軽井沢が好き
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デンマンさんは、軽井沢が好きなのですか?
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小百合さんの別荘には帰省するたびに何度も訪ねましたからねぇ〜。。。僕にとって軽井沢は第2のふるさとのようなものですよ。。。
それで今日は軽井沢の思い出を語るのですか?
いや。。。そういうわけではありません。。。ちょっと次のリストを見てください。。。
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■『拡大する』
■『軽井沢物語』
■『集客ツール馬鹿と軽井沢夫人』
■『田中角栄と軽井沢』
■『軽井沢文学散歩』
■『さらわれた軽井沢夫人』
■『軽井沢夫人@韓国』
■『ニューグランド ロッジ』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で10月17日の午前10時50分から午後2時4分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。
あらっ。。。10月17日の午後12時17分にGOOGLEで検索して ニューグランド ロッジ を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。
そういうことです。。。実は、東京の赤坂のブティックで働いている伊沢沙也加(いざわ さやか)さんが読んだのですよ。。。
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サヤカさんは軽井沢にハマっているのですかァ〜?
サヤカさんが働いているブティックには軽井沢に別荘を持っているお客さんが時々やってくるのですよ。。。そんな時にお客さんと軽井沢の話をすることになるのです。。。親しくなったお客さんからは、夏休みには是非遊びにいらっしゃいと誘われたりするのです。。。
それで、サヤカさんは軽井沢に興味を持つようになったのですか?
そうです。。。サヤカさんは、まだ軽井沢には一度も行ったことがないのです。。。それで、お客さんの誘いに乗っかって、来年の夏休みにはぜひとも軽井沢に出かけるつもりで居るのですよ。。。
それで、お昼の休み時間にGOOGLEで検索して軽井沢のことが書いてある記事をさがして、ブックマークし、あとでゆっくり読むつもりなのですか?
そういうことですよ。。。
サヤカさんは、いったい、軽井沢のどういうところに魅力を感じたのですかァ〜?
『軽井沢文学散歩』を読み、次の箇所に心惹かれたのですよ。。。
堀辰雄と“死のかげの谷”
堀辰雄にとって「幸福の谷」は、幸せそうには見えなかったのですわ。
。。。で、どのように見えたのですか?
夏は確かに観光客がやって来て、多少は賑(にぎ)わうのですけれど、冬になると人影もなく寂しい谷になってしまうのでござ~♪~ますわ。それで「死のかげの谷」と呼んだ方がよさそうだ、と書いているのでござ~♪~ます。
ほおォ~。。。そうですか?
デンマンさんだって、「風立ちぬ」をお読みになったのでしょう?
読んだけれど、僕にとって、それ程思い出に残るような作品ではなかったのですよう。
どうしてでござ~♪~ますか?デンマンさんが気に入るような夢とロマンのお話でござ~♪~ますわ。
でもねぇ、主人公の男の妻は死んでいるのですよう。ロマンチックと言うよりも、悲しみが小説の底流に滲(にじ)んでいる。僕は20代の頃に読んだのだけれど、ルンルン気分の恋愛に惹かれる若い男には、実に悲しい、やるせない話と思えて、あまり好きになれなかった。卑弥子さんは、そういう悲しい話が好きなのですか?
あたくしは悲しいお話だとは思いませんでしたわ。むしろ男性に、それほどまでに思われている女性がうらやましいと思えましたわ。だから、あたくしもデンマンさんに、いつまでもいつまでも懐かしく思い出されるような女にならねばならないと努力しているのでござ~♪~ますわァ~。ォほほほほ。。。
(半分白けながら。。。) うん、うん、うん。。。見上げた心がけですよう。そんな事よりは「幸福の谷」の話ですよう。
んも~~。。。デンマンさんには、繊細な女心が全くお分かりにはならないのでござ~♪~ますわね?
あのねぇ~、脇道にそれると、この記事がまた長くなるのですよう。「幸福の谷」がテーマなのだから、余計な事はなるべく言わないでくださいよね。
分かりましたわ。「幸福の谷」に戻ればよろしいのでしょう。。。確かに夏は木漏れ日が漏れて、それなりに避暑地らしい雰囲気があるようでござ~♪~ますわ。でも、冬は人影もなく本当に寂しい厳寒の谷になるのでござ~♪~ます。しかも、堀辰雄が小説を書いていた当時は、冬になると水道もとまり、木造の建物は防寒対策もほとんどとられていなかったと言う事です。
ほおォ~。。。卑弥子さんは、そこまで調べたのですか?
そうでござ~♪~ますわ。あたくしも、いつの日にかデンマンさんと二人で「幸福の谷」を訪れるのでござ~♪~ますもの。。。おほほほほ。。。
ほらァ~。。。また、卑弥子さんは余計な事を言うのですよう。。。でもねぇ、言っておきますが、今年の秋ではないですよう。来年の秋ね。
分かっておりますわア。
それで、堀辰雄がどうしたと言うのですか?
「風立ちぬ」を書き上げた堀辰雄は、初めの予定では「幸福の谷」と書くつもりだったそうでござ~♪~ますわ。でも、冬の厳しい谷の様子を見て、最終章の題を「死のかげの谷」としたのでござ~♪~ますう。
ほおォ~。。。さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授だけの事はありますよねぇ~。読みが深いですよう。僕は、改めて卑弥子さんの文学的な才能を見直しましたよう。
このぐらいの事は、その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃんでも分かりますわよう。
つまり、卑弥子さんは、冬は「幸福の谷」ではなく「死のかげの谷」だと言いたいのですね?
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【デンマン注】 地図の中の“幸福の谷”は誤って記載されています。
実際は「同志社シーモアハウス」のすぐ上(北)の道です。
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そうでござ~♪~ますわ。しかも夏場だって、それ程、幸せそうではないのでござ~♪~ますわ。
それはどう言う訳ですか?
だいたい、あの近辺にある別荘の庭はコケで覆われているのでござ~♪~ますわ。あの谷の付近だけではござ~♪~ませんわ。軽井沢って、どこもかしこも苔で覆われていますわよう。住むには湿気との戦いなんだそうですわ。
ほォ~。。。卑弥子さんは、そんなことまで調べたのですか?
だってぇ~。。。いつの日には、あたくしとデンマンさんと二人して「幸福の谷」に行くのですものォ~、うふふふふ。。。だから、しっかりと下調べをしておこうと思い立ったのでござ~♪~ますわ。
なるほどォ~。。。ごもっともな事ですよう。。。で、卑弥子さんが調べる限り、思ったほど幸せそうじゃないので、僕と一緒に「幸福の谷」に行くのを断念した。。。そう言う訳ですね?
もちろん、デンマンさんとご一緒に行きますわよう。
でも、卑弥子さんにとって「幸福の谷」は「死のかげの谷」なのでしょう?
だから、あたくしはデンマンさんが「死のかげの谷」を一人でお散歩している間、すぐそばの万平ホテルのカフェテリアでお待ちしていますわ。
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【デンマン注】 実は、この写真はジョン・レノンではなく、アラン・ドロン
キャア~!すてきィ~。。。そいでぇ、ジョン・レノンがお気に入りだったと言うローヤルミルクティーを飲みながら、デンマンさんがぜひ食べたいと言っていた木の実のタルトをあたくしもいただくのでござ~♪~ますわ。
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つまり、花より団子ですね?
いいえ、団子だけではござ~♪~ませんわ。あたくしはホテルの中を散策したいのでござ~♪~ますわ。レトロな雰囲気に満ち満ちていてシックで素敵なのでござ~♪~ますう。
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こういう時代がかった雰囲気が卑弥子さんは好きなのですか?
そうでござ~♪~ますわ。「大正デモクラシー」の頃の自由でのびのびとしていて、それでいて古風な感じがメチャいいのでござ~♪~ますわ。
そういうところは京都生まれの京都育ちの影響でしょうね。
。。。んで、「幸福の谷」のあと、どこへ行くのでござ~♪~ますか?
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小百合さんの別荘がある近くに「ささやきの小径(こみち)」と呼ばれている散歩道があるのですよう。
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これがその小径でござ~♪~ますか?
そうですよう。中央を流れている“せせらぎ”は矢ケ崎川です。堀辰雄の小説「美しい村」にも登場する小径ですよ。
ずいぶん狭い散歩道ですわね?
左右には別荘や木立が続き、小鳥のさえずりが聞こえてきます。なんとなくロマンチックな感じがするでしょう?ここを小百合さんと二人で散歩したいのですよう。うしししし。。。
あたくしとは。。。?
来年の秋ですよ。だから、今年の秋には邪魔をしないでくださいね?
どうして「ささやきの小径」なのでござ~♪~ますか?
実は、他にも呼び名があるのですよう。「アカシアの小径」、「恋人たちの小径」。。。なんとなく分かるでしょう?愛する人と甘くささやき合いながら散歩する小道ですよう。
つまりデンマンさんは、この小径を小百合さんと夢とロマンをささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?
そうですよう。いけませんか?
。。。んで、あたくしとは。。。?
来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。
んも~~、いちいち余計な事を言わないでくださいましなァ。。。んで、どうしてこの小径が特別なのでござ~♪~ますか?
実は、この小径にも英語の名前があるのですよう。サナトリウム・レーンと言うのですよう。
なぜ、そういう名前が付いているのでござ~♪~ますか?
大正10年に軽井沢避暑団、現在の軽井沢会、の要請で療養所が造られた。この療養所が「軽井沢サナトリウム」と呼ばれるようになったのですよう。
その療養所が「ささやきの小径」のそばにあったのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。イギリス人のニール・ゴードン・マンロー博士が病院長だった。だから、この人の名前を取って「マンロー病院」とも呼ばれたのです。このマンロー博士は、人類学者としても有名で、アイヌ研究の第一人者として日本では良く知られていた。
日本人もその療養所で治療を受けたのでござ~♪~ますか?
そうですよう。特に肺結核治療が得意と言われ、堀辰雄や土井晩翠なども通院して治療を受けたのです。堀辰雄の小説「美しい村」でも、このサナトリウムはたびたび登場しています。小説の中で「レイノルズ先生」として登場するのが、実はこのマンロー博士なのですよう。
。。。んで、今でもその療養所はあるのでござ~♪~ますか?
残念ながら建物は取り壊されてしまった。だから、もう見ることはできません。雲場池(くもばいけ、別名、スワンレイク)の近くにある外人墓地ではマンロー博士が今も静かに眠っていますよう。
「ささやきの小径」には、何かロマンチックなエピソードでもあるのでござ~♪~ますか?
堀辰雄の小説「美しい村」では、実際の婚約者だった矢野綾子との想い出が綴られているのですよう。なかでも、サナトリウムのあった道を2人で腕を組んで散歩するシーンは幻想的に書かれています。堀辰雄はこの道に沿って並ぶアカシア並木を愛したと言うことですよ。
それで別名「アカシアの小径」でござ~♪~ますか?
たぶんね。。。堀が「美しい村」を書いた当時、そのアカシアは背丈ほどだったらしい。現在は、上の写真でも分かるようにアカシアが成長してアーチのようになっていますよう。
。。。んで、デンマンさんも堀辰雄と矢野綾子の真似をして、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?
そうですよう。いけませんか?
。。。んで、あたくしとは。。。?
来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。
『軽井沢文学散歩』より
(2022年9月4日)
サヤカさんは、この上の小文を読んで軽井沢に惹かれたのですかァ〜?
そうなのですよ。。。実は、サヤカさんは大学の卒論で堀辰夫を取り上げたのですよ。。。
堀辰雄
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1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日
堀 辰雄は日本の小説家。
それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。
フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した。
肺結核を病み、長野県軽井沢に度々療養、そこを舞台にした作品を多く残し、晩年には終の住処とした。
戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造、中村真一郎、福永武彦、丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。
戦争末期からは結核の症状が悪化し、戦後はほとんど作品の発表もできず、闘病生活を送り48歳で死去した。
数学少年の文学開眼
1917年(大正6年)3月に牛島小学校(現:小梅小学校)卒業後、東京府立第三中学校(現:東京都立両国高等学校・附属中学校)へ進み、4年修了で、1921年(大正10年)4月に第一高等学校理科乙類(ドイツ語)へ入学。
初めて親元を離れて寄宿舎へ入った。神西清と知り合い、終生の友人となる。
中学時代、数学が好きで未来の数学者を夢見ていた辰雄を、文学の方へ手引きし、目覚めさせたのも神西であった。
また、同期には、小林秀雄、深田久弥、笠原健治郎らがいた。
入学の夏には、かねてから近所で親しくしていた国文学者の内海弘蔵一家が避暑地として滞在している千葉県君津郡竹岡村(現:富津市)を訪ねた。
この夏の体験から、のちに「甘栗」、「麦藁帽子」が生み出される。
この年の11月に神西の雑誌『蒼穹』に「清く寂しく」を発表した。
高校在学中の1923年(大正12年)1月に神西清から教えられて萩原朔太郎の第二詩集『青猫』を耽読し、詩の魅力を知る。
5月には三中の校長の広瀬雄から室生犀星を紹介され、8月に室生と共に初めて軽井沢へ行く。
しかし9月1日の関東大震災で隅田川に避難し、辰雄は九死に一生を得たものの、母親は水死。50歳であった。
辰雄は避難先の南葛飾郡四ツ木村(現:葛飾区)に養父と仮寓。
10月、罹災後、室生が故郷の金沢へ引きあげる直前に、芥川龍之介を紹介された。
震災で隅田川を泳ぎ、母を数日間探し回った辰雄は身体の疲労と母の死のショックの影響で、冬には肋膜炎に罹り休学。
この運命的な波乱の年の一連の経験が、その後の堀辰雄の文学を形作った。
1924年(大正13年)4月に本所区向島小梅町2-1(現:墨田区向島1丁目)の焼け跡に家を建てて養父と共に移る。
7月、辰雄は金沢の室生を訪ねた帰途に、軽井沢の芥川のところへ寄り、芥川の恋人である片山広子(筆名・松村みね子)や、その娘・総子(筆名:宗瑛)と知り合い、総子に恋心を抱く。
辰雄はこの年、一高の『校友会雑誌』にエッセイ「快適主義」や詩を投稿しているが、そこには前年の苦しい体験を、「快適」なものに逆転させようとする意志が垣間見られる。
矢野綾子との出会いと『風立ちぬ』
1932年(昭和7年)1月に「燃ゆる頬」を雑誌『文藝春秋』に発表後、7月末から9月初めまで軽井沢に滞在。
8月に「プルウスト雑記」を『新潮』や『作品』に、9月には「麦藁帽子」を『日本国民』に発表。
だが、その作品も本格的なロマン(長編小説)には発展しなかった。12月末に神戸に行く。
1933年(昭和8年)に季刊雑誌『四季』(二冊で終刊)を創刊[2]。
片山総子との別離や心身の疲労を癒すため、6月初めから9月まで軽井沢の「つるや旅館」に滞在し、作品執筆に入る。
その村で7月に、油絵を描く少女・矢野綾子と知り合う。
この時期の軽井沢での体験を書いた中編小説『美しい村』の「夏」の章(『文藝春秋』に発表)で、綾子との出会いが描かれ、これまでの様々な人との別れの悲劇を乗り切る。
この作品は『聖家族』以後の堀の人生の要約として読むことができる。
この年の秋、一高生の立原道造が向島の堀宅を訪問し立原と知り合う。
立原と堀は似通った境遇や環境で育っていた。
1934年(昭和9年)5月、リルケの『マルテの手記』などを読み始め、リルケやモーリアックの作品に親しみ出す。
9月、北多摩郡砧村大字喜多見成城(現:世田谷区成城)在住の綾子と婚約する。
モーリアック体験を経て、10月に長野県北佐久郡西長倉村大字追分(現:北佐久郡軽井沢町大字追分。堀は終生この地を「信濃追分」と呼んでいた)の油屋旅館で「物語の女」を書き上げ、続編の構想も練るが停滞する。
綾子もまた肺を病んでいたために、翌年1935年(昭和10年)7月に八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に2人で入院するが、病状が悪化した綾子は12月6日に死去。
この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材となり、1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)にわたって執筆された。
この『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」を引用している。
妻の多恵も「堀多恵子」の名前で夫に関する随筆を多く書き、2010年(平成22年)4月16日に96歳で死去した。
出典: 「堀辰雄」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
卒論を書いている当時、サヤカさんは堀辰雄が軽井沢とは切っても切れない縁があるということを知ったのだけれど、当時は、ついに軽井沢を訪れる機会がなかったのですよ。。。
お客さんに「軽井沢の別荘にいらっしゃい」と誘われたことで、急に卒論を書いていた頃の夢が果たせると思ったのですか?
そういうことですよ。。。
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
日本の小説家は、意外に軽井沢に別荘を持っていたのですわ。。。堀辰雄を始め、川端康成、林真理子、辻邦生、吉村順、室生犀星、遠藤周作。。。貴方も来年の夏にでも軽井沢を訪れて、別荘巡りをしてみませんか?
ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?
いけ好かないお方。。。
わかりましたわ。。。
では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。
ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。
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世界で最も住みやすい街バンクーバー
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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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