ん?佐伯今毛人 (PART 1)

(question.gif)

(yakunin5.jpg)

(yang04b.jpg)

(nakamaro4.jpg)

(himiko12.jpg)

(himiko22b.gif)
デンマンさん。。。どうして急に佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を取り上げたのでござ~♪~ますか?

(kato3.gif)
いや。。。 僕が取り上げたわけじゃないのですよ。。。
でも、タイトルを書くのはデンマンさん以外にいませんわァ。。。
確かに、タイトルを書いたのは僕ですけれど、“佐伯今毛人”を持ち出したのは僕じゃありません。。。
じゃあ、どなたが“佐伯今毛人”を持ち出したのでござ~ますかァ?
ちょっと次のリストを見てください。。。

(liv70526a.png)
■『拡大する』
■『佐伯今毛人は臆病者か?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月25日の午後3時8分から午後7時50分までの約5時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しいのです。。。

あらっ。。。 5月25日の午後3時17分にGOOGLEで検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。
そうです。。。 立命館大学で日本古代史を専攻している佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが読んだのです。。。
あらっ。。。 またIPアドレスを調べたのですかァ~?
そうです。。。

(ip1692b.png)
■『拡大する』

どうしてデンマンさんのブログには おきれいな女性たちが群がってくるのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、GOOGLEで検索してやって来たのですよゥ。。。 たまたま佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが美人だというだけのことです。。。 特に、きれいな女性だけが僕のブログにやって来るわけではないのですよ。。。
じゃあ、どういうわけで佐伯 亜利素(さえき ありす)さんの写真をゲットしたのでござ~ますかァ?
だから、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだら、卑弥子さんが出てきたので調べたら京都の女子大学で「日本文学と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授だと知ってわけです。。。 それで、『源氏物語』にも関心がある亜利素(ありす)さんは、ぜひ卑弥子さんの研究室にお邪魔してお話を伺いたいというメールを僕に送ってきたのです。
なぜ、あたくしに直接メールを送ってくださらなかったのですかァ~?
それでは、失礼に当たると思ったのですよ。。。 僕から紹介されて、初めて卑弥子さんに京都の女子大の卑弥子さんの研究室で会うのが順当なエチケットだと亜利素(ありす)さんは言うわけです。。。
信じられませんわァ。。。 それは、デンマンさんの見え見えの作り話でござ~ますわァ~。。。
つまり、これだけの材料を揃えてまで、僕が作り話をしていると卑弥子さんは断定するのですかァ~?
デンマンさんと、ここで議論する時間は無いのでござ~ますわァ。。。 ただでさえ長いデンマンさんの記事が、さらに長~♪~くなってしまいますわァ~。。。 この記事を読んでくださっているネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまう前に、本題に入ってくださいなァ~。。。 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは、いったい どのようなキーワードを入れてGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?
次のようにして検索したのです。。。

(gog70526a.png)
■『拡大する』
■『佐伯今毛人は臆病者か?』
■『現時点での検索結果』

あらっ。。。「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。
でも。。。、でも。。。、それは、ちょっとばかり でき過ぎているのではござ~ませんかァ?
何ができ過ぎているのですか?
だってぇ~、「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだということは、偶然にしては、でき過ぎていると誰だって思いますわよう!
あのねぇ~、たまたま、そのようにして検索したからこそ 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは僕のブログへやって来たのですよ。。。 他のキーワードを入れていたら、僕のブログにはやって来なかったはずです。。。 そんなことは検索エンジンの常識ですよ!
そうでしょうかァ~?
卑弥子さんは、僕が作り話をしていると疑っているから、そのような余計な考えに取り付かれているのですよ!
そうでしょうかしら。。。?
もっと素直な気持ちで僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。
分かりましたわァ。。。 んで、どうして佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人は臆病者なのかしら?」と疑ってネットで調べ始めたのでござ~ますかァ?
卑弥子さんは、平安時代に多くの日本人が遣唐使船に乗って唐に行ったということを知ってますよねぇ~。。。
もちろん、あたくしは存じ上げておりますわ。。。
それなら話は簡単ですよ。。。 遣唐使船に乗るということは生きるか死ぬかという危険が付きまとっていた。 生きて唐に着くか? 生きて日本へ帰れるか? その成功確率は50%ほどだった。 まさに、100円硬貨を空に投げて手に受け取り、裏が出るか?表が出るか?という確率だったのですよ。 当時でも、勇気のない男は尻込みして名誉の遣唐使にさえ就くのを辞退した。
そのように尻込みして遣唐使を辞退した人がマジで居たのでござ~♪~ますか?
居たのですよ。 それが宝亀6年(775年)の遣唐大使に任命されたのが佐伯今毛人(さえきのいまえみし)だった。 宝亀8年(777年)4月、節刀を賜り再度(前年は大宰府から引き返している)出発したが羅城門までくると病になり渡航を断念し摂津に留まることとなったのですよ。。。
あらっ。。。 病気になってしまったのでござ~ますか?
でも、卑弥子さんのように疑り深い世間では 素直に そのようには受け止めなかった。
つまり、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)さんは、仮病を使って遣唐使になることを渋った、とその当時の世間の皆様は疑ったのでござ~ますかァ?
その通りですよ。。。 当時、遣唐使になるには、それほど勇気が必要だったということです。
それで、その時の遣唐使船はどうなったのでござ~♪~ますか?
仕方がないので、この時は副使の小野石根(おののいわね)が佐伯今毛人に代わって大使の任務を代行した。 でも、小野石根が乗った遣唐使船の第1船は帰路遭難して亡くなってしまったのですよ。
やっぱり、遣唐使船に乗るのは命がけなのですわねぇ~。。。
そうです。。。 だから、 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人はマジで臆病者だったのかしら?」と思って調べ始めたというわけですよ。。。
。。。で、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんはデンマンさんの記事を読んで その答えを見い出したのですか?
そうです。。。 実は、僕も亜利素(ありす)さんと同じような疑問を持ったのです。。。 でもねぇ~、思い当たることがあったァ~。。。

(sail30.jpg)
遣唐使に命じられた佐伯今毛人は
仮病を使って役を免れたのか?
しかし、彼は「藤原良継の変」に参加し
横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうとした。
彼の真実の姿は。。。?

つまり、佐伯今毛人さんが臆病者だったら横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうという計画に参加しなかったということですか?

そうですよ。
でも、計画に参加するぐらいで、それ程の勇気が必要なのでしょうか?
あのねぇ~、「藤原良継の変」の前に、「橘奈良麻呂の乱」という大きな事件があったのです。
橘奈良麻呂の乱
橘奈良麻呂の父の左大臣橘諸兄は、聖武天皇の治世に政権を担当していた。
陰謀の計画と発覚
藤原仲麻呂の専横に不満を持ったのが、諸兄の子の奈良麻呂である。
奈良麻呂は不満を持つ者たちを集めて仲麻呂を除こうと画策する。
755年(天平勝宝7年)6月28日(7月22日)、山背王が孝謙天皇に「奈良麻呂が兵をもって仲麻呂の邸を包囲しようと計画している」と密告した。
7月2日(7月26日)、孝謙天皇と光明皇太后が、諸臣に対して「謀反の噂があるが、皆が逆心を抱くのをやめ、朝廷に従うように」との詔勅を発した。
しかし、その日の夜、中衛府の舎人上道斐太都から、前備前守小野東人に謀反への参加を呼びかけられたと仲麻呂へ密告があった。
仲麻呂はただちに孝謙天皇に報告して、中衛府の兵を動かして前皇太子道祖王の邸を包囲し、小野東人らを捕らえて左衛士府の獄に下した。
756年7月3日(7月27日)、右大臣・藤原豊成、中納言・藤原永手らが小野東人を訊問。
東人は無実を主張した。
その報告を受けて、孝謙天皇は仲麻呂を傍らに置いて、塩焼王、安宿王、黄文王、橘奈良麻呂、大伴古麻呂を前に「謀反の企てがあるとの報告があるが自分は信じない」との宣命を読み上げた。
ところが同日事態は急変する。
右大臣豊成が訊問から外され、再度、永手らを左衛士府に派遣し小野東人、答本忠節(たほのちゅうせつ)らを拷問にかけた。
東人らは一転して謀反を自白した。
その内容は、橘奈良麻呂、大伴古麻呂、安宿王、黄文王らが一味して兵を発して、仲麻呂の邸を襲って殺して皇太子を退け、次いで皇太后の宮を包囲して駅鈴と玉璽を奪い、右大臣豊成を奉じて天下に号令し、その後天皇を廃し、塩焼王、道祖王、安宿王、黄文王の中から天皇を推戴するというものであった。
過酷な処分
東人の供述により、7月4日(7月28日)に奈良麻呂を始め、道祖王、黄文王、大伴古麻呂、多冶比犢養(たじひのこうしかい)、賀茂角足(かものつのたり)ら、一味に名を挙げられた人々は直ちに逮捕され、永手らの訊問を受けた。
訊問が進むにつれ、全員が謀反を白状した。
奈良麻呂は永手の聴取に対して「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた。」と打ち明けた。
この後すぐに獄に移され、永手、百済王敬福、船王らの監督下、杖で全身を何度も打つ拷問が行われた。
道祖王(麻度比と改名)、黄文王(久奈多夫礼と改名)、大伴古麻呂、東人、犢養、角足(乃呂志と改名)は同日、過酷な拷問に耐えかねて次々と絶命した。
また首謀者である奈良麻呂の名が『続日本紀』に残されていないが、同じく拷問死したと考えられる。
安宿王は佐渡島、大伴古慈悲(藤原不比等の娘婿)は土佐国に配流され(両者ともその後赦免)、塩焼王は直接関与した証拠がなかったために臣籍降下(「氷上眞人塩焼」と改名)することで不問とされた。
反乱計画に直接関与していなかったものの佐伯全成は捕縛され奈良麻呂から謀反をもちかけられた顛末を自白した上で自害した。
他にもこの事件に連座して流罪、徒罪、没官などの処罰を受けた役人は443人にのぼる。
また、右大臣・藤原豊成が息子乙縄とともに事件に関係したとして大宰員外帥に左遷された。
中納言・藤原永手も、その後仲麻呂派で固められた朝廷内で政治的に孤立し逼塞を余儀なくされたと言う説がある。
豊成・永手らは反仲麻呂派であると同時に奈良麻呂らの標的とされた孝謙天皇の側近であった人々であり、天皇廃立を企てた奈良麻呂らに対して過酷な尋問や拷問を行った人々であった。
その後
仲麻呂はこの事件により、自分に不満を持つ政敵を一掃することに成功した。
758年(天平宝字2年)、大炊王が即位し(淳仁天皇)、仲麻呂は太保(右大臣)に任ぜられ、恵美押勝の名を与えられる。
そして、760年(天平宝字4年)には太師(太政大臣)にまで登りつめ栄耀栄華を極めた。
だが、その没落も早く、孝謙天皇の寵愛は弓削道鏡に移り、764年(天平宝字8年)、仲麻呂は乱を起こして敗れ、その一族は滅んだ(藤原仲麻呂の乱)。
出典: 「橘奈良麻呂の乱」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

要するに上の事件は政権闘争なのですよ。 この事件で佐伯今毛人の一族である佐伯全成は自害した。 大伴家持の一族の大伴古麻呂は、過酷な拷問に耐えかねて絶命したのですよ。

つまり、佐伯氏と大伴氏が権力闘争で敗れたのですか?
簡単に言ってしまえば、そう言う事なのです。
その後に「藤原良継(よしつぐ)の変」が起こったのですか?
そうです。 当然の事だけれど、事変が発覚すれば最悪、拷問死や自害も覚悟しなければならない。 それは「橘奈良麻呂の乱」を見れば明らかなことです。
つまり、佐伯今毛人さんが命が惜しくって仮病を使ってまで遣唐使になるのを拒む性格であれば、「藤原良継の変」に参加しなかったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?
その通りですよ。
。。。んで、その「藤原良継の変」は成功したのですか?
残念ながら失敗したのです。 藤原良継は佐伯今毛人・石上宅嗣・大伴家持らと結託し藤原仲麻呂を暗殺する計画をたてた。 ところが計画が仲麻呂側に漏れてしまう。 763年(天平宝字7年)4人は逮捕されるてしまう。
死刑ですか?
いや。。。この当時は死刑はなかった。 この時、藤原良継(当時の名前は宿奈麻呂【すくなまろ】)は他の3人を救うために単独犯行を主張した。 一応認めれれて八虐の一つである大不敬との罪により解官の上、姓も剥奪されたのですよ。
佐伯今毛人さんは無罪放免になったのでござ~♪~ますか?
いや。。。そう簡単には事は運ばなかった。 3人は罪には問われなかったものの左遷されてしまった。 佐伯今毛人は九州に飛ばされ、大宰府営城監という役についた。 石上宅嗣は大宰少弐に、そしてあの有名な大伴家持は薩摩守に落とされた。
つまり、佐伯今毛人さんは反骨の人だったわけですわねぇ~?
そうだと思います。 佐伯今毛人が関わった事件をじっくりと見つめてみると、少なくとも彼が仮病を使って遣唐使を辞退するような人ではなかったと僕には思えるのですよ。
佐伯 亜利素(さえき ありす)さんも記事を読んでデンマンさんに同意したのですか?
そうです。。。
でも。。。、でも。。。、どうして亜利素(ありす)さんは、佐伯今毛人に興味を抱いたのですか?
あのねぇ~、卑弥子さんは、藤原不比等の後妻となった橘三千代、またの名を県犬養三千代(あがたのいぬかい の みちよ)に関心があるでしょう?
当然ですわァ~、だってぇ~、あたくしのご先祖様ですものォ~。。。
実は、佐伯今毛人は亜利素(ありす)さんのご先祖さまなのですよ。。。
マジで。。。?
佐伯今毛人さんの妻の名前を若狭郎女(わかさのいらつめ)というのです。。。

(yang04b.jpg)
若狭郎女


(vsignface05.jpg)
佐伯 亜利素(さえき ありす)さん

つまり、亜利素(ありす)さんは若狭郎女のDNAを体内に持っているので、顔が似ている、とデンマンさんは証拠のつもりで上の写真を並べたのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 “百聞は一見にしかず!”と言いますからねぇ~。。。 これならば、疑り深い卑弥子さんも信じると思ったのですよ。。。

(laugh16.gif)
(すぐ下のページへ続く)