仕事で奈良県へ行く用事の私デスペア。金曜土曜と奈良県で1泊。
仕事が午後に終わり、網膜色素変性症の私デスペアせっかく狭い視野でここまできたのだから中学の修学旅行以来の東大寺へ。
奈良公園、東大寺への参道。ほんとに奈良って鹿がいるんだね。Berryz工房のセカンドアルバムのスッペシャルEDを思い出す。鹿にまたがるお調子者の徳永千奈美や夏焼雅を創造して笑いが出る。
そこらかしこに鹿がいる。露店で150円の鹿せんべいを買う。その露店の前にはおおきな鹿。鹿にも縄張りがあるのだろう。露店でしかせんべいを観光客が買おうとしたとたん鹿がよってくる。
ただじっと待っていてくれればいいのだけど、鹿はまってくれない。私のおしりを鼻で力強くつついてくる。ジャンパーのポケットをくわえる。4匹ぐらいの鹿が私のまわりに集まる。
こわくなって露店のおばさんからしかせんべいを受け取ったとたん、雪道(今日は珍しく関西に積雪)に投げ捨てる。10枚程度の直径10センチぐらいの鹿せんべい。束ねる紙がついたまま雪道になげる。たべる鹿。さっとその場を振り返らずに立ち去る私。
20年前修学旅行では鹿と戯れた記憶はない私。おそらく東大寺に直接バスで乗り付けたのだろう。
20年前の東大寺と中の大仏はとても大きく感動したのを覚えている。遠くからみる大仏殿と参拝客。参拝客が実に小さく大仏殿の大きさに感動。
今回、それほど感動しない。中学生の私。そのころ高層ビルなどみたことない田舎の中学生。20年後の私。都会人になった私。
20年前とちがって、やはり網膜色素変性症のため大仏殿にはいっても大仏を見つけられない。数分たって他の観光客の様子から大仏がいる方向を凝視し、ぼんやりと大仏の顔がわかる程度。20年前はすぐに見つけられたような気がする。当時のバスガイドから教えてもらった大仏殿お天井の格子模様が上のほうの格子模様も低いところの格子模様も同じ大きさに見えるという細工。思い出す。じっと天井を見続ける。ぼんやり見えた!!。昔は容易に見えた格子模様。
大仏の鼻の穴の大きさの柱の穴。20年前の私の記憶は大仏殿の左側、現実は右側にあった。
大仏殿には緑色の大仏と金色の大仏があることをはじめて知った。
帰り道。奈良公園前を通る。またかった鹿せんべいをやろうと決意。雪の中でもうろうろしている鹿。公園の松の木の葉っぱを食べている。こいつにせんべいをやろうと決意。
近づくとちいさなかわいい鹿もいた。そいつに私の食べかけの鹿せんべいをさしだす。その小鹿は用心深くいきなりはたべず通り過ぎようとする。口元にぐっと差し出す私。やっと食べてくれるうれしいな。
っと思ったのつかの間、どこからか鹿が私の周りを取り囲む。またさっきの東大寺の鹿とおなじように私のおしりをこづいたり、ポケットをくわえたり、せおってるリュックのすそを加えたり。大変。
またおなじように、雪道に残り9枚の鹿せんべいを投げる。そこに群がるシカたち。ほっとする。
しかし、大きなオス鹿1匹は投げたせんべいのほうに行かず、まだ私のおしりをつついたりする。もう私にしかせんべいはないのに・・・。
またこの鹿がしつこい、奈良公園をでて車道脇の歩道までついてくる、雪道ですべる歩道ゆっくり急げで逃げる私。おしりをこづいたり、腰をこづいたりする鹿。逃げる私。
横断歩道までついてくる。このままでは鹿が歩道にでてはねられるとおもい、Uターンする。Uターンしてもまだ私のおしりを力強くつつくつつく。おいおいこのまま近鉄奈良駅の地下街までついてこらたらどうしよう。鹿が悪いのか、私が非難されるのか。そんなことを考える。
ちょっとはや歩き。やっとあきらめてくれたようで、もう私のおしりがつつかれることをはなかった。
ただ、それから近鉄奈良駅まで私は一度も後ろを振り返らなかった。だってもしついてきてたんら怖いもん!
仕事が午後に終わり、網膜色素変性症の私デスペアせっかく狭い視野でここまできたのだから中学の修学旅行以来の東大寺へ。
奈良公園、東大寺への参道。ほんとに奈良って鹿がいるんだね。Berryz工房のセカンドアルバムのスッペシャルEDを思い出す。鹿にまたがるお調子者の徳永千奈美や夏焼雅を創造して笑いが出る。
そこらかしこに鹿がいる。露店で150円の鹿せんべいを買う。その露店の前にはおおきな鹿。鹿にも縄張りがあるのだろう。露店でしかせんべいを観光客が買おうとしたとたん鹿がよってくる。
ただじっと待っていてくれればいいのだけど、鹿はまってくれない。私のおしりを鼻で力強くつついてくる。ジャンパーのポケットをくわえる。4匹ぐらいの鹿が私のまわりに集まる。
こわくなって露店のおばさんからしかせんべいを受け取ったとたん、雪道(今日は珍しく関西に積雪)に投げ捨てる。10枚程度の直径10センチぐらいの鹿せんべい。束ねる紙がついたまま雪道になげる。たべる鹿。さっとその場を振り返らずに立ち去る私。
20年前修学旅行では鹿と戯れた記憶はない私。おそらく東大寺に直接バスで乗り付けたのだろう。
20年前の東大寺と中の大仏はとても大きく感動したのを覚えている。遠くからみる大仏殿と参拝客。参拝客が実に小さく大仏殿の大きさに感動。
今回、それほど感動しない。中学生の私。そのころ高層ビルなどみたことない田舎の中学生。20年後の私。都会人になった私。
20年前とちがって、やはり網膜色素変性症のため大仏殿にはいっても大仏を見つけられない。数分たって他の観光客の様子から大仏がいる方向を凝視し、ぼんやりと大仏の顔がわかる程度。20年前はすぐに見つけられたような気がする。当時のバスガイドから教えてもらった大仏殿お天井の格子模様が上のほうの格子模様も低いところの格子模様も同じ大きさに見えるという細工。思い出す。じっと天井を見続ける。ぼんやり見えた!!。昔は容易に見えた格子模様。
大仏の鼻の穴の大きさの柱の穴。20年前の私の記憶は大仏殿の左側、現実は右側にあった。
大仏殿には緑色の大仏と金色の大仏があることをはじめて知った。
帰り道。奈良公園前を通る。またかった鹿せんべいをやろうと決意。雪の中でもうろうろしている鹿。公園の松の木の葉っぱを食べている。こいつにせんべいをやろうと決意。
近づくとちいさなかわいい鹿もいた。そいつに私の食べかけの鹿せんべいをさしだす。その小鹿は用心深くいきなりはたべず通り過ぎようとする。口元にぐっと差し出す私。やっと食べてくれるうれしいな。
っと思ったのつかの間、どこからか鹿が私の周りを取り囲む。またさっきの東大寺の鹿とおなじように私のおしりをこづいたり、ポケットをくわえたり、せおってるリュックのすそを加えたり。大変。
またおなじように、雪道に残り9枚の鹿せんべいを投げる。そこに群がるシカたち。ほっとする。
しかし、大きなオス鹿1匹は投げたせんべいのほうに行かず、まだ私のおしりをつついたりする。もう私にしかせんべいはないのに・・・。
またこの鹿がしつこい、奈良公園をでて車道脇の歩道までついてくる、雪道ですべる歩道ゆっくり急げで逃げる私。おしりをこづいたり、腰をこづいたりする鹿。逃げる私。
横断歩道までついてくる。このままでは鹿が歩道にでてはねられるとおもい、Uターンする。Uターンしてもまだ私のおしりを力強くつつくつつく。おいおいこのまま近鉄奈良駅の地下街までついてこらたらどうしよう。鹿が悪いのか、私が非難されるのか。そんなことを考える。
ちょっとはや歩き。やっとあきらめてくれたようで、もう私のおしりがつつかれることをはなかった。
ただ、それから近鉄奈良駅まで私は一度も後ろを振り返らなかった。だってもしついてきてたんら怖いもん!