薄命な女と映画 (PART 1)
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デンマンさん。。。 わたしも“薄命な女”たちのお仲間なのですかァ~?
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いや。。。 ジューンさんは映画を愛しているけれど、薄命な女ではありません。
だったら、どうしてわたしの写真を貼り付けたのですか?
ジューンさんはネットで人気が出ているので、この記事を読むネット市民の皆様のためにジューンさんを登場させたのです。
マジで。。。? 。。。で、わたしが人気があるのですかァ~?
そうです。。。 あのねぇ~、“信じる者は救われる!”と昔の人は言ったのですよ。。。 だから、ジューンさんも信じねぇ~。。。
。。。で、どなたか“薄命な女”を探していたのですかァ~?
そうです。。。 ちょっと次のリストを見てください。
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■『拡大する』
■『映画を愛する薄命の女』
これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月18日の午後6時30分から19日の午前3時3分までの約8時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。
あらっ。。。 5月18日の午後7時27分に2016年4月27日にデンマンさんが投稿した『映画を愛する薄命の女』という記事を読んだのですわねぇ~。。。
そうです。。。 横浜市にある富士通で働いている波久奈 英子(はくな えいこ)さんが読んだのです。
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■『拡大する』
デンマンさんは、すぐにIPアドレスを調べますけれど、プライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前までは確定できないことになっているのですわァ~。。。
分かってます。。。 分かってます。。。 僕もその程度のことは理解しているつもりです。。。 でもねぇ~、ナポレオンじゃないけれど、「成せば成る、成さねばならぬ何事も。。。」という格言があるように。。。
それは、ナポレオンではなく、米沢藩の第9代藩主、上杉 鷹山(ようざん)の言葉ですわ。。。
ジューンさん。。。! たびたびツッコミを入れないでください。。。 あのねぇ~、波久奈 英子さんが、あとで僕にメールをくれたので確かめたのですよ。。。
。。。で、英子さんは、どういうわけで『映画を愛する薄命の女』に感銘を受けて デンマンさんにメールを出したのですかァ?
そうです。。。 あのねぇ~、英子さんは次の箇所を読んだのですよ。。。
本当に映画の心がわかる人
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松下電器とMCAの関係がまだ蜜月の頃、ひとりの女性がこの世を去っていた。
松下電器の国際契約部から、当時の平田副社長率いる特命チームに参画していた斎藤純子である。
映画作品への造詣が深かった斎藤は、MCAの保有する映像ライブラリーに関する克明な資料を作成し、特命チームの判断を助けた。
そしてMCAの買収契約が成立したのち、平田からワッサーマンに送る手紙の作成を依頼されると、その最後を「お楽しみはこれからだ」という台詞で締めくくった。
昭和2(1927)年に公開された映画『ジャズ・シンガー』で、主人公が語ったこの台詞は、無声映画からトーキー映画に切り替わった最初のスクリーンで観客に向けて発せられたものである。
映画史上に残る記念碑的な台詞を盛り込んだ手紙に、ワッサーマンはいたく感動し、「松下には、本当に映画の心がわかる人がいる」と語ったほどだった。
その斎藤が、ガンに侵され、死期が近づいていることを知ると、ワッサーマンは一通の招待状を送っている。
次年、1992年3月の
アカデミー賞授賞式には、
是非、斎藤純子さんを招待したい。
もし、体調がすぐれないようなら、
医師の許可をもらってくれれば、
ベッドのままアメリカに来られるように
チャーター機で迎えに行きます。
ルー・ワッサーマン
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だか、アカデミー賞の授賞式の約1ヵ月前、斎藤は31歳という若さで逝去した。
ハリウッドからは、「人が死んで残すものは、物質的なものではない。 心である」との哀悼のメッセージが届けられた。
斎藤純子の死は、あらたなビジネスモデルを成就させるべく奮闘してきた松下電器とMCAの関係者に忘れがたい記憶を残したが、その夢のビジネスモデルは、ついに花開くことはなかった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
140-141ページ 『パナソニック人事抗争史』
著者: 岩瀬達哉
2015年4月15日 初版第3刷発行
発行所: 株式会社講談社
あらっ。。。 斎藤純子さんは31歳という若さで癌で亡くなったのですわねぇ~。。。 それにしても あまりにも若すぎる死ですわァ~。。。 人生はこれからだというのにィ~。。。
あのねぇ~、実は、僕も松下電器に勤めたことがある。。。 だから、斎藤さんは僕の後輩に当たるわけですよ。。。
信じられませんわ。。。
信じてください。。。 “信じる者は救われる!” と昔の人は言いましたからねぇ~。。。 でも、僕は3年で松下を辞めて世界放浪の旅に出たのですよ。。。 だから、残念ながら斎藤純子さんに会ったことはありません。
じゃあ、上の写真はデンマンさんが白日夢で見た斎藤純子さんなのですか?
そうです。。。 いけませんか?
。。。で、ワッサーマンさんというのは、どういう人物なのですか?
アメリカの映画界では有名な人物ですよ。
ルー・ワッサーマン
Lew Wasserman
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(1913年3月22日 - 2002年6月3日)
ルー・ワッサーマンはアメリカ合衆国オハイオ州出身のユニバーサル・スタジオの元社長、名誉会長。
スティーヴン・スピルバーグ監督らの才能を見いだした事で有名。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのニューヨーク・エリアに銅像がある。
ロナルド・レーガン元大統領の俳優時代の最初の代理人でもある。
脳卒中の合併症のため89歳でビバリーヒルズの自宅で死去。
ハリウッドの6925 Hollywood Blvd番地にワッサーマンのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームがある。
出典: 「ルー・ワッサーマン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。 この方も2002年に すでに亡くなっているのですわねぇ~。。。
そうです。。。 惜しい人は、どんどん亡くなってゆくのですよ。。。 憎まれっ子だけが しぶとく生き残っているわけです。。。
デンマンさんもその一人ですわね。。。 うふふふふふふ。。。
まあねぇ~。。。 確かに、僕もしぶとく行き続けていますからねぇ~。。。
それで、なぜ 斎藤純子さんを取り上げたのですか?
僕も映画にハマっていますから。。。
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■『実際のリスト』
あらっ。。。 これはデンマンさんがバンクーバー市立図書館でDVDを借りて観た 映画のリストですか?
そうです。。。
これまでに 1、289本もの映画を図書館で タダで観たということですかァ~? うふふふふふふ。。。
そうです。。。 いけませんか?。。。 赤枠で囲んだ 1、288番目の映画に注目してください。
あらっ。。。 上の引用した文章の中に出てきた"The Jazz Singer"ですわねぇ~。。。 つまり、上の本を読んで“映画を愛する薄命の斎藤純子さん”を知り、可哀想な彼女の早逝を悼んで さっそく4月25日に"The Jazz Singer"のDVDを借りて映画を観てコメントを書き込んだのですか?
そうです。。。 いけませんか?
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■『実際のカタログページ』
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つまり、斎藤純子さんが手紙の最後を「お楽しみはこれからだ」という台詞で締めくくったので、その台詞を確かめるために映画を観たのですか?
そうです。。。 いけませんか?
デンマンさんも かなりの暇人なのですわねぇ~。。。
ジューンさん!。。。 そのように呆れた顔をしないでくださいよ。。。 僕は暇をもてあましていたわけじゃなくて、マジで その台詞が気になって さっそくDVDを借りて映画を観たわけですよ。
。。。で、確認できたのですか?
それがねぇ~、見るべき場所をすっかり間違えていたのです。
どういうことですか?
最後を「お楽しみはこれからだ」という台詞で締めくくったと書いてあったから、映画の最後で主人公のアル・ジョルソン(Al Jolson) がその台詞をしゃべるだろうと思っていたのですよ。
。。。で、しゃべったのですか?
ところが、それらしい台詞を全くしゃべらなかった。。。 もういちど本を見たら、次のように書いてあるじゃありませんか!
無声映画からトーキー映画に
切り替わった最初のスクリーンで
観客に向けて発せられたものである。
別に最後に言う台詞ではないのですよ。
。。。で、どのような台詞だったのですか?
『ウィキペディア』の説明を読んでみてください。
ジャズ・シンガー
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『ジャズ・シンガー』、1927年10月6日にアメリカ合衆国のワーナー・ブラザーズが公開し、ヴァイタフォン方式による音声付きの映画。
やや不正確な表現であるが、しばしば「世界初」のトーキーとして言及されることがある。
"Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet!"
「待ってくれ、お楽しみはこれからだ!」
直訳では「―君はまだ何も聴いてないんだぜ」というセリフが有名である。
2005年6月に発表された「アメリカ映画の名セリフベスト100」ではこのセリフが第71位にランクインしている。
映画全編を通してのトーキーではなく、部分的なトーキー(パートトーキー)だったが、驚異的な興行収入を記録し、トーキーの時代の幕開きとなった。
第1回アカデミー賞で脚色賞部門でノミネートされた。
1953年と1980年にリメイクされている。
あらすじ
ユダヤ人の少年ジョン・ラーヴィノヴィッツは或る酒場で俗的な歌を歌っていたのをユダヤ教司祭長で厳格な父に見つかり勘当されてしまう。
数年後、ジャック・ロビンと言うアメリカ人の名前を名乗ったラーヴィノヴィッツは長年の夢であったジャズシンガーになり人気を博していた。
舞台女優メアリーと恋仲になったラーヴィノヴィッツは彼女の手助けで大舞台で歌う事になったが、その前日、母が訪ねて来る。
ラーヴィノヴィッツが歌う日はちょうどユダヤ人にとって聖なる日(ヨム・キプル)であり、ユダヤ人達が父の経営する教会に集まり讃美歌を歌う日であった。
ところが父が病気で倒れてしまったのだった。
母がラーヴィノヴィッツを訪ねて来たのは彼に、父の代わりに讃美歌を歌ってもらう様頼む為だった。
メアリーは「ラーヴィノヴィッツはもう立派なジャズ歌手であり自立した大人。
そんな彼に親の都合を勝手に押し付け、大舞台をフイにして良いのか」と抗議する。
しかし彼は敢えて教会で讃美歌を歌う事を選ぶ。
メアリーの「ジャズシンガーが賛美歌を歌っている」と言う嘆きの声を傍らに、ラーヴィノヴィッツは立派に父の代役を果たすのだった。
病床の父はそんな息子の歌声を聴きながら息を引き取るのだった。
数か月後。
改めて大舞台で歌う事になったラーヴィノヴィッツは顔に墨を塗り、黒人に扮しながらメアリー、母の前で「マイ・マミー」を熱唱する。
母はそんな息子の姿を、涙を流しながら見守るのだった。
出典: 「ジャズ・シンガー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。 会話の言い方としても これは、かなり砕けた英語ですわねぇ~。。。
いくらなんでも、この台詞をそのまま手紙には書けないよねぇ~? ジューンさんだって、そう思うでしょう!?
そうですわねぇ~。。。 おそらく、少し文語調に書き換えたのだと思いますわァ。
。。。で、横浜市にある富士通で働いている波久奈 英子(はくな えいこ)さんは記事を読んで、どこに感銘を受けたのですか?
もちろん、31歳という若さで逝去した斎藤純子さんが映画人のルー・ワッサーマンさんを感動させたというところです。。。 ジューンさんはどのように感じましたか?
生きると言うことは時間の長さではないと。。。 多くの人に感動を与えるような生き方をしたいと思いましたわァ~。
なるほど~。。。
何がなるほど~なのですかァ~?
ジューンさんのビキニ姿が多くのネット市民の皆様に感動を与えていますよ。。。
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■『マルタ島のロマン』
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(すぐ下のページへ続く)