朝鮮戦争以来初の国政選挙を実施した。
今回、定数527のうち再選を果たしたのは75名のみで、残りは新人(183名)であった。
1961年の第2回労働党中央委員会政治局選挙では、遊撃派が11議席中6議席、ソ連派が2議席(ナムイル、パク・ジョンエ)、延安派が1議席(金昌奉)を獲得した。
この時、労働党全体は金日成によって支配されていた。
1967年、金日成主席がゲリラ派の他の重要人物を粛清した後、北朝鮮では誰も彼を脅かすことができなくなり、将来の金一家の世襲統治の基礎が築かれた。
これらの方法により、金日成は 1960 年代初頭にすべての脅威を完全に排除し、権力を強化した。
また、1967年には遊撃派内で高山派の有力者とされた金道満、朴鎮哲、朴容国らを排除した後、党を掌握することに成功した。
これは、北朝鮮に対する金日成の独裁統治の基礎を築き、将来の金一族の世襲統治の基礎を築いた。
出典: 「八月宗派事件」
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粛清を重ねて金日成は独裁統治の基礎を築き、将来の金一族の世襲統治の基礎を築いたのですわねぇ。。。
そういうことですよ。。。この伝統は現在でも続いており、金日成の孫の金正恩は叔父さんの張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長が処刑され、彼に連なる人々が処刑されたり政治犯収容所に送られた。。。
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自分の親戚、縁者まで、ちょっとでも怪しいと判ると粛清して死刑にまでするのですわねぇ〜。。。ひどすぎますわァ〜。。。
ある意味で、一般人民への見せしめですよ。。。「オマエ等も、将軍様に楯突(たてつ)くとこうなるんだぞ! 将軍様の親戚、縁者とて、断固として処罰されるんだから。。。解ったら、今後、オマエたちも気をつけろよ!」
つまり、反対や、反乱が起こらないように政府の厳しい姿勢を見せつけるのですわねぇ〜。
そういうことですよ。。。さらに注目すべきなのが「五世帯責任制」ですよ。。。五世帯の各家庭は「思想教育と互いの行動」に責任を負うようにしたのですよ。。。
この五世帯の内、誰かが問題を起こすと連帯責任を負い、五世帯全員が強制収容所送りになるのですわねぇ〜。。。
そうです。。。つまり、そうならないようにお互いにスパイするようになったのですよ。。。
じゃあ、ビクビクしながら将軍様(金日成)を崇拝しなければならなかったのですわねぇ〜。。。
そういうことです。。。それが今日まで続いているのですよ。。。
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色々と規則があって、自由に振る舞うこともできませんわねぇ〜。。。
とにかく監視社会ですからねぇ〜。。。告げ口することが奨励されて、親が規則を破ったことを子どもが当局に告げ口するということが実際に起っているのですよ。。。
スパイ国家になっているのですわねぇ〜。。。
それに将軍様を崇拝することが、いわば義務付けられている。。。尊敬してなくても、人民は崇拝しているように振る舞わないと告げ口されて、悪口でも言うものなら強制収容所に送られてしまう。。。だから、金正日が亡くなったときなどは、海外から見たら悲劇じゃなく、喜劇のような印象を与えたものですよ。。。
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北朝鮮の民衆は、これほどまでに洗脳されているのですよ。。。
演技じゃなく、本当に心から悲しんでいるようですわねぇ〜。。。
中には、仕方なく演技をしている人もいますよ。。。でも、見てすぐに分かるような演技をすると強制収容所に送られるから、生きるか死ぬかの一世一代の真に迫る演技をしなければならないのですよ。。。
この様子を見たら、国内にいる北朝鮮人には笑うに笑えないですわねぇ〜。。。
そうです。。。父親が笑っているのを見たら、子どもが当局に告げ口しますからねぇ〜。。。
この調子では、今後、北朝鮮にはクーデターが起こりませんわねぇ〜。。。
いや。。。三代続いた金王国もいづれ崩壊しますよ。。。
そうでしょうか?
世界史を見てください。。。ローマ帝国も滅びたし、モンゴル帝国も滅びたし。。。これほど自由を住民から奪っている金王国がこれから100年続くなんて考えられませんよ。。。いづれ間違いなく崩壊します。。。
そうでしょうか? 上のビデオを観たあとでは今の北朝鮮には、クーデターなど考える人は出てこないように見えますわァ〜。。。
誰が見たって、あの国はおかしくなってますよ。。。共産圏で世襲の国王が政治をおこなっている国など北朝鮮の他に どこにもありませんよ。。。国全体が精神を病んでます。。。こんな状態がいつまでも続くわけがない!。。。明治維新を達成した志士が出てきたように、フランス革命を成し遂げた志士が出てきたように、いつしか、北朝鮮でも人民の中から 死を覚悟して自由と開放を求める志士が出てきます。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも北朝鮮は、国全体が精神を病んでいると思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」
あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわ。。。
じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ〜。。。
「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」
貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。
ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!
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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?
わかりましたわァ。。。
では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。
日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。
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