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愛と天の夕顔(PART 1 OF 3)

2016-09-06 15:20:36 | 軽井沢タリアセン夫人

 

愛と天の夕顔(PART 1 OF 3)

 






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(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで がらにもないロマンチックなタイトルをつけて私をお呼びになったのですかァ?



いけませんか? うへへへへへへ。。。

そのような下卑(げび)た笑いを浮かべてないで、細木数子さんのようにズバリ!と答えてくださいなァ~。。。

小百合さんも、けっこう古風なのですねぇ~?。。。 今どき、細木数子の名前を知っている人はほとんどいないと思うのですよ。。。 テレビ局のお偉方に睨まれて とっくの昔に番組から降ろされてしまいましたからねぇ~。。。

でも、まだ健在で生きておられますわァ~。。。

でも、すでに歴史のかなたに追いやられてしまったと思いますよ。

そのような事よりも、タイトルのお話をしてくださいなァ~。。。

じゃあ、まず次のリストを見てください。


(liv60905b.png)

『拡大する』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の9月1日から5日までの5日間の「リンク元URL」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 8番に注目してください。



Yahoo!で検索してデンマンさんのブログにやって来て『愛の夕顔』を読んだネット市民が 4人居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。


(liv10518e.png)

『実際の記事』



『愛の夕顔』を読んだネット市民が 4人居たので タイトルを“愛と天の夕顔”にしたのですか?



そうです。。。

でも。。。、でも。。。、それならば、どうして“愛と夕顔”でなくて“愛と天の夕顔”のように“天”を加えたのですか?

もちろん、それには理由があるのですよ。。。 8番のURL をクリックすると次の検索結果が出てきます。


(yah60905a.png)

『現時点での検索結果』



あらっ。。。 「天の夕顔 あらすじ」を入れてYahoo!で検索したのですわねぇ~。。。



そうです。。。 7,920件ヒットするのですよ。。。 『愛と夕顔』は トップから6番目に出てくるのです。

要するに、「天の夕顔 あらすじ」と入れて検索して、デンマンさんが投稿した『愛と夕顔』を読んだので タイトルを“愛と天の夕顔”にしたのですかァ~?

そうです。。。 いけませんか?

別にかまいませんけれど、簡単に“天の夕顔”か“愛の夕顔”にすればよかったではありませんか!

いや。。。 それはまずいのですよ。。。 “天の夕顔”は、そういうタイトルの小説がすでにあるし、“愛の夕顔”は、そういうタイトルですでに僕が記事を書いてますからね。。。 タイトルが重複すると、僕のブログの「記事一覧」に同じタイトルが続いて出てきて読者を混乱させてしまうかもしれないのですよ。

同じタイトルが出てきてもいいではありませんか!

いや。。。 やっぱりまずいですよ。。。 同じタイトルが出てくると どちらが古い記事なのか、見る人には判らないでしょう!

なるほどォ~。。。 そのようなことを考えて、タイトルをちょっとばかり変えて付けているのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 記事のタイトルを付けるのも、気まぐれに付けているわけではないのですよ。。。

分かりましたわァ~。。。 で、どういうわけで、この記事に私をお呼びになったのですか?

やだなあああァ~。。。、そのような分かりきったことを訊かないでくださいよ。。。 小百合さんが『愛と夕顔』の中に登場するからです。。。 もう忘れてしまったのですか?。。。ちょっとその一部を書き出しますから思い出してください。。。


愛の夕顔


(hara16.jpg)


『天の夕顔』主人公モデル問題

中河の代表作『天の夕顔』は不二樹浩三郎という按摩の身の上話に基づく作品だったため、不二樹は中河に対してこの作品を自分との共著とすることを要求した。
しかし中河は「話をしてくれただけで、それがあなたに何の関係があるのですか。法廷へ出ても何処へ出ても」とこの要求を退けると共に、主人公のモデルの実名公表を拒み続けたため、不二樹との間に深刻な確執が生じた。

不二樹から中河に脅迫状が届き、その直後に中河家の愛犬が不審な死を遂げたこともある。
一連の経緯について中河が警視庁成城警察署に相談したものの、刑事事件には発展しなかった。

一方、不二樹の側でも中河を訴えようとしたが弁護士費用の問題からこれを果たせず、その代わり『名作「天の夕顔」粉砕の快挙──小説味読精読の規範書』(1976年)と題する書物を自費出版してこの作品が中河の創造力の所産ではないことを世に訴え続けた。
不二樹は1990年に93歳で死去した。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




僕はこの事情を読む前に『天の夕顔』を読んだのだけれど、マジで名作だと思いましたよ。 その思いは僕にとって今でも変わらないのです。



でも、なんだかデンマンさんは不満そうですわね。

あのねぇ~、文学作品は芸術として鑑賞したいのだけれど、こうしてモデル問題でガタガタしたのを知ると、ちょっと興醒(きょうざ)めしますよね。

分かりますわ。。。だから、文学作品のモデルの詮索などする必要が無いのではありませんか?

でもねぇ、モデルを知ることによって文学作品がさらに引き立つことだってあるのですよ。 例えば堀辰雄の『風立ちぬ』ですよ。 1933(昭和8)年、堀さんは軽井沢で矢野綾子さんと知り合うのです。 まず、その頃の軽井沢での体験を書いた『美しい村』を発表したのです。 1934年、矢野綾子さんと婚約するのだけれど、彼女も肺を病んでいた。 そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。 しかし、綾子さんはその冬に死んでしまうのです。 この体験が、堀さんの代表作として知られる『風立ちぬ』の題材となったのですよ。 このようなことを知ると、『風立ちぬ』を読んで、いっそう心を打たれるのですよ。 そういうわけで、僕は野次馬根性を出してモデルを詮索することがある。

でも、期待はずれになることが多いのですか?

そうですよ。。。上のモデル問題などは、読んでゲッソリするような現実の醜い面が表れていますよ。 『天の夕顔』の話は按摩さんの身の上話に基づく作品なのだろうけれど、ずいぶんと脚色されているような気がします。

なぜデンマンさんは、そのように思うのですか?

本当にモデルも素晴らしく、また作品も素晴らしいものならば関係者はそっとしておくと思うのですよ。 矢野綾子さんの遺族が堀さんを訴えたなんて聞いたことが無い。 モデル問題を読んでから『天の夕顔』を読むと、現実の美しい部分だけを拾い上げて書いたような気がします。 現実の醜い部分がモデル問題となって顔をのぞかせているのですよ。

現実をそのまま作品として書くということは難しいのでしょうか?

いや。。。そんなことは無いと思いますよ。

事実は小説より奇なり。

でもねぇ、昔の人は、このようにも言いましたからね。 現実をそのままに書いても、なかなか信じてもらえないものですよ。

あらっ。。。デンマンさんも、そのように感じるのですか?

たとえば「あの人」の旦那さんが手紙を書いてきたとしますよ。

どのような。。。?

次の手紙ですよ。 小百合さんは現実の手紙として信じることができますか?


毎年いつも年末に妻の美千代にお便りをお寄せくださり誠に有難うございます。
厚くお礼申し上げます。
実はつらく悲しいことでありますが美千代は去る7月18日に亡くなりました。



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昨年の春先に胸が傷むと病院へ行きましたところ、肺のあたりに水がたまっているという奇病で、すぐに入院し水を抜く手術をしました。
手術は成功したのですが若いころ結核をわずらったことがあり原因を調べるため検査設備の整っている東北大学病院へ行くことになり、通院や入院を半年以上、各種いろいろの検査をうけました。
結核の関係はないと判定され、近くの病院から往診していただくことになりました。

しかし、そのことが美千代には不本意だったようで、断って別の病院に通うようになりました。
そのうち段々足腰や体も弱ってきて、たびたび転んだりして車椅子の生活になり、時々は救急車のお世話になるようになりました。
短期入院や点滴してもらって帰るようにもなりました。

それでも、そんなにひどいようには見えず食事は食堂へ出てくるし、家の中を立って伝い歩きもしました。
当日も夕食中、食べ物が喉につかえ呼吸困難となり、救急車を呼んで病院へつれて行き、いろいろ手を尽くしていただきましたがそのまま回復せずに亡くなりました。
診断は「心臓周囲病」ということで心臓も衰弱していたことと思われます。

私が先に逝くものとばかり思っていましたのに、思いもよらぬ逆縁で申し上げる言葉もありません。
元来、頑健丈夫とは言えず、むしろどちらかと言えば病弱なところもありました。
それでも気の強いところもあって新聞社に勤めたり、百貨店の仕事などもやって、退社後も、大学の研究室で秘書などの仕事もしました。

30代で自動車免許を取得したり、一時はスナック経営などもやり、貸家を建てたりもしました。
精一杯生き抜いたと言えましょう。
また、多くの人々から好かれ愛された生涯でありました。


デンマンさんにも永い間ご厚誼をいただき本当に有難うございました。
重ねて厚くお礼申し上げます。
どうぞお体を大切に、ますますお元気でご活躍なさいますようお祈り申し上げます。

2010年11月24日

梶尾一郎

福島県会津若松市東栄町
郵便番号: 965-8601




『生きることって愛すること?』より
(2010年12月18日)

『即興の詩バンザイ』にも掲載
(2010年12月4日)




この手紙は、ほとんどそのまま書き出したものです。 小百合さんは信じることができますか?



今晩、じっくりと眠りながら考えて見ますわ。




『愛の夕顔』より
(2011年5月18日)




どうですか、小百合さん。。。 上の部分を読んで思い出しましたか?



ええ。。。 なんとなく思い出しましたわ。。。 でも、デンマンさんが上の記事を投稿したのは、もう5年以上前になるのですわァ~。。。

確かに、その通りです。。。 つまり、5年経ってしまったので小百合さは ほとんど忘れてしまったと言いたいのですか?

うふふふふふふ。。。

そうやって、笑ってごまかすのは日本人の悪い癖ですよ。。。 要するに、僕の上の記事を読んで、受けた印象は小百合さんにとって、どうでもいいようなものだったのですねぇ~。。。?

別に、どうでもいいようなものだ、と言うつもりはありませんわァ。。。 ただ、デンマンさんが受け取った 梶尾一郎さんからのお手紙は、現実のものだとは思えませんから。。。

あれっ。。。 要するに僕がデッチあげた架空の手紙だと言うのですねぇ~。。。?

いいえ。。。 すべてデッチあげたと言うつもりはありませんわァ~。。。 ただし、実物のお手紙をそのままを引用しているとは、とても思えませんわァ。。。

もちろん、私信ですからねぇ~、僕は手紙を書いた人物と家族のプライバシーを守らなければなりません。。。 だから、上の手紙の中の名前も住所も実際とは変えてありますよ。。。 でもねぇ~、内容には、ほとんど手を付けずに書き出したのです。。。

でも。。。、でも。。。、デンマンさんが受け取った極めて個人的な手紙を 日本語が解る 123ヵ国の たくさんのネット市民の皆様が目にする記事に引用したというその理由が イマイチ私には理解できませんわァ。。。

だから、次のように書いたじゃありませんかァ!


 (すぐ下のページへ続く)




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